香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

想い出残し

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会社の同僚や、友人や、両親に、愛してるぅーっ!と、

 

駆け寄ってハグしたい気持ちを必死でこらえながら、

 

日々を過ごしているボクである。

 

 

自分は神から一度も離れたことはなく、

 

その自分は神と同じ存在であった、と、

 

真に〝入った〟状態というのは、

 

すでに赦しっぱなしで24時間存在するのと、

 

まったく同じ状態を指す。

 

 

といっても、僕はまだ〝入りたてホヤホヤ〟であるため、

 

咎めが出てくる度に神を思い出している段階なのだが、

 

もっと神が自分の中に馴染んでくれば、

 

恒常的に赦している状態(愛の状態)になれるのだろう。

 

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聖霊兄貴は、

 

神の理解から来る愛と歓びの記憶は残し、

 

自我から来る罪悪の想念は取り消す。

 

すなわち、愛の記憶(いい感じの想い出)は残され、

 

憎悪の記憶(嫌な感じの想い出)は消去される。

 

 

どういうことかというと、

 

兄弟から受けた愛の行為に対する感謝の気持ちや、

 

欲しいと思っていたものが手に入った時の歓喜、または、

 

ありがとう、と言われた時の満ち足りた感動などは残され

 

こいつシバいたろか、という咎めの想いは、

 

赦しによって、聖霊兄貴に取り消される。

 

 

そういう意味で、

 

僕たちはいま、思い出づくり、ならぬ、

 

〝思い出のこし〟をやっているのだな、と思う。

 

なので、これからは、全てを神として受け止め、

 

ただ歓んでいることで、聖霊兄貴に貢献するのだ。

 

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というわけで、

 

日本滞在最終日は、両親と梅田でランチをした。

 

母は肉類がダメなので、食事は自ずと懐石となる。

 

父も母も年を重ね、手にも顔にも深い皺がある。

 

多分、彼らも数年後には肉体を脱ぐのだろう。

 

なので、100%何の咎めも無く彼らを見て、

 

彼らの中に在る神を見いだすことで、

 

愛の〝想い出残し〟をしてゆく。

 

そうすることで、彼らは僕となり、

 

幻想の彼らが本当に無かったことを目撃するのだ。

 

 

頭がない男

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ここへ来て疲労が出たのか、少し身体が重かったので、

 

今日は外出をせず、実家で終日お籠りをして過ごした。

 

 

午後、仏間のカウチに寝そべり、ココアを飲みながら、

 

ダグラス・ハーディングの『頭がない男』を読む。

 

建築家ダグラス・ハーディングの伝記的解説書で、

 

彼の気づきや哲学が分かりやすく説明されている。

 

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自分は一人の人間で、誰もが鏡に映る自分を、

 

〝わたし〟だと信じて行動しているが、自分が分離した、

 

死すべき体に閉じ込められている、と信じる時、

 

わたしは喪失感や孤独感や恐れを感じる。

 

しかし、彼は、自分には顔がなかったことを発見する。

 

そこから、

 

自分の中心は不変でひとつの〝何もなさ〟に在り、

 

全部であり、中間であったことに気づく。

 

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中でも、

 

「わたしの中に他者がいて、他者の中にわたしがいる、

 

   実は、他者がわたしであり、肉体の他者を憎むことは、

 

   自分を憎むことと同じである。」

 

という言葉が印象に残った。

 

 

逆に言えば、他者を愛するとは自分を愛することであり、

 

自分を愛するとは、他者を愛することと同じである。

 

そうすることで、僕たちは神全体を共有することになる。

 

 

「これって、あのAさんBさん高速一人芝居やん!」

 

と、読みながら思った。

 

他者が自分に対して表現する言葉、行為、感情などは、

 

一つの意識、つまり、自分が自分に行なっている。

 

そのことを認識して、ただ赦し、神の理解を思い出す。

 

 

この時の赦しというのは、罪はない、起こってない、

 

というような、無いものを一旦取り上げてから、再度無い

 

と、否定してゆくような、言い聞かせの赦しではなく、

 

それは本当に無かった、ことを初めから知っている赦し、

 

すなわち、無いもののことをいくら考えても仕方がない、

 

と、分かっていて、ただその咎めや解釈を取り下げ、

 

代わりに、神の理解(ハートの想念)を思い出す赦しだ。

 

 

身近な出来事を例にとるなら、

 

今朝起きると、中国の取引先から今日届くはずだった

 

源泉税減額手続申請書がまだ来ていない、と、

 

元コンババ部長からスカイプが入っていた。

 

普段、僕の休暇中には、滅多に連絡してこない彼だが、

 

来週から中国が国慶節の長期休暇に入るため、

 

少し焦っているようだった。

 

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ちょっと、ドキドキする。

 

軽い〝天国⇒地獄 いきなり放り出され感覚〟を味わう。

 

こういうとき、いくら、起こってない、罪はない、とやっても

 

僕の場合、余計に焦ってしまうだけなので、、それよりも、

 

〝本気で神を思う〟方を優先させることにしている。

 

そして、本気で神を思うとは、

 

この夢の世界を〝本気〟で否定することである。

 

