香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

赦すために働く

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〝聖霊が顕現されて見出される神殿というのは、

 

 関わり合いの中にあります〟

 

 

『奇跡の原理』の原理20に出てくる言葉が深く入る。

 

あらゆる人々との関係の目的を、

 

自我の罪悪感から、Jの赦しへと移行させることで、

 

聖霊がここにいることが、分かるようになるというのだ。

 

 

肉体ではなく、心の中(背後)から兄弟に繋がる為には、

 

常に、決断の主体から世界を眺めることが必要となる。

 

その位置から再び出てしまわないために、

 

あらゆるシーンで聖霊兄貴を想いだし、警戒してゆく。

 

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↑ 夜の無人駅 

 

今週火曜は、甲府本社で終日会議だった。

 

午前中は部門長会議があり、午後からは、

 

香港支社の来期(7月~)予算策定会議に参加した。

 

 

こう見えて、僕は、

 

大勢の人の前で何かを発表することが大の苦手である。

 

大勢の前で誰かからツッコまれることに、

 

多大な恐怖を感じてしまうのだ。

 

冷静に考えれば、普通に答えられることでも、

 

ツッコまれたその瞬間は、攻撃されているという恐怖に、

 

あたふたしてしまうのである。

 

;実際には誰も何とも思っていないのだが、本人は、

 

恥をかかされた、プライドがずたずたにされた、

 

と妄想して、心の中がぐじゅぐじゅ状態となってしまう。

 

 

部門長会議が始まった。

 

あいにく、香港支社の発表は一番最後だ。

 

僕はびゅんびゅんしんがら順番を待っていた。

 

しかし、僕はもう、妥協なく赦すと決心していたので、

 

順番を待つ間も、J兄貴を想いだしつつ、

 

神の子が無いものを見て動揺するのはあり得ない、

 

と宣言しながら、びゅんびゅんを兄貴に運び続けていた。

 

 

このとき、メインとなるのは、

 

会議で自分が事無きを得ることではなく、

 

どんなびゅんびゅんの最中であっても、

 

J兄貴を想いだし、そのびゅんびゅんを、

 

これは自我であり、故に無だ、と、直視していることだ。

 

もう、会議の内容が云々よりも、観る事だけに集中した。

 

 

そもそも、兄弟たちは自分に対して何も為さなかった。

 

故に、自分は、

 

兄弟が何も行なわなかったことを赦すだけである。

 

全て自分自身の心の中だけでやっていることに気づく。

 

 

そうやって〝無意識没入状態〟に警戒しながら、

 

いま、この瞬間瞬間を過ごした。

 

まあ、いつもそうなのだが、心の中の動揺とは裏腹に、

 

会議は滞りなく進み、あっけなく終わった。

 

そうして夜、社長やその他幾人かで食事に行き、

 

なぜか、昔の80年代アイドルの話で盛り上がった。

 

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↑ 田舎の旅館の温泉で… 

 

こんなとき、以前の僕であれば、解放された気安さで、

 

J兄貴のことなど忘れ、はちゃけてしまうのだが、

 

もうどんな一瞬も、J兄貴は自分の心の中に生きている

 

ことを自覚し、心側から兄弟とつながる、

 

という確固とした意志を持ちながら過ごした。

 

それはもう、

 

一瞬たりともJを忘れない、という宣言でもある。

 

 

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↑ ドーミーインは朝食がすごい! 

 

とまあ、そんなこんなで、東京へ戻ってきた。

 

今回は、八丁堀ドーミーインに泊まった。

 

ここには、硬度ゼロの超軟水温泉がある。

 

この湯に浸かると、皮膚も髪も、さっらさらになるのだ。

 

夜には、無料の夜鳴きそばも出るし、

 

フロントのコーヒーも飲み放題である。

 

それに、何と言っても朝食がすごすぎる。

 

ビュッフェ形式で、

 

和食コーナーと洋食コーナーがあるのだが、

 

両方はとても食べられず、今回は和食にした。

 

これで、一泊9800円なんて、コスパ良すぎ!

