香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

春分の日とアセンション

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↑ トレーナーがフリーになったので、

   新しいジムで筋トレをしている。

   これは、人型サンドバック

 

今日はあまり体調がよくなかった。

 

朝から下痢気味で、昼過ぎから吐き気までしてきた。

 

少し身体も熱っぽいし、めまいもする。

 

春分の日が近づくと決まって体調が不安定になるが、

 

今年は特に重症だ。

 

やはり、今年の春分の日は、

 

それだけエネルギーが強烈だということか。

 

 

な~んていうのはウソで、

 

本当は、会社の冷蔵庫にあったマヨネーズを、

 

お弁当のおかずにかけて食べたら、

 

下痢して、吐きそうになって、熱が出た。

 

ここ二日ほど、

 

冷蔵庫のコンセントが抜けていたことに気づかず、

 

その間にマヨネーズが腐ってしまったんだろう、

 

と、エドワードが教えてくれた。

 

かぁぁー!もう、はやく言ってよーっ!

 

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そう言えば、バシャールや、その他のチャネラーが、

 

今年の春分の日を境に、

 

其々の周波数のパラレルへと人々の分岐が加速し、

 

来年の春分の日にそのゲートが完全に閉じると、

 

他のパラレルへの移行が不可能になるのだという。

 

 

これらのチャネリング情報の真偽はともかくとして、

 

僕自身も直感的に、2019年はなんだか、

 

大きな分岐が起きて行く年のように感じている。

 

 

周囲の知り合いや、友人たちを見てみても、

 

突然、これまでのやり方がうまく行かなくなったり、

 

職を変えることになったり、住むところが変わったり、

 

人間関係が急激に変化して、

 

全く違うことをすることになったり、と、

 

突然、人生の路線変更を迫られている人も多い。

 

 

その際、新しい道を受け容れる人もいれば、

 

何とか軌道修正し、これまで通りにやっていこうと、

 

四苦八苦する人もいる。

 

 

まあ、

 

奇跡講座の見地から言えばバリバリ幻想な話だが、

 

その奇跡講座の学習コミュニティでさえ、

 

全く違うコースを学んでいるのではないか、というくらい、

 

パッカァー、といくつものグループに分かれつつある。

 

 

なんか、今思ったのだが、

 

そういう意味で、アセンションとは究極の分離だ、と思う。

 

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↑  内戦で壊滅状態となったシリアのアレッポ産石鹸。

    ジムの近くの書店で発見し、購入。

 泡立ちがよく、オリーブのいい香りがする。

 

というわけで、今年の春分の日は〝自分の選択〟を、

 

今一度、きちんと見直す日にしたいと考えている。

 

 

まあ、奇跡講座を実践している身としては、

 

決断の主体から常に聖霊兄貴を選んでいく、

 

というのはもう、日常中の日常となりつつあるが、

 

幻想レベルで言えば、みなさんご存知のように、

 

僕は企業組織に属する会社員である。

 

もちろん今の毎日が最善だとは思っていないけれど、

 

このまま定年までウダウダ行こうと思えば余裕で行ける。

 

それでも、香港の生活を引き払って東京へ行けば、

 

これまで慣れ親しんできたサラリーマン生活とは別の、

 

全く違った世界が用意されていて、

 

多分僕は、そちらの方を選択することも目に見えている。

 

しかし、そこに、以前のような恐怖や動揺がない。

 

どんな選択をしたにせよ、それはただ、幻想の形態が、

 

AからBへと変化したに過ぎず、どちらも幻想だ、

 

と分かっているうえで選択している自分がいる。

 

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というわけで、今日は、

 

奇跡講座とは全く関係のないことばかり書いてしまった。

 

春分の日は代休を取るつもりだったのが、

 

あいにく、マニラへの移動日になったので、

 

飛行機の中で、空の上から、

 

ワクワクへの移行ワークでもすることにする。

 

(↑ ウソぴょん! )

 

注目の眼差し

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↑ お気に入りのマイヤーズラムがどこも品切れなので、

   キューバのハバナクラブを試してみる。

   あっさりしていて、香りもよい。

 

土曜日は雨が降っていたので、家でまったりと過ごした。

 

コーヒーを淹れ、ひとしきり書き物をした後、WOWOWで、

 

恐怖映画を観てから、宅配のベトナム料理を食べた。

 

夜は、加藤三代子氏のフォーラムを学習しながら、

 

