香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

いま、ふたたびの、ハート

f:id:shusaku1:20190708003711j:plain

 

 

昨日は、

 

新しいアパートの大家さんと、部屋の引き継ぎをした。

 

三宝不動産のトンさんと、新しいアパートへ向かえば、

 

部屋は新しく漆喰が塗られ、きれいに清掃されていた。

 

聞けば、大家さんが、

 

昨夜遅くまで掃除をしてくれていたのだという。

 

 

大家さんは40歳くらいの、穏やかな感じのご夫婦で、

 

子供はいないらしい。

 

「この部屋でハッピーな事がたくさんありますように。」

 

と言って、大家さんの奥さんから鍵を手渡された。

 

その瞬間、

 

何とも言えない幸せな気持ちが込み上げてきた。

 

素敵な大家さんに出逢えて、本当に幸せ!

 

 

この幸せな気持ちを経由して、神の悦びに繋がってゆく。

 

小さな喜びをきっかけにして、ハートに入ってゆくのだ。

 

そういう意味で、小さな喜びはハートの入り口でもある。

 

また、罪悪感でさえも、神の悦びだったことに気づく。

 

要するに、僕たちはすでにハート感じまくりなのに、

 

解釈を間違っているが故にヘンなことになっているのだ。

 

 

兄弟が成す行ないにイラッとくるとき、

 

一瞬立ち止まり、解釈が間違っていたことを認識した後、

 

ただ沈黙して、神の想いを待つ。

 

ハートを自分に取り込もうとせず、ただ待つ。

 

f:id:shusaku1:20190708003718j:plain

 

大家さんが去った後、色々と買い物に出かけた。

 

ウォークインクローゼットに入れる、

 

キャスター付きのハンガーラックをあちこち探しまわった。

 

ああゆうのって、どこに売っているか分からない。

 

何軒もホームセンターを回ってやっと見つけた。

 

 

というわけで、明日は引越しである。

 

新しいアパートは、コーズワイベイのど真ん中、

 

日本で言えば渋谷のど真ん中にあるようなものなので、

 

これからは、どんどん人を部屋に招待して、

 

小さなサロンのようにしたいと思う。

 

大家さんが言ってくれたように、

 

楽しいことがたくさん起こる部屋にするのだ。

 

f:id:shusaku1:20190708003723j:plain

 

買物をして、アパートに戻ってきた

 

毎日挨拶する守衛のおじさん、

 

毎朝、朝食を買う、おむすび屋のおばさん、

 

毎晩、壁を伝って遊びに来るヤモリの親子、

 

隣の家の父親が、宿題をしない娘を叱る声、など、

 

これまで見過ごしてきたような小さな風景が、

 

今日が最後だと思うと、とても感慨深く感じられる。

 

 

多分、永遠に父が待つ故郷へ旅立つその直前にも、

 

同じような感慨が湧き上がってくるのかもしれない。

 

でもその時の自分(自分がまだあるとすれば)は、

 

自分一人が旅立つのではないと知っているはずだ。

 

ひとつになったみんなで一緒に戻ってゆく。

お年頃な季節

f:id:shusaku1:20190705010417j:plain

 

何故だか分らないのだが、ここへ来て、

 

元コンババ部長(前社長の妹の旦那/47歳/体重90kg)

 

に対する投影が止まらない。

 

 

僕が他の人へ出したメールに、ダメ出し返信をしてくる。

 

僕が、本社の財務の女性と電話で業務の話をしていると

 

突然受話器を奪い、一方的にしゃべって電話を切る。

 

英文の書類の意味がよく分らない、といった些細なことで

 

いちいち電話を掛けてくる。

 

 

まあ、40代後半のサラリーマンというのは、

 

様々な仕事や人生の経験を積んで昇進もし、

 

だがまだ若さも残っていて、少々の無理をしても平気だ、

 

という、男として最も旬な時期だと言える。

 

それだけに、ついつい勘違いしてしまうのもこの年齢だ。

 

経験不足な部下の欠点をこと細かく矯正したくなったり、

 

立場が下の人への振る舞いが微妙に横柄になったり、

 

