香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄弟よ!根性で赦すのだ!

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〝聖霊が唯一あなたに求めることは、

 

 ほんの少しの意欲だけである。〟

 

とか、

 

〝それが、あなたがすべき唯一のことである。

 

とか、

 

〝神の子の唯一の機能(はたらき)は…。〟

 

 

などなど、

 

 奇跡講座って、唯一、唯一、と言う割には、

 

至る所に色々な唯一が出てきて、

 

ちょっと多すぎやしないか、と思ってしまう。

 

だって、

 

唯一というのは〝ただ一つ〟ということだから、

 

こんなに唯一があったら、唯一でないじゃん、

 

て、思わずツッコミを入れたくなる。

 

 

まあ、

 

ひとつの事を多方面から表現しているんですっ、

 

と言われればそれまでだが、

 

なあんか、ご都合スピみたいで、変な感じがする。

 

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↑ ああ、フィリピンの夜は更けて…。



それで、

 

いろいろな〝唯一〟(笑)をよく確認してみると、

 

根底には〝神を選びたいとい意欲〟があった。

 

そして、意欲って一体なんだろうと考えたとき、

 

意欲とは〝根性〟である、という結論に至った。

 

いや、冗談ではない。真面目に言っている。

 

 

ここからは、あくまで私見なので、

 

軽い気持ちでお聞きいただきたいのだが、

 

〝頑張らなくていい〟〝自分でやらない〟

 

〝全部兄貴に委ねる〟〝聖霊に訊く〟

 

などと言うと、一見、根性とは無縁のようだが、

 

ようく、ようく、見てみると、頑張らないのだって、

 

頑張らないための根性が必要だし、

 

聖霊に委ねるにしても、

 

エゴに警戒するための〝根性〟を要する。

 

初期のフランシスなんてどう見たって、

 

〝スポ根漫画〟そのものではないか。

 

〝意欲〟などというと、上品に聞こえるが、

 

要は、根性を出すかどうか、ということなのだ。

 

別の言い方をすれば、

 

赦しが進み、聖霊に委ねきるようになるまでは、

 

根性で頑張る段階も必要だ、ということである。

 

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↑ HAPPY BUSINESS TRIP!  

 

ダイエットや筋トレや禁煙なんかも、

 

身体が順応するまでの数か月は死ぬほど辛いが、

 

それでもちょっと歯を食いしばってやっていくと、

 

あるときから、そんなに苦しくなくなってくる。

 

ロケットなども、大気圏を突き抜けるまでは、

 

ものすごい燃料を使い、重力の抵抗に遭いながら

 

必死で大気圏を突破しようとするするが、

 

一旦宇宙へ出てしまえば、後は勝手に進んでゆく。

 

 

だから、

 

自分はもうこんな世界にいたくない、もう嫌だ。

 

自分は平安だけを求める、と、宣言してから、

 

自我の大気圏を抜けるまでは、

 

別に〝ガムシャラ〟でもいいと思うのだ。

 

そうやっているうちに、聖霊が操縦席に座り、

 

あとは自動で運ばれてゆく。

 

 

〝聖霊があなたに求める唯一の事は、

 

 ほんの少しの〝根性〟だけである。〟

沖縄でリトリート

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もう、冗談か、というくらい仕事が忙しい。

 

今日もトレーナー氏に無理を言い、やっと夜の九時から、

 

二週間ぶりにセッションを受けることができた。

 

というのも、来週月曜から一時帰国休暇に入るので、

 

全ての支払処理を今週中に終えておく必要があったのだ。

 

 

駐在員には、毎回7日間の里帰り特別休暇が付与され、

 

稟議が通れば、往復の航空券も会社負担となる。

 

それで今年は、クリスマスの祝日5連休を利用し、なんと、

 

18日間の一時帰国が認められたのだ。(社長、好きっ!)

