香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

介護と遺産とドラ息子

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僕ら、40代、50代の日本人が抱える問題と言えば、

 

だいたい、子供の問題か、親の介護の問題、

 

そして、遺産問題のどれかに集約される。

 

 

今どきの子供は、二十歳くらいになっても親に向かって、

 

「死ね!」くらいのことは平気で言うらしいし、

 

親の介護にしても、優しくしたいとは思うけれど、

 

疲れている時に、理不尽なことを言われたりすると、

 

溜まっていた積年の恨みなどもあったりして、

 

反抗期の子供のように、きつい言葉を吐いたりする。

 

遺産の問題に至っては、

 

弁護士が全て事務的に解決してくれるくらいの、

 

莫大な資産があるのなら別だが、

 

僕みたいな普通の家庭だと、

 

銀行にある小金や、実家の土地や家の分与を巡り、

 

兄弟の間で、ちまちまと、セコく争うこととなる。

 

 

こんなとき、コース兄弟だと、何はともあれ、

 

自分の心の中を赦すことをやっていくと思うのだが、

 

それでも、最後には、実際的な選択と行動を迫られる。

 

 

もちろん、聖霊に全ての問題の解決を求めた後は、

 

(聖霊による量子の最短化が設定された後は…。)

 

基本、自分は何もしない、というのがベストではある。

 

心の中だけではなく、物理的にも…。

 

きいぃーっ、と〝ひきつけ〟を起こしそうになるが、

 

〝今にいることを連続させてゆく〟ことに集中すれば、

 

物理的に何もしないことも、案外できる(かな?笑)。

 

 

しかし、物理的に何もしない、という意味は、

 

どんな現実が展開されていても、何も言わず、何もせず、

 

石のようにじっとして動かない、ということではない。

 

そこに損得(損失)の考えがあるか、が焦点となってくる。

 

どのような形を取っているように見えても、

 

問題とはいずれも、自分が得をするために誰かが損をし、

 

犠牲を払うべきだという要求だからだ。

 

 

どういうことかというと、

 

みんな、トイレへ行ったり、食事をしたりするが

 

「トイレへ行くとトクだから行ってきます!」

 

とはやっていないはずだ。

 

〝ふっ〟ともよおすからトイレへ行く。

 

〝ふっ〟と腹が減るからメシを食う。

 

聖霊に問題の解決を依頼した後の行動というのは、

 

そういうレベルだと思うのだ。

 

なので、聖霊に問題の解決を求めたあとは、

 

自分の中から出てくる〝ふっ〟に従って行動する。

 

それがたとえ、

 

相手に怒りを爆発させるような言動であったとしても、

 

とっ掴み合いの喧嘩であったとしても、だ。

 

僕たちは、そういうネガティブに見えるような行動は、

 

いけないこと、と思い込んでいるが、

 

してはいけないことが何か、なんて、

 

肉体の僕たちには分からないのだ。

 

聖霊に問題の解決を依頼した後は、

 

目の前に現れる人や、出来事や、

 

心の中に現れる感情を信頼して動く。

 

 

ただ、今の僕は、

 

この世界が自分の心の中で、顕われる兄弟は全て、

 

自分の〝こころ〟そのものに見えているので、

 

兄弟が抱く罪悪感は、自分の罪悪感と感じられる。

 

なので、上記のような事柄に直面したら、まずは、

 

〝5つのこと〟を使って心の中の赦しを行なうと同時に、

 

〝深く寄り添う〟ことと〝相手に罪悪感を抱かせない〟

 

というスタンスを軸にして動くようにはしている。

 

愛情からではなく、愛からの行動というのは、

 

相手に罪悪感を抱かせることなく、ただ寄り添うことだと、

 

深く思うからだ。

 

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これはあくまでも、

 

形態レベルの一例(←ここ強調)なのだが、

 

反抗期の子供が、親である自分に暴言を吐いたとして、

 

それを親が〝自分では何もしない〟スタンスで、

 

ただ、黙って受け入れるだけだったなら、我が子は、

 

無意識の罪悪感を抱いたまま成長することになる。

 

僕も、高校時代は、少々ヤンキー寄りだったので、

 

母親にいろいろ反抗的態度を取ったりしたものだが、

 

幸いにも、僕の母親は典型的な大阪のオカンだった為、

 

「なんじゃ、親に向かってその口の聞き方はぁーっ。

 

 もう一回言うてみぃーっ、メシ抜きや!」

 

と、ホウキを持って追い掛け回されたので、

 

僕は罪悪感を持つことなく成長できたのだと思う。

 

これが、ただ受け入れ、赦すだけの母親だったら、

 

きっと、たまらなかっただろう。

 

 

親の介護だって同じだ。

 

ついつい、きつい言葉を吐いてしまうのも、

 

それはそれでいい、と僕は思うのだ。

 

なぜなら、罪悪感を感じているのは親ではなく、

 

自分であるので、

 

「ええ?またおしっこ?さっき行ったばっかりやん!」

 