業者さんに理不尽な要求をして断られたりすると、

 

「もう使わない。」と、理不尽な振る舞いに出たりする。

 

しかし、

 

本人は自分のことを〝イケてる〟と思っているので、

 

無意識にやっている自分の行動に全く気づいていない。

 

 

僕の場合は、30歳から海外駐在を始め、

 

現地で早くに部下を持ったため、

 

その勘違いが普通の人より、かなり前倒しで訪れた。

 

その頃の自分を思い出すと、本当に恥ずかしく、

 

僕のもとで働いてくれて人たちに対して、

 

申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

f:id:shusaku1:20190705010410j:plain

 

で、夜、家のソファに座り、静かに目を閉じた。

 

 

今まさにそういう〝お年頃〟な元コンババ部長を通して、

 

当時の自分を赦す。

 

 

投影のシステムを凝視する。

 

神への恐れをじっと注視する。

 

何の解釈も入れず、ただ沈黙の中で観る。

 

 

沈黙しながら、ただ神の想いを〝感じ〟ていると、

 

深い平安の中から何とも幸せな感覚が上ってきた。

 

だが、いざ、その中へダイブしようとすると、

 

途端に雑念が湧き起こり、さっと、我に戻されてしまう。

 

まるで〝天城越え〟の寸止め状態である。(笑)

 

 

まあ、いっか。

 

こうして少しずつ、赦しながら父へ向かってゆけばいい。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

愛の裏返し

f:id:shusaku1:20190702023134j:plain

⇑ みんなデモの時は黒い服を着る

 


今日は返還記念日の祝日で香港はお休みだった。

 

僕はと言えば、

 

スーパーで安売りしてたカットフルーツに当たり、

 

連休中ずっと下痢をしていた。

 

お腹は、グルグルとピーピーの中間くらいの緩さで、

 

何かを食べると30分くらいして、シャーッと来る。

 

 

それでも、連休三日目の今日、午後になって、

 

食料の買い出しをしようと、街へ出てみれば、

 

な、なんと、通りに人が歩いていない。

 

祭日なのに、ショッピングモールもガラガラだ。

 

一瞬、アセンションでもしてしまったのか、と思った。

 

ああ、そうか。みんなデモに参加しているのだ。

 

そうこうしているうちに、僕のお腹がピーピー鳴り始め、

 

急いで買い物を終えると、家路を急いだ。

 

f:id:shusaku1:20190702023158j:plain

 

夜、ニュースを見れば、今日のデモの参加者は、

 

国営テレビの発表では55万人らしいが、

 

民間測量団体のカウントでは200万人で、

 

過去最高なのだという。

 

香港の人口が700万人だから、3.5人に一人が、

 

デモに参加したことになる。

 

まあ、通りから人がいなくなるくらいだから、

 

僕の感覚的には、200万人が正しいのだと思う。

 

結果、デモは夜の10時まで続き、

 

逃犯条例の完全撤回と、行政長官の辞任を求め、

 

人々は立法局を占拠するに至った。

 

f:id:shusaku1:20190702023308j:plain

⇑ 下台 とは引退のこと 

 

前回の記事で〝同じ〟ということについて書いたが、

 

愛と恐れも同じものなのだ、と今回のデモを見て感じた。

 

 

愛を求める懇請、とか、難しい言葉を使ってはいるが、

 

早い話がこれは、小学生男子のスカートめくりのように、

 

好きな女の子が嫌がるような行為を敢えてすることで

 

相手の気を惹こうとする〝好きの裏返し〟と同じだ。

 

それはまた、父に対する〝愛の裏返し〟でもある。

 

 

一見、映像的には、外の世界にいる誰かが、

 

愛を求めて叫んだり攻撃したりしているように見えるが、

 

本当は、全部、自分の心の中で起きており、

 

デモも僕の心の中で起きている。

 

僕たちはいまだ、スカートめくりを止められないのだ。

 

 

聖霊兄貴を通し、

 

愛の裏返しを赦すことで、愛の裏返しを裏返す。

 

そうやって、ストレートに父の愛を思い出してゆくのだ。

 

blog.hoshitani-shusaku.com