香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

九月の雨

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⇑ 真剣な表情で運勢を見てもらっている青年二人 

 

 

九月に入ってからというもの、毎日、篠つく雨が降り、

 

少しだけ秋の気配が漂い始めた香港である。

 

今日は、仕事帰りに、ジムで自主トレをした。

 

100キロのバーベルでダンベルプレスを3セットしたら、

 

あっという間にスタミナが切れ、

 

あとは、パントリーでコーヒーを飲んで過ごした。

 

 

新しい住まいも、大いに気に入っている。

 

家賃の小切手を郵送する際、本当にこの部屋が大好き、

 

とメモを添えたら、この部屋を楽しんでくれてありがとう、

 

と、大家さんからチャットが来た。

 

この時、僕たちは神の交歓をしているのだな、と思った。

 

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というわけで、

 

すべての兄弟や、見えているものすべてから、

 

大好きとありがとうが滲み出てくる今日この頃である。

 

 

いまの僕にとって、

 

同僚や、友人や、通りすがりの人を愛するのは、

 

神を愛するのと、全く同じこととなっている。

 

また、仕事や、筋トレや、創作や、香港の生活など、

 

僕が幻想の設定の中に歓びを感じているとき、

 

それは神が僕に対して感じている歓びだと知覚できる。

 

僕が花瓶に生けた花を「きれいだな。」と思う想念は、

 

神が僕を愛でるのと同じ想念なのだ。

 

そうやって、

 

僕たちは愛を放つことで、神との交歓を可能にする。

 

 

このように、夢の中の登場人物が、

 

全て自分(神)であるように知覚されてくると、

 

同僚と仕事の話をしていても、友人とダベッていても、

 

また、電車で向かいに座っている人に対してさえも、

 

彼らが神の子そのもの、

 

すなわち、神そのものとして感覚化されてくる。

 

 

そうやって、あらゆる場面に神を観た瞬間、

 

 「ああ、神だぁーっ!」と、

 

みぞおちの奥から、ハートの想いが一気に昇ってきて、

 

目に映る全ての人や風景が、神を通して見たものとなり、

 

もう歓びで、みぞおちが〝ひゅんひゅん〟疼くのだ。

 

 

まあ、そんな感じで、自分を愛するように兄弟を愛し、

 

兄弟に感謝するように自分に感謝していると、

 

自分を含めた全ての兄弟全員が神となる。

 

自我を選んでいた時は、皆、敵に見えていたのに…。

 

 

ただ、誤解を避けるために述べるならば、

 

幻想世界が神の世界のように見えるのでは、ない。

 

幻想世界が本当に無だった、と理解したからこそ、

 

神しかない、全ては神だった、と知覚できたのだ。

 

 

具体的に言えば、

 

僕の仕事上での間違いを指摘してくれた同僚には、

 

攻撃された、ではなく、フォローしてくれた、となり、

 

買ってきたお弁当にゴキブリが入っていても、

 

神が入っていた、となってしまい、批判が起こらない。

 

常に〝神を理解している感覚〟しかなくなってしまう。

 

 

というわけで、おやすみなさい。

 

 

オレがオレが詐欺

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今どきのオレオレ詐欺というのは、

 

かなり手口が巧妙になりつつあると聞くが、その理由は、

 

被害者の方も、これまでのように、そうやすやすとは

 

騙されなくなってきている、ということなのだろう。

 

しかし、いまだ、

 

99.99%のよい子たちがひっ掛かっている詐欺がある。

 

〝オレがオレが詐欺〟である。

 

 

「オレが、オレが…。

 

 オレが考え、オレが決めて、オレがやるんだよ!」

 

「オレが、オレが…。

 

 オレが解釈して認めた世界こそ価値があるんだよ!」

 

「オレが、オレが…。

 

 みんなオレが正しくて、間違っているのは、

 

 みんなお前らの方なんだよーッ!」

 

 

と、これは、

 

罪悪を他者に投影する、欧米系に多い詐欺である。

 

 

またこの〝オレがオレが詐欺〟を更に巧妙化させたのが

 

〝オレなんか詐欺〟だ。

 

 

「オレなんか、何をやってもダメだし、金もないし、

 

 どうせ、愛される資格なんかないんだ。」

 

「オレなんか、まあ、こんなもんさ。」

 

 

これは、主にアジアを拠点とする自責型詐欺で、

 

オレなんか、と言いながら、実は、

 

自分を解かってくれない他者を責めているという、

 

なんとも、ややっこしい詐欺である。

 

 

オレがオレが詐欺も、オレなんか詐欺も、基は同じ、

 

〝父を裏切っちゃった感〟から来ている。

 

 

神なんか要らない、という父に対する間違った解釈故に、

 

僕たちは、

 

自我による巧妙な詐欺に引っかかり続けている。

 

だがこれは、

 

他でもない〝オレ〟が下した解釈なのだから、

 