 

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あくる日は、新会社設立一周年記念式典に出席した。

 

メインは甲府本社で行われるのだが、僕は午後の便で

 

香港へ戻るので、東京支社からZOOMで参加した。

 

くす玉割りもあり、記念の紅白まんじゅうももらった。

 

こういうとこ、うちの会社はかなり日本的である。

 

財務だから知っているのだが、新会社の業績も好調だ。

 

 

帰りの飛行機は、久々のイケイケキャセイ便だった。

 

氷河の流れのように優雅なJALのCAさんとは裏腹に、

 

まるで流星の如く、シャカシャカ動くキャセイのCAさん。

 

映画を観ながら、赤、白、赤、白、とワインをおかわりし、

 

映画の後は、奇跡の原理を読んですごした。

 

 

ワプニック兄貴、さすが、年季が入っているだけあり、

 

やはり昔の人は表現が上手い。

 

 というわけで、ほろ酔い気分で香港に着いたボクであった。

ある決意

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昨日は香港から山梨の甲府まで、長い移動の旅だった。

 

朝8時に香港の家を出て、啓徳空港から成田へ飛び、

 

そこからバスに乗り換え、甲府へと向かった。

 

甲府からローカル線に揺られ、降りた無人駅から、

 

一台だけ停まっていたタクシーで宿へ…。

 

こうして、街に一軒だけある古い旅館に入ると、

 

従業員はすでに帰宅し、フロントに鍵だけ置いてあった。

 

地方の温泉旅館独特の、漆喰と古い畳の匂い。

 

なんだか、昭和を想いだす。

 

部屋で一息ついた時は、夜の10時を過ぎていた。

 

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長い長い移動中、僕は、

 

ひとつひとつの現実(僕の場合は会社がメイン)を、

 

一つの妥協も無く赦していく、と、堅く決心していた。

 

一寸の取りこぼしも見逃すことなく、自我は無であり、

 

自分は自我ではない、ときっぱり否定してゆくのだ。

 

 

同僚にイラッとくるとき、チョー緊張する会議の場で、

 

又は、電車で見かけた人や明日の事を考えている自分、

 

事がうまく行ってホッとしている自分、などなど、

 

それら一刻一刻のシーンにコ―スの概念を適用し、

 

これは自分でもなければ本当でもない、と宣言してゆく。

 

 

これまでだって、実践はやってきた。

 

しかし、どこかまだ、世界に没入していたい自分がいて、

 

どんなシーンにも警戒する、とは言い難かった。

 

でももうこんな中途半端な赦しをしていても仕方がない。

 

少しでも離れていたら、それはもう自我を選んでいる。

 

で、〝決断の主体から見えている世界〟を守る為だけに

 

警戒してゆこう、と思った。

 

 

こうなるともう、会社で仕事をする事がメインではなく、

 

また、日常生活を潤滑に送ることが目的ではなく、

 

仕事を通してコースを生きること、また、24時間、

 

コースそのものとして在ることが最優先事項となる。

 

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閑話休題。

 

さっき、自我を否定してゆくと書いたが、

 

やはり重要となってくるのは、

 

聖霊を選ぶ、でもなければ、自我を選ばない、でもなく

 

世界(自我)は〝無〟だ、という完璧な否定である。

 

 

しかしまた、これにはかなりの覚悟が伴う。

 

本気でこれをやり始めると、自我が黙っていないからだ。

 

経験済みの僕が言うのであるが、僕の場合、

 

それはもう、巨大な虚無となって襲いかかってくる。

 

テレビで楽しい番組を見ているだけでも苦しく、

 

やるせない思いに締め付けられるのだ。

 

 

これって、かなりマニアックで、ドン引きな道だ、

 

自分でも思う。

 

この夢の世界で、幸せな愛と調和の毎日を送りたい、

 

と望んでいる、よい子の皆さんには、

 

決して、決しておススメしない。

 

真似すると、どえらいことになるよ!