 

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今回は、沖縄経由で里帰りをする。

 

17日から19日まで、糸満市のPALM CHURCHで、

 

もりGさんと一緒に、リトリートをすることになったからだ。

 

 

ちょっとやってみたいワークや、語ってみたいこともあり、

 

主催者のもりGさんに僕の時間を作っていただき、

 

暖かい南の地でコース漬けの時間を過ごすつもりだ。

 

ウツボカズラ大放出や、兄弟に信を置くワークもやるよ!

 

それに、話は夜ひらく、ではないが、

 

リトリートの醍醐味は、何と言っても夜の語り合いにある。

 

おいしいワインをたくさん仕入れて行くので、

 

みなさん、寝不足は覚悟しておいてくれ!(笑)

 

なので、ご興味のある方は是非、是非…。

  

↓ 詳細は事務局である空禾さんのブログまで↓ 

ameblo.jp

 

生まれて初めてのリトリート、

 

本当はもっと早く告知したかったのだけれど、

 

仕事が忙しすぎた。

 

赦せ、兄弟!

 

 

あ、そうそう、もう、企業人は卒業で、

 

そこまでの聖霊の導きについても語ってみたいと思っている。

 

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 ただ、誤解を避けるために言うならば、

 

僕やもりGさんが先生になるのではない。

 

参加した全ての兄弟が、あるときは教師となり、

 

あるときは生徒となる。

 

 

兄弟が語る全てをただ受け容れ、信頼する。

 

もちろん、僕も信を置いた兄弟に全てをさらけ出す。

 

たとえ、何も語りたくない兄弟であっても、

 

それを、自分の大切な兄弟として受け止める。

 

アドバイスは必要ない。

 

差のない兄弟に何をアドバイスするというのか。

 

 

そのためのナビゲーター役を、

 

もりGさん、空禾さんと一緒に担えたらな、と思う。

5つのこと

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↑ スモッグに覆われた朝10時の上海。

   PM2.5で100メートル先も見えない

 

〝自分が聖霊の目的に仕えるためには、

 

    肉体は無罪と知覚されなければならない。

 

    なぜなら、ゴールが無罪性だからである。

 

    あなたは自分の肉体を、

 

 ただ罪なき者の為だけに使うことで、

 

 兄弟によって〝聖別〟されるだろう。

 

    そして、あなたも兄弟も、

 

 自分を攻撃する者がいると思っていたその場所に

 

 自分の救済者を見るとき、解放される。〟

 

(『奇跡講座 テキスト編』二十二章のどこか)

 

※聖別:神聖な用にあてる為、物又は人を、一般的、

    世俗的使用から引き離して区別すること。

 

 

この〝聖別〟と言う言葉、なんかカッコよくて好きだ。

 

 

目の前で、まるで〝有罪〟のように振る舞っている

 

兄弟の肉体に無実を差し出し、

 

その兄弟を自分の救済者として認識することで、

 

自分は兄弟から、聖なる神の子として聖別され、

 

解放される、という感じがあるから…。

 

聖別は、

 

神やどこかのマスターによって成されるのではなく、

 

眼前の兄弟によって成されるのだ。

 

 

ひとたび兄弟たちによって聖別されれば、

 

自分の肉体は聖霊の監督下に置かれ、

 

聖霊の目的を遂行するための全てを与えられる。

 

 

そうやって、これからの僕は、

 

これまでの慣れ親しんだ世界から〝聖別〟され、

 

聖霊の目的の為に動いてゆくのだろうなと思う。

 

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↑ 本日の上海は雲一つない快晴、なのだが…。

 

話は変わって、赦し、と一言で言っても、

 

何を以って赦しとするかは人によって違うと思うのだが、

 

現時点の僕が赦しとしてやっているのは下記の5つだ。

 

 

 1.やってくる全ての人や事に無罪だけを差し出す

 

2.兄弟がしていることに絶対の〝信〟を置く

 

