香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

さよなら、上海!

f:id:shusaku1:20190831101123j:plain

⇑ 上海出張最終日は、足つぼマッサージと、
   足の裏の角質取り、の同時進行でシメる。

 

このブログでは、料理や景色よりも、できるだけ、

 

人物が映った写真を多く掲載するよう心掛けている。

 

写真に出てくる兄弟たちの表情や立ち居振る舞いから、

 

その瞬間のハートを感じ取ることができると思うからだ。

 

 

なので僕は、兄弟達の顔にモザイクをかけない。

 

人の顔を塗り潰す行為ほど無礼なものはないと思うし、

 

目の部分を横に黒く塗るのも、犯罪者みたいで嫌だ。

 

だから〝人の顔を潰す〟くらいなら、初めから載せない。

 

 

街で偶然映り込んだ見知らぬ人々の写真など、

 

99.9%僕のブログを見ないと確信できる人々については

 

独断と偏見で勝手に掲載させていただいている。

 

また、ごく近しい人に関しては許可を得て掲載している。

 

f:id:shusaku1:20190831101126j:plain

 

というわけで、今日、上海出張から戻ってきた。

 

先日の香港空港閉鎖で延期されていた上海出張に、

 

やっと今回行けることになったのだ。

 

というのも、

 

僕は8月いっぱいで中国関連の業務から離れるため、

 

今後僕の業務を引き継ぐ弁護士と、旧会社の社長とで、

 

必ず8月中に、上海の会計事務所や銀行へ赴き、

 

各種変更手続きを行なう必要があったのだ。

 

 

前の会社は、二代目ボンボン社長が引きついで以降、

 

去年九月に業務停止となり、僕をはじめ全社員が、

 

10月から、常務の立ち上げた新会社へと移った。

 

それで僕は、新会社で仕事をする傍ら、

 

旧会社の残務整理を手伝ってきたのだったが、

 

今の会社の業務が忙しくなってきたので、今回、

 

その業務を陳弁護士の事務所に任せることにしたのだ。

 

 

午前に会計事務所を二軒回り、

 

午後から工商銀行でサイン権抹消の手続きを行なった。

 

 

これでもう、当分上海へ来ることもないだろう。

 

思えば、上海事務所の〝松居一代事件〟や、

 

財布紛失事件、恐怖の極道税務局員事件、など、

 

赦しどころ満載な僕の上海出張ではあったが、

 

素敵なホテルや、レトロな街並みの中で、

 

たくさんの赦しや癒しを得たのも事実だ。

 

 

そんな、

 

僕の心の中を存分に見せてくれた上海兄弟たちも、

 

その時代時代でできる、精一杯の赦しを実践するうち、

 

ひとり、またひとり、と、消えて行ってしまった。

 

⇓ 香港がまだ元気一杯だった2013年のクリスマス 

   キャセイのCAさんたちのパフォーマンス

   これを見るとなぜか優しい気持ちになる。

www.youtube.com

  

上海から戻ると、僕の家がある維園の辺りは、

 

火炎瓶と催涙弾が飛び交い、大変な騒ぎになっていた。

 

民主活動家で、流ちょうな日本語でお馴染みの、

 

アグネス・チョウさんも逮捕起訴されてしまったし、

 

これから香港はどうなってしまうのだろう。

 

明日は、トレーナーとのセッションが入っているが、

 

家から出ない方が賢明かな…。

 

⇓ 上海のオシャレホテルの記事はこちら ⇓

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

ハートで赦す

f:id:shusaku1:20190827011428j:plain

 

最近はやたら、神だ、ハートだ、と騒々しい僕であるが、

 

もちろん、赦しだってやっている。(⇚ ドヤ顔)

 

 

今の僕は、主に4ステップで赦しを実践している。

 

例えば、

 

「なんじゃコイツ」とか、「この仕事イヤだな」とか、

 

「あーあ、やっちゃった」といった不快感が出てきたとき、

 

① 自分が今〝やっちゃってる〟ことに、ハッ、と気づく。

 

② その不快感(罪悪感/恐怖)を、ハッ、と直視する。

 

③ ハッ、と神を想い出す。

 

④ ハーッ、とハートが上ってきて、兄弟が愛そのもの、

     神そのものだったことを確認して、フィニッシュ。

 

 

とまあ、文字にするとこんな感じか。

 

 

この〝ハッ〟が非常に大切で、決してダラダラやらない。

 

特に罪悪感を直視する時は、

 

罪悪それ自体を見つめるのではなく、

 

必ずその裏に隠れている〝神の愛の感覚〟

 

認識するようにしている。

 

でないと、元来父に出会うための行為である赦しが、

 

まるでスポ根ドラマのような苦行になってしまう。

 

「天国めざして、どんなに苦しくったって負けないわっ!」

 

みたいな…。

 

 

また、最後のステップについては、僕の場合、

 

第三ステップで神を思い出すことができていれば、

 

何もしなくても、自動的にハートが上がってくるので、

 

何だか有り難いような、愛おしいような感覚が、

 

兄弟に対して湧き起こってきていたら完了とする。

 