ラムロックをちびちび飲んでいると、酔っぱらった。

 

ここのところ、いろんな所へ行きまくっていたので、

 

久しぶりに家でのお籠り休日を楽しんだ。

 

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↑ 宅配ベトナム料理。なぜか二人前来たよ。

   土曜と日曜の二日に分けて食べる。

 

最近、与える、とはどういうことかと考えたとき、それは、

 

相手に全力の〝注目〟を向けることだ、と、ふと思った。

 

人だけではなく、草木や、建物や、街の喧騒など、

 

見えたり聞こえたりするものに注目を以って寄り添う。

 

それだけで、すでに与えているのではないか、と…。

 

 

僕たちは、日々の生活の中で、あまりにも簡単に、

 

周囲の人々の言動や風景を軽く〝いなし〟過ぎている。

 

僕のように仕事で忙しかったり、また逆に、

 

生活があまりにゆったりしすぎていたり、

 

歩いている時にもスマホに目を落としていたりすると、

 

やってくるものに対し、無知覚になってしまいがちだ。

 

 

相手にちゃんと〝注目の眼差し〟を向けることによって、

 

そこから浮上してくる様々な〝個の想い〟を直視できる。

 

その中で、相手を咎めたり、裁きたくなったり、または、

 

自己の正しさを主張したくなったりしたとしたら、

 

その想いはどこから来ているのか、ということに気づいて

 

心(決断の主体側)へ向かう動機とする事が可能となる。

 

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↑ いまは、グアテマラコーヒーを飲んでいる。 

 

実は、先日の佛山出張でも、

 

このスタンスで現地の会計士と向き合っていた。

 

彼女は国税登記を抹消するには、増値税130万元

 

(約2000万円)を支払わなければならないと主張する。

 

普通、会社が雇った会計士なら、会社の為に、

 

いろいろな減税処置を行なってくれるはずなのだが、

 

彼女はただ「払え」と言うばかりだ。

 

まあ、長年中国で仕事をした人ならわかると思うが、

 

この130万元の中には彼女の取り分も含まれている、

 

と容易に推察できる。

 

 

打ち合わせの間、ずっと決断の主体の位置から、

 

自分の反応も含めて、この〝戦場〟を観ていた。

 

その間も、心は、聖霊と自我を行ったり来たりする。

 

税金がどうのこうの、というやり取りをしながらも、

 

相手の信じている間違った思考体系を見て、

 

それに対し、自分はただ聖霊の思考体系を示し続ける。

 

それは、心の中だけで行なわれる行為であり、

 

物理的に自分は何もしない。

 

相手が差し出すエゴの思考体系を使って、

 

自分の思考体系を真実にしてゆくのだ。

 

その過程で、正しさを主張する自分や、

 

防衛するために攻撃する相手を咎めたくなる自分

 

が出てきても、裁くのは自分の仕事ではない、と、

 

自我に断言する。

 

もちろん、表面上は普通に会社員としての対応をする。

 

でも、その間『家を売るオンナ』の北川景子のように、

 

両目をカッ、と見開き、相手に〝注目〟し続ける僕に、

 

相手の会計士も、かなりビビり気味だったのは確かだ。

 

 

と言っても、〝その最中〟は、

 

戦場を直視することだけで精いっぱいなのだが、

 

帰りの社用車の中で、改めて決断の主体へと入り、

 

本当の原因は分離を信じたことにある、

 

と思い出してゆく。

 

自己も他者とのやりとりも、

 

全てここ〝一点〟だけでやっている一人芝居だ、

 

という位置から観て、聖霊へと選び変えてゆく。

 

 

まあ、文章にすると何だかややこしいが、

 

こんな風なことをだいたい10分くらいでやり、

 

その後は、ずっと、分離など起こっていなかった、と、

 

聖霊と共にハートの中で過ごす。

 

 

このように、現実世界を教室として使い、

 

心へと戻る動機としている今日この頃であるが、

 

以前と違ってきたのは、相手に動揺しなくなったことだ。

 

いずれは相手も必ず天国へ帰る身であり、

 

それはもう時間の問題だと解かっているので、

 

同じ神の子として、安心して対峙することができるのだ。

 

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そう言えば、今週21日は春分の日だ。

 

毎年、この日はなぜか、

 

めまいが酷かったり、すごく眠かったりと、

 

何かと体調が狂うのがわかっているので、

 