「ああ、もうアカン。ヘルパーを頼みたい。」

 

とぶつぶつ言ったほうが、介護される方も気が楽で、

 

外きちっと寄り添えたりする。

 

 

遺産問題にしても、争いたくない、自分が赦せばいいんだ

 

と、兄弟たちの間で、不利な取り分に同意したなら、

 

自分はそれでいいかもしれないが、金銭と同じ分だけ、

 

相手に無意識の罪悪感を押し付けることになる。

 

無意識の、というところが肝心で、

 

相手が、多くもらえて喜んでいようと、

 

そんな表面上のこととは一切関係がない。

 

なので、相手に無意識の罪悪感を抱かせない

 

という観点から言うならば、たとえ修羅場となろうとも、

 

それが〝ふっ〟と起こってそうなったのなら、

 

きちっと話し合って公平に決着させるべきだ。

 

 

心の中だけを赦せばいい、を隠れミノに、

 

さまざまなものを無かったことにしてしまうのは、

 

ちょっと乱暴かな、と思うのだ。

 

なぜなら、すでに聖霊に解決を願ったのだから、

 

その後にどんな〝ふっ〟の想いや行動が出てこようと、

 

それはもう聖霊から差し出されたものである。

 

そこを信頼することが、

 

何もしない、の真の意味だと思うからだ。

 

 

要するに

 

子供、親、親族、が見せてくれるパフォーマンスは、

 

それがどんなものであろうと、正しいのだ。

 

それに対して、自分が持った、

 

強烈な怒り、悲しみ、憎しみもまた正しい。

 

それを否定するのではなく、きちっと一度認識して、

 

すったもんだやるならやって、最後に明け渡す。

 

それに対して、わたしは赦していない、などと

 

思う必要もない。

 

なぜなら、これも聖霊の中で起っている事だからだ。

委ねた後は、とりあえず眠れ!

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元日に香港へ戻り、3日の午後から上海へ行っていた。

 

何じゃこりゃ、というくらい仕事がたまっているのに、

 

出張に出てしまうとデスクワークができない。

 

ケリーがいた頃はサインだけしていればよかったが、

 

今は、自分で小切手を発行して、自分でサインをする。

 

それに、香港も、上海も、小雨がしくしくと降り、寒い。

 

2週間前に、沖縄で夕陽を見ていたのが嘘みたいだ。

 

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上海では、上海事務所近くの虹橋迎賓館に泊まった。

 

高い塀と、森に覆われた瀟洒なホテルだ。

 

レストランのビュッフェもおいしく、ワインも美味い。

 

ただ、上海の中心部にあるにもかかわらず、

 

正門から森を抜け、本館に辿り着くまで10分はかかる。

 

今回の上海滞在時間はきっかり24時間、

 

銀行→税務局→証券会社→会計院、を一日で回った。

 

ああ、疲れた!

 

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帰りの機内で、日本滞在中に購入した、

 

小森圭太著『潜在意識の書きかえ方』という本を読んだ。

 

引き寄せの法則のコーナーにあった本なのだが、

 

ぱらぱらっとページをめくってみて、

 

量子理論を、現実にどう反映させてゆくかについて、

 

分かり易く解説されていたので興味を持った。

 

文字も大きくイラストも多いので、一時間で読了できた。

 

 

量子は、対象物に意識を向けていなければ波となり、

 

対象物に意識を向けると粒(物質)となる。

 

つまり、量子が物質化するには、

 

人間の意識の介在(観測)が不可欠なのだという。

 

月を見ていないときは、月は存在しない、というわけだ。

 

 

このくだりを読んでいた時、ひょっとして、

 

聖霊の采配も、同じメカニズムなのではないか、

 

と直感した。

 

 

聖霊が僕たちの問題を解決するには、

 

量子が波である状態、すなわち、僕たちの意識が、

 

その問題に向けられていない状態が必要となる。

 

逆に言えば、僕たちが過去や未来について心配したり、

 

特定の物に執着していれば、

 

それらの問題を〝時空に存在させている〟ことになり、

 

その間、聖霊は僕たちの意識に介入できなくなるのだ。

 

 

ある事柄について、聖霊お願いします、と委ねた後も、

 

「あの問題はどうなったかな、どうしたらいいかな。」

 

と、終始そのことについて考えているなら、

 

量子が粒(物質)として顕在化しているため、

 

結果、聖霊は訂正を行なえないというわけである。

 

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それじゃあ、その問題について何も思考せず、

 

量子が波に戻っているとはどんな状態の時なのか、

 

と考えてみたところ、それは恐らく、

 

眠っている時か、今この瞬間に在る時だ、

 

と、言うことができるだろう。

 

 

眠っていれば思考は(ほとんど)機能できないし、

 

今、この瞬間だけにフォーカスしていると、

 

今、見えているこの景色以外は全て波に戻っている。

 

なので、量子的な観点から見た、

 

自分では何もしない、というのは、

 

行動として何もしない、という意味ではなく、

 