 

そして何より、

 

赦しの実践で大きな役割を担っているのが聖霊であるが

 

僕はどちらかというと、

 

聖霊と〝一緒に〟自我を見てゆく、というより、

 

聖霊として観る、聖霊それ自身となって観る、

 

という感覚である。

 

なぜなら、聖霊と一緒に、といえば、

 

聖霊という分離した〝誰か〟が、

 

別にいるような感じになってしまうので、

 

聖霊の存在感で観るようにしている。

 

 

まあ、これは、あくまで僕の赦し方なので、

 

他の人にとってこの方法が〝正しい〟のかどうかは

 

分からない。

 

いずれにせよ、赦した後には深い〝平安〟が来る。

 

f:id:shusaku1:20190827011420j:plain

 

とまあ、こんなそんなで、香港のデモは続いている。

 

先週土曜日は、

 

地下鉄荃灣綫(東京の日比谷線に相当)が不通となり、

 

日曜は観塘線(東京の中央線に相当)が不通となった。

 

これは決してデモ隊の人が何かをしているからではなく、

 

あまりにデモに参加する人たちが多すぎるため、

 

地下鉄のホームに人が溢れ、危険と判断されたためだ。

 

なので当分、週末は家でまったり過ごすことにする。

 

 

さよなら、ふぁちゃん!

f:id:shusaku1:20190827011434j:plain

 

以前に比べ、近頃の僕は、

 

自分でも驚くほど、人の批判をしなくなってきている。

 

人が言ったりやったりする事柄について批判をしない、

 

というよりも、全体が神となって観えた途端、

 

批判することすら忘れてしまう。

 

 

おい、それは違うだろう、とか、こいつムカつく、とか、

 

奴はいつもああだ、とか、この人嫌い、とか、許せない、

 

といった批判の想念が〝ふっ〟と上ってきたとしても、

 

圧倒的な〝大好き〟に、即行凌駕されてしまう。

 

 

そういう風な見え方の根底にあるのは、

 

世界は〝本当に〟無かった、という堅固な自覚である。

 

〝神の感じ〟〝実相世界の感じ〟の存在感でいると、

 

そっちの方がリアルな実在となり、それに呼応するように

 

この夢の世界に対する強烈な〝何にも起こってない感〟

 

が込み上げてくる。

 

 

こうして、夢の世界の登場人物への批判が消滅すると、

 

これはまた不思議なことなのだが、周囲の人たちが、

 

やたら優しくなり、穏やかになる。または、消える。(笑)

 

もう、気持ち悪いくらい、相手がガラッと変わる。

 

コースは現実を変えることが目的ではないんですよ、

 

と言ったって、結果的にそうなるのだから仕方がない。

 

逆にそうなっていなければおかしい、とさえ思える。

 

 

人を批判していた頃の自分を思い返してみると、

 

ある人を批判することで、自分が正しい、と、

 

いい気分になってしばらくすると、なぜかわからないが、

 

スマホが壊れたり、誰かから小さな攻撃を受けたり、

 

大事なものを置き忘れたり、といった微妙なやり方で、

 

自分をイラつかせるような出来事が起こっていた。

 

なので、人に対する心の呟き(批判)を、

 

意識的に止めてみるだけでも、人生は好転するのかも。

 

f:id:shusaku1:20190827011438j:plain

 

というわけで、今日は一日、中国の広州へ出張だった。

 

今回は、ソフィテル広州に前泊した。

 

本来は、広州在住の台湾人の友人と、

 

晩メシを食べる約束をしていたのだが、

 

台風の影響で、信じられないくらいの大雨が降り、

 

約束はキャンセルとなってしまった。 

 

結局、その夜はホテルから一歩も出れず、

 

仕方ないので、創作をして過ごした。

 

 

あくる日は、佛山工場の口座解約手続きのため、

 

前社長と、弁護士さんと、ふぁちゃんとで、

 

東京三菱銀行UFJ広州支店へ行ってきた。

 

僕もふぁちゃんも、これまで手伝ってきた、

 

佛山工場や上海事務所の残務整理を,

 

8月一杯で完全に弁護士へ引き継ぐため、

 

銀行に寄った後、その引継ぎもした。

 

これでもう、旧会社の業務は完全に無くなる。

 

 

またふぁちゃんも、今週いっぱいで正式に離職する。

 

彼女は佛山工場を後にする最後のひとりとなった。 

 

定年である50歳をとうに過ぎているのに、

 

僕が無理を言って今日まで引き留めていたのだ。

 

今後は故郷の海南島でのんびり暮らすのだという。

 

長い間、僕の仕事を手伝ってくれて本当に感謝だよ。

 

『神の使者』を読んだ後、彼女が僕の所へ来て、

 

「お給料が安いけど赦します。」と言われたのも、

 

今ではよい思い出である。

 

ゲイリー三部作を読破したことを忘れずに元気で暮らせ!

 

じゃあね、バイバイ、ふぁちゃん!

 

⇓ ふぁちゃんとの思い出の数々はこちら ⇓

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 blog.hoshitani-shusaku.com