思い切って代休を取ることにした。

 

 

まあ、働き方改革の一環で、今年から、

 

正社員は年間5日以上有休を消化しないと、

 

企業に罰金が科せられるようになった。

 

 ありがとぉーっ!安倍総理

 

あのころ

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↑ 西九龍駅からの風景

 

今日は、広東省の佛山へ日帰り弾丸出張に行ってきた。

 

佛山工場の国税抹消手続きがまだ終わっておらず、

 

その話し合いをするため、地元の会計士を訪ねたのだ。

 

佛山工場を閉鎖したのが2017年8月だったから、

 

もう、かれこれ2年近くの月日を経たことになる。

 

 

もう一度、あの頃の記事を読み返してみると、

 

その時代を懸命に赦している自分がいた。

 

当時、自分が何を隠しているのかを見せてくれ、

 

赦しが完結すると同時に消えて行った兄弟たちには、

 

本当に感謝しかない。

 

僕がいま、比較的容易に決断の主体まで戻れるのも、

 

赦させてくれた兄弟たちのおかげだ、と言える。

 

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二時間ほどで打ち合わせを終え、

 

去年開通したばかりの高速鉄道を試そうと、

 

社用車で広州西駅へ向かった。

 

切符売り場を探すが、駅があまりに広すぎて、

 

どこに何があるかが全く分からない。

 

そこらにいる人に訊きまくり、行列に並んで、

 

なんとか切符を買うことができた。

 

 

速い、速すぎる。時速400キロ出てる。

 

これまで2時間半かかっていた広州 - 香港間が、

 

たった50分で着いてしまった。

 

中国側の出国手続きも、全て香港側で行なうため、

 

中国の公安の制服を着た警官を香港側で見た時には、

 

ちょっと違和感、複雑な気分になる。

 

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↑ 香港行きの列車を待つ人々 

 

このように、現実世界は、時事刻々と変化してゆく。

 

それで、最近、ようやく納得したのが、

 

幻想のカタチが変わることに意味はない、ということだ。

 

 

どういうことかというと、

 

例えば、お金のない人が、何かのきっかけで、

 

突然お金持ちになったとする。

 

それを、決断の主体から観ていると、

 

お金が無い、という幻想の形態が、

 

お金がある、という別の幻想の形態に変化しただけだ、

 

というふうに捉えられてくる。

 

一つの幻想が、別バージョンの幻想に移行しても、

 

どちらも同じ幻想であり、従って、実在から見れば、

 

両者には結局、何の差異もない、と知覚されてくるのだ。

 

 

別に、この世で幸せになるのを否定する訳ではないが

 

この世のレベルでの変化は真の変化ではない。

 

真の変化は心のレベルでのみ可能だからだ。

 

 

なぜなら、この世の幸せは一時的なものであり、

 

どんなに素晴らしい時間を過ごせたとしても、

 

また、どんなに夢が叶い、幸せになったとしても、

 

幻想は必ず別の形態に変化するし、分離をする。

 

よって、次の瞬間には別のモノになってしまうものに、

 

意義を見出すことは不可能である。

 

 

「別に幻想レベルで幸せであってもいいじゃん。

 

    この世界での愛や調和を感じて何が悪い。

 

    だって、もともと神の子には罪など無いのだし、

 

    必要な赦しは、聖霊が差し出してくれるのだから。」

 

 

全くその通りである。

 

しかし、自我の世界での苦しみと幸福、葛藤と平安は、

 

変化することに於いて、同等であるが故に幻想である。

 

なので、実践を続けていくと、いつかは必ず、

 

私の愛、私の子供、私の家、私の大好きな仕事、などを

 

ひとつ残らず、手放してゆく時が来る、と断言できる。

 

なぜなら、これらを持って、戻っては行けないからだ。

 

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僕の場合、

 

決断の主体から、ハートのエクスタシーに入るたび、

 

もう実存だけでいい、早くこの幻想の牢獄から出たい、

 

と心底思う。

 

 

この世界の幸せも、愛も、調和も、必ず最後は分離する。

 

なので、今の僕には、そんなものはもう必要ないので、

 

完全に〝ひとつの心〟(原因)へと戻り、

 

聖霊と一体となって、天国へ戻る道を選択する。

 

 

もちろん、日常では、たくさんの葛藤が上ってくる。

 

でも、それも、僕に観とめられるために出ている。