〝必死〟で否定するのではなく〝本気〟で放棄する。

 

それは、世界を知覚していても、世界自体が本当に無く、

 

放っておけば消え去ってゆくと知っている〝感覚〟だ。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

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ひとつひとつを夢だ、幻想だ、とやるのではなく、

 

自分が見ている全体を夢として扱う。

 

なので、元コンババ部長からのスカイプも現実ではない。

 

結局、何か他の事をしていて、返信し忘れたのだが、

 

その頃には、コンババ部長もすでに神となっていた。

 

 

まあ、こんな感じで実家での休暇は穏やかに過ぎてゆく。

 

父も母も穏やかな晩年を迎えている。

 

もう、幻想の世界で失うことを恐れる必要はない。

 

なぜならそれは初めから〝本当に〟無かったのだから。

 

 

憎まれ代行

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昨日は朝から忙しかった。

 

先ず、朝イチで行きつけの皮膚科医院へ、

 

いんきんの塗り薬をもらいに行った。

 

「なんや。また股間が痒(かゆ)なったんか。」

 

と、先生が大声で言うものだから恥ずかしくなり、

 

なんでそんなにでかい声で言うねん、と先生に言い返した。

 

 

その後、沖縄で摂りすぎたカロリーを消費すべく、

 

ゴールドジムで筋トレ&ランニング&スクワットに励んだ。

 

さすがゴールドジムだけあり、みな高重量を挙げている。

 

僕も彼らに負けじと頑張ったが、やはり若さには勝てず!

 

 

午後からは、キャッシュカードの更新をするため、

 

梅田の三井住友信託銀行を訪れた。

 

僕は23年前に作ったシティバンクのキャッシュカードを、

 

いまだに使っていて、シティバンクが三井住友信託銀行

 

に統合された後もそのまま使用していたら、

 

ATMでの振込みなどができなくなってしまった。

 

 

阪急の三井住友信託銀行のカウンターへ行ったら、

 

あなたはPRESTIAなので、と、別の住所を教えられた。

 

ややこしいなあと思いながら行って見ると、

 

そこは、

 

コーヒーを飲みながら担当者が一対一で対応してくれる、

 

銀行というより、サロンみたいなところだった。

 

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僕の日本支給分の給料やボーナスは、基本、

 

ここの普通口座に入りっぱなしで、あまり使うこともなく、

 

特に、投資や運用にも興味がなかったので、

 

時々現金を香港へ持ち出す以外手つかずになっていた。

 

そこに目をつけた担当者(30代/女性/高島礼子系)が、

 

外貨定期預金を薦めてきた。

 

米ドルで2年定期にすると、1.5%の金利を保証します

 

とか、豪ドルが今、102円から72円にまで下落しており

 

定期にして長期で持っておいた方が、このまま、

 

普通預金にお金を預けておくよりずっと利回りが良い、

 

と、頼もしい口調で説明してくれた。

 

 

「豪ドル72円って、メチャ買い時やんっ!」

 

と、僕の気持ちは動く。

 

これを100円になった時に解約して日本円へ戻せば…、

 

定期なら損をしたって知れてるし、天下の三井住友だし、

 

2、3百万円だったら、試しても損はないかも…。

 

その瞬間、必殺仕事人のように高島礼子の目が光った。

 

「外貨定期をしていただきますと、全ての外貨送金や、

 

 両替手数料を24時間無料にさせていただきます。」

 

ときた。

 

結局、一度お持ち帰りさせて下さい、と、帰ってきた。

 

お金に関する事は、どんなことでも全て一旦持ち帰れ、

 

と父から教えられているんで…、と高島礼子に告げた。

 

それで、家に帰って気づいた。

 

豪ドルの定期なら香港ですでにしてたんだ、って…。

 

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休暇中も、小さな咎めたい気持ちは出てきた。

 

お休みのところ本当に申し訳ありませんと言いながら、

 

休み明けでも間に合う仕事の話を長々としてくる同僚や、

 

僕の郵便物を畳の上へバンッと放り投げてくる母に対し、

 

一瞬、小さな殺意が湧き上がってくる。

 

しかし、これは、僕が感じた罪悪感を彼らへ投げつけ、

 

僕が不快に感じるよう、彼らにその行為をやらせた上で、

 

あいつは何て罪深いやつなんだ、とやっている。

 

別の言い方をすれば、

 

彼らは、他者から憎まれるような行為を、

 

僕の代わりにやってくれている、と言える。

 

なので、僕が憎悪した同僚や母の行為は、

 

本当は僕がやっていた筈の行為であり、故にそれは僕だ。

 

そう思うと、相手に感謝せざるを得なくなり、

 

愛されているとしか思えなくなり、赦すほかなくなる。

 

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神は一度も僕を咎めなかった。

 

だから、神と同じものである兄弟も決して僕を咎めない。

 

兄弟は、僕が投げ捨てた幻想の罪を一身に被って、

 

僕に私(兄弟)を赦せ、と必死で演じてくれている。

 

そんな同僚を、母を、その他大勢の兄弟たちを、

 

僕はどうして咎めることなどできるだろう。

 

兄弟は神であり愛なのだ。