 

(↑ しねーよっ! from 読者)

 

 

そもそも、コースは準備と覚悟ができていなければ、

 

真に学んでゆくのは不可能だ、と、

 

ここへ来て悟った次第である。

 

 

それでもいい。

 

だって、もう後へは戻れないし、引き返すつもりもない。

 

なぜなら、本当の平安に気づいてしまったから…。

 

手に入れたと思ったら取り上げられるような、

 

そんなニセモノの平安など、もう要らないのだ。

 

 

こうして深夜、J兄貴を感じながら、

 

人気のない、ひなびた温泉に浸かっている僕であった。

 

 

背後と背後でこんにちは

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前回の記事で書いた、どんなときも、間断なく、

 

聖霊を憶えている、という心の訓練は、

 

僕にさまざまな変化をもたらした。

 

 

そうは言っても、僕もまだまだ修行の身であるため、

 

忘れては思い出し、離れては戻り、の繰り返しである。

 

それでも、自分は肉体ではなく〝心〟だったんだ、

 

という自覚の中で、自分というアイデンティティが、

 

肉体から心へと、移行し始めたのを感じている。

 

 

というのも、

 

以前、このブログでも書いた〝自我の逆襲〟以降、

 

心の中へ戻ることが怖くなっていた時期があり、

 

自己概念B(肉体)レベルで大放出をしてしまっていたり、

 

どこか、うわ滑ったような赦しをしていたりした。

 

 

まあ〝ドカびゅん〟マックスの最中は、

 

外に原因を見いだすこともできず、また、

 

誰のせいにもできない恐怖や怒りにただなす術もなく、

 

その〝自我の抵抗〟が落ち着いてからも、

 

無意識のうちに古傷が疼くのを避けるようになっていた。

 

 

しかし、四六時中、聖霊を想い出していることで、

 

自我に警戒をするようになったからか、

 

自分のアイデンティティが肉体から心に移行すると、

 

徐々に、肉体が自分だ、という感覚が薄れはじめ、

 

逆に、自分は肉体ではない、という感覚が強くなった。

 

 

それでもまだ、僕の心の中(自己概念A)は、

 

間違った心の状態なのだけれど、

 

そんな心の中を直視して赦せるようになってきた。

 

これからは、こうやって、聖霊兄貴と共に、

 

心の中から世界を眺めてゆくうち、いつかきっと、

 

決断の主体にまで運ばれていくのだな、と確信した。

 

 

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人や、動物や、街の風景や、自然の風景など、

 

世界が全て後ろ側(心の中)へ返されてゆく。

 

やがて、自分が肉体ではなく、心だった、と自覚すると、

 

この兄弟も、あの兄弟も、みんな肉体じゃなかった、

 

というふうに知覚されてくる。

 

 

感覚的に言うと、自分の背後と、他者の背後、つまり、

 

自分の心の中と他者の心の中は後方で繋がっており、

 

同じひとつのものだった、と感覚化されてくる。

 

 

そうなると、肉体としての誰かがやっていることを見て、

 

この人はこういう所が間違っている、とか、

 

あの人はまだ分かっていない、と思うことに、

 

一体、何の意味があるというのだろう。

 

だって、その人が本当にどうなのか、なんて、

 

誰にもわからないし、誰かを見て何かを想ったとすれば、

 

それは自分の心の中を通して見た他者の姿のだから、

 

それはまぎれもない〝自分の姿〟である筈である。

 

 

しかし、僕も、そんなに偉そうなことは言えない。

 

それでも、相手を批判したくなる衝動は湧いてくる。

 

ただ、聖霊を感じながら生活している中で、

 

そういうことに、少しずつ気づけるようになってきている。

 

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というわけで、明日から山梨の甲府である。

 

月曜日と火曜日の午前中を甲府で過ごして、

 

午後から東京へ移動をする。

 

明日日曜に日本へ移動するので、休日出勤である。

 

これで、未消化の代休が4日になった。

 

休みを取らないと元コンババ部長がうるさいので、

 

それで、来月、ごそっと連休を取ろうと考えている。

 

 

今回の飛行機は、行きも帰りも日本航空。

 

JALは、即席ではないお味噌汁が出る。

 

というわけで、

 

日本では、美味しいものをいっぱい食べながら、

 

これらの、

 

起っているように見える心の中の出来事を見つめ、

 

聖霊にごそっと捧げてゆくのだ。