3.自分が今、夢の中にいて、寝ている時に見る夢と

  同様、何も起こってないことを観察しながら過ごす

 

4.今在る平安〝だけ〟に集中する

 

5.自分がやったこと、言ったこと、決めたことの一切を

       受け容れ、どんなことがあっても絶対に咎めない

 

 

僕の場合、実際にできているかどうかは別として、

 

幻想の世界におけるどんな赦しのシーンにおいても、

 

大体、この5つのどれかに当てはまる。

 

しかしこれら〝5つのこと〟に共通して言えるのは、

 

それを「聖霊の中でやる」ということである。

 

僕の場合、聖霊を一個の人格の様には知覚しないので、

 

すでにここが神の子の中、聖霊の中として捉えられている。

 

それはやがて、天国、実相、聖霊、神を、

 

〝受け入れる〟〝受容する〟〝肯定する〟という、

 

〝ひとつのこと〟に収斂されてゆく。

 

 

〝5つのこと〟は、

 

僕に、計り知れないくらいの知覚の変化をもたらした。

 

その中で最も大きな知覚の変化は、恐れの消失だろう。

 

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↑ 香港に戻って青空を見たとき、なぜかホッとした

 

僕は香港用と中国大陸用のスマホを2台所持している。

 

しかし、今回フィリピンから香港へ戻る飛行機の機内に、

 

中国大陸用のスマホを置き忘れてきてしまったのだ。

 

香港市内行きの列車の中でそのことに気づいて、

 

慌てて空港に戻り、キャセイパシフィック航空の

 

遺失物管理所へ駆け付けたが時すでに遅し、

 

当該機はすでに上海へと飛び立った後だった。

 

清掃部に問い合わせたが、遺失物は無かったという。

 

今回は慣れないビジネスクラスだったこともあり、

 

雑誌などが入っているラックにスマホを入れていた。

 

結局、上海に着き次第座席を調べてもらうことになった。

 

 

スマホを失くすということは、この現代社会に於いて、

 

恐怖以外の何物でもないはずなのだが、

 

キャセイ航空のスタッフに全面的な信を置き、

 

同時に、この夢の出来事を全面的に受け入れ、何より、

 

やっちゃった、と思っている自分を絶対に咎めない、

 

というスタンスでいると、もし、スマホが出てこなくても、

 

全ては無罪で何も起こっていない、と知覚できてくる。

 

↓ そう言えば以前もこんなことがありました ↓

blog.hoshitani-shusaku.com

 

ただ、中国出張の際は、WE CHATが使えなくなるので、

 

タクシーを呼んだり、買い物にはちょっと不便かな。

 

でも、中国用のスマホを失くしたということは、

 

なんだか中国を手放してしまったようにも思え、

 

ちょっと喪失感は出てきたが、

 

これも夢の姿として、消えてゆくのだろう。

 

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↑ 上海のホテルの寝室の壁に掛かっていた絵。

   改めて見ると、こ、怖いっ!怖すぎる!

 

 

で、あくる日の夜、そのことをふぁちゃんに伝えたら、

 

「なんで、すぐ失くしたケータイに電話しないのよ?」

 

と言われ、この時になって初めて、

 

自分のケータイを失くした時はとりあえず電話してみる

 

という方法があったことに気づいたのだった。

 

それで、慌てて電話してみたが、留守電になっていた。

 

 

電池がなくなったのか、それとも誰かにSIMを抜かれたのか、

 

昨日失くしたことを知った時点で電話していれば、

 

まだ間に合ったかも、と思ったところで後の祭りだった。

 

 

これはもう受け容れるしかない。

 

だって、失くしたその時、スマホに電話してみる、

 

という〝ふっ〟が起こらなかったんだもん…。

 

そのことに気づかなかった自分がダメなのでもなく、

 

ましてや、それは罪ではない。

 

 

よし、今夜は、紀平選手のトリプルアクセルでも見て、

 

たくさん元気をもらうことにしようっと。