意識がどこへも向けられていない状態を指す。

 

 

素粒子は原子の周りを電子が高速でスピンしているし、

 

地球だって回っている。場は常に動いているのだ。

 

自分でその動きをコントロールすることは不可能である。

 

だったら、量子の動きを信じて、ただ今に委ねていた方が

 

聖霊は僕たちを助けやすくなるのではないか。

  

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だから、

 

「うわっ、どうしよう!」と思うようなことが起こったら、

 

量子を波の状態に戻しておくために、

 

先ずは、いま、ここに現れているものに感謝し、

 

それでも、びゅんびゅんウジウジ、となるなら、

 

とりあえず、爆睡するのもアリだ。

 

 

とまあ、

 

ちょっと〝引き寄せチック〟な感じで、

 

上海から香港へ戻ってきたボクであった。

みんなで越えるぜ!

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↑ 「ああー、来るぅーっ!」

  今年の紅白でもちゃんと〝越えて〟くれました。

 


先日、歯のホワイトニング(漂白)に行って来た。

 

ホワイトニングの前には必ず、

 

歯石を取り、虫歯も治療するので、歯の健康にもよい。

 

前回やったのが4月で、8カ月が経過していたが、

 

あれだけ、赤ワインとかコーヒーを飲みまくっていたのに、

 

ほとんど変色はなく、治療後は、前回より白くなった。

 

全部やってもらって一万五千円だった。 満足っ!

 

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↑ 「いくぅーっ!」

   今年は〝トリ〟だったからか、越え方が半端なかった

 

大阪の実家では、仕事もオフで、静かに過ごせたため、

 

ずっと、自分の内側と向き合う赦しをしていた。

 

また、実家にいることもあり、赦しのきっかけとなるのは、

 

やはり、両親へのイラッ、である。

 

 

例えば、母は電気代の節約にうるさい。

 

電気を食うから、とテレビのコンセントもその都度抜く。

 

僕は寒かったら部屋中の暖房を点けっぱなしにする。

 

暖房を消して、そのくせぶるぶる震えている母に、

 

イラッとした僕は、一万円をポンと投げつけ、

 

滞在中は好きなだけ暖房を使わせてもらう、と宣言した。

 

それでも、親子というのは、

 

ダイレクトに感情をぶつけ合っても、すぐまた、

 

普通に笑い合い、仲良くできるから不思議だ。

 

 

しかし、こんなとき、この〝ふっ〟と湧き上がる想いを、

 

内なる決断の主体まで戻し、そこで何がなされているのかを

 

認識してゆく作業はとても大切だ、と思う。

 

 

セコくて頑固な母にイラッ→金で解決の自分にイラッ→

 

イラッの元ネタは、天国から離れたという想い込みだった

 

→本当は天国へ帰りたい→自分は神が大好きだったんだ

  

と、そこまで遡ったあと、神へのとてつもない愛を見つめ、

 

その裏返しである想いを聖霊へと捧げてゆく。

 

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結局、全てのイラッや、びゅんびゅんや、ドキドキは、

 

父が待つ故郷へ帰還したいという想いの裏返しだった。

 

以前、沖縄リトリートで、内側をどんどん遡ってゆくと、

 

どんな赦しも、最後は、父が待つ故郷へ還りたい、

 

という想いへ行きつく、と、どなたかが言っていたが、

 

ほんとうにそうだな、と改めて実感した。

 

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↑ 越えたっ!

 

とまあ、こんな感じで、最近の僕は、

 

どこかへ出かけて、何かを見たり、したりするより、

 

内なる自分(聖霊)と向き合っている方が、平安で楽しい。

 

全ての問題は〝そこ〟へ運ばれ、解決される。

 

だから、自分が抱える全ての問題を、

 

聖霊に解決してもらうことを全面的に意志してゆく。

 

 

〝聖霊が問題を解決する時、その答えは常に、

 

 誰も損失を被ることのない答えである〟

 

(※『奇跡講座』 第25章 神の正義より)

 

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↑ フィニッシュ!

 

というわけで、

 

謹賀新年、明けましておめでとうございます。

 

幻想としての僕の2019年は、

 

これまで良しとしていたものが根底から覆えされそうな、

 

まったく予想もしなかった場所へたどり着きそうな、

 

そして最後には、兄貴の采配に感動の涙を流すような、

 

激動の一年となりそうである。

 

それでも兄貴は、僕を怖がらせたり、僕に代償を求めたり

 

僕を傷つけるような事は絶対にしないという確信がある。

 

 

なので、今年も、兄貴と兄弟に信を置き、

 

問題を全て兄貴に運んで、解決してもらいながら、

 

故郷への帰途を歩んで行こう、と意志している。

 

 

あ、それと、あとは、引き寄せの法則を使い、

 

芥川賞を獲ってベストセラー作家になり、

 

夢の印税生活を送ることです。

 

(↑ ウソぴょん!← ちょっとホント…)

 

↓ 過去の天城越えの記事はこちら ↓

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