〝オレ〟が取り下げれば済む話でもある。

 

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僕が解釈を取り下げる際に意識していることは、

 

一つ一つの出来事に対する解釈を取り下げるのでは

 

なく〝解釈〟という全体の概念自体を取り下げる。

 

 

あの人はどうのこうの、これに関してはどうしたこうした、

 

という、個々の解釈を指して云々するのではなく、

 

〝解釈をしていること自体〟を取り下げるのだ。

 

 

取り下げるということは、ただ止めるということである。

 

実際には、 

 

解釈自体に気づいて、それをただ見過ごすだけである。

 

 

そうして、みぞおちの奥を意識しながらハートを想い出す。

 

すると、解釈が〝神の想念〟に、さっ、と入れ替わる。

 

神が上がってくる感じ。

 

僕の場合、これを赦しと呼んでいる。

 

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⇑ 弁護士先生と上海でカンパイ!

 

今月19日からは、14日間の里帰り休暇に入る。

 

今回は、香港 ⇒ 台北 ⇒ 那覇 ⇒ 大阪 ⇒ 香港

 

という旅程で行こう、と思っている。

 

台湾では久々に出版社の人にも会う予定で、

 

そろそろ新作も上梓しなければ、と思っている。

 

また、沖縄では、ちょっと豪華なホテルに泊まろう。

 

そして大阪では、じっくり両親に寄り添おうと考えている。

 

 

いくつものサイトを周遊しながら、

 

旅程に沿った周遊チケットやホテルを予約してゆく。

 

(社長! ス、スンマセン!仕事中にやりました!)

 

出張の手配と違い、

 

プライベートの旅程を立てるのって、すごく楽しい。

 

今回は、ちょっと奮発して、

 

LCCは使わず、ホテルも4万円以上のところを予約した。

 

 

よし、明日から、一生懸命働くぞーぃ!

 

 

夢の外で暮らす

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土曜日から日曜にかけ、12時間くらい眠った。

 

眠っているとき、へんてこりんな夢をいくつも見た。

 

 

なぜか僕は、政府のお金一億円を不正に横領し、

 

白いキャリーバックに詰めて隠し持っている。

 

警察はこの一億円を巡って大捜索を行なっているが、

 

それでも、僕には絶対バレないという自信があった。

 

そんな折、僕の友人がトランクの中身を見てしまい、

 

どうするつもりだ、と騒ぎ出す。

 

「ああ、どうしよう。たとえ、友人に口封じをしたとしても、

 

 恐怖と焦燥の中で、一生を送ることになるだろう。

 

 もう二度と、心底幸せを感じることはないのだ。」

 

と、絶望に苛まれているとき、はっ、と目が覚めた。

 

 

「ああ、夢だったあ。起こってなかった。助かったぁー!」

 

と、ほっと胸をなでおろす。

 

 

この瞬間、思った。

 

夢の中の自分は、本当に自分が横領したと信じており、

 

もう自分は神からも見放された、と心から落胆していた。

 

でも、それが夢だと知った途端、

 

本当の自分のアイデンティティが回復し、

 

すっ、と心の平安が戻ってきた。

 

 

どういうことかというと、

 

この世界は寝ている時に見る夢と同じく、全くの幻想で、

 

本当は何も起こってない、という真の自覚が起こるには、

 

まず、夢の外へ出ている必要がある、ということである。

 

そうすることで、

 

ここが夢だ、本当に無かった、と真に自覚しながら、

 

この夢の世界を生きることができる。

 

 

それには、いま自分が存在しているこの夢の世界よりも、

 

もっとよい世界があると〝はっきり〟自覚していること、

 

つまり、実相世界(神、ハート)に触れていることが、

 

大切となってくる。

 

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僕の場合、

 

この人が本当に大好き!このケーキおいしいーっ!

 

この曲を聞くととっても幸せな気分になる、というような、

 

小さな歓びから、全体のひとつの歓びへと入ってゆく。

 

 

通りすがりの人の小さな親切に対する感謝の気持ち、

 

ありがとう、とお礼を言われた時の小さな感動、

 

そして、友人が放ったちょっとした冗談に、

 

大声で笑った時の愉快な気持ち、

 

そんな小さな歓びの根底に流れる、

 

不変の〝悦〟(エクスタシー)を、

 

何の解釈も挟まず、ただ〝神の感じ〟として味わうのだ。

 

それが、ハートであり、神の国を流れる空気である。

 

そうやって、

 

神の反映である〝歓びの想い〟に触れることで、

 

ここが夢で本当ではないと真の自覚を持つことができる。

 

 

要するに、僕たちがコースの理論を学んでいるのは、

 

神のもとへ到達する手段を学んでいるのではなく、

 

ハートを感じ、神に触れるきっかけを学んでいるのだ。

 

 

なぜなら、神はもうここに在り、僕たちはただ、

 

夢から覚めていることに気づくだけなのだから…。