香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

確かに感じる何かの気配

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悟り系や非二元、その他様々な分野のスピ教師達が、

 

世界はない、誰もいない、何も起きてない、

 

と言っているのを聞いても、頭では理解できるものの、

 

なかなかそれを体験として生きれている人は少ない。

 

 

世界が無いのは知っているけれど、やっぱり、

 

椅子はここにあるし、美味しいケーキは美味しい。

 

誰もいない、のはわかってはいるけれど、やっぱり、

 

夫や子供や上司はここにいて、色んなことを言ってくる。

 

何も起きていない、ってあの本に書いてはいるけれど、

 

実際、家賃やローンの支払いは期日通りにやってくる。

 

それでも、世界は無い、誰もいない、何も起こってない、

 

と聞いた時の〝真実の匂い〟は感じている、

 

とまあ、こんなところではないだろうか。

 

 

それでいいのだと思う。

 

ここに見え、聞こえ、考えているものに抵抗せず、

 

ただ、ありのままを見すごしてゆく。

 

すると、その背後に、何か別の〝存在感〟が見えてくる。

 

無いと言っても在る何か、いないと言っても感じる何か、

 

確認できないが確かに在る何かの気配、それが神である。

 

 

僕たちは、神を、椅子やテーブルと見間違えている。

 

僕たちは、神を、ローンや家賃と理解してしまっている。

 

僕たちは、神を、苦手な誰々さんと思い込んでいる。

 

要するに、あらゆるモノに対して勘違いをしているのだ。

 

これって、うちの父親もびっくり、な重度の認知症である。

 

 

それを、神というひとつの解釈だけで見てゆく。

 

神として見てゆこうという意志を持った瞬間、僕達は、

 

すでにJ兄貴と共に見ており、聖霊と一つになっている。

 

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というわけで、

 

明日から17日間の日本一時帰国休暇の始まりである。

 

同僚たちからは、全てを忘れて休暇を楽しんで下さい、

 

とか、電話とかメールを入れないように気を付けます、

 

といった、多くの暖かい言葉をいただいた。

 

佛山工場があった頃は、駐在員も多数駐在しており、

 

旧正月のこの時期、

 

皆、一斉に長期の一時帰国休暇を取っていたので、

 

あまり特別な感じはしなかったのだが、

 

海外駐在員がたった二人となってしまったいま、

 

「自分だけスンマセン!」という気がしないでもない。

 

それでも、今回、

 

多くのコース兄弟たちと語り合うのが本当に楽しみだ。

 

今年の日本は暖冬で、そんなに寒くないらしいし、

 

ゆったり、まったり、と、日本の冬を楽しもうと思っている。

 

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探求上等!

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もうすぐ一時帰国休暇だから、ということで、ここ数日、

 

ハイスピードでガンガンに仕事をこなしまくったおかげで、

 

今日はなんだか、よっゆー、の一日であった。

 

しかし、こういう、調子コイてるときに限って、

 

ドッカーンが来るので、現れては消えてゆく幻想の今を、

 

ただ淡々と見すごしてゆくことにする。

 

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現れては消えていくのは人の想いだけではない。

 

今現れている、景色、肉体、物事も同様に消えてゆく。

 

そして、本当にあるものは消えてゆかない。

 

 

見えているけど、無い。本当に、無い。

 

誰かがいるけど、いない。本当に、いない。

 

起こっているけど、起こってない。本当に、起こってない。

 

そして、これらの真実は、

 

いま、ここに見えている風景に抵抗しない、

 

いま、ここに湧き上がっている想いに抵抗しない、

 

いま、ここに顕れている出来事に抵抗しない、

 

ことで真に認識される。

 

 

抵抗しない、というと、ついつい、

 

抵抗しないようにしよう、としてしまうのが常だが、

 

そもそも、何かに抵抗している自分などなく、

 

抵抗しないようにしようという思いが勝手に起きている。

 

また、危険が迫っていても、不当に扱われていても、

 

何もせず、なすがままでいることなのか、

 

というとそういうことでもなく、

 

たとえ、対処したり、言い返したりしたとしても

 

それもまた、そういう思いが勝手に起きているだけで、

 

言い返している意識などどこにもいないことを、

 

心が知っていることである。

 

 

また、いまここにあるものに抵抗しない、というのは、

 

聖霊として観る、ということでもあり、なんていうか、

 

無い、いない、起きてない、という言い聞かせではなく、

 

あっても平気、いても差し支えない、起きてても大丈夫、

 

だって無いから、といった完全リラックス状態を指す。

 

そこから、あっ、神だけやん、となり、

 

神に気づいた途端、全てが愛と悦びに逆転する。

 

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と、ここまで書いてこんなことを言うのも恐縮なのだが、

 

神に気づこうとしても、そのことが起こるまでは、

 

神に気づくことができない、ということである。

 

それはテーブルではなく神だった、と理解が起こるまでは

 

テーブルはテーブルであって、神ではないということだ。

 

要するに、個の自分にできることは何もなく、

 

唯一できることは、神に気づく、ということが起こるまでは

 

何もできないと観念しながら探求を続けることである。

 

なので、

 

正しく、堂々と、探求を続けてゆけばよいのだ。

 

それは違うんですよ、探求など無意味なんですよ、

 

という教師など放っておけばよい。

 

王道を行くのがもっとも近道だと思うから…。

 

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父 帰る

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今日は、銀行と保険会社へ行く用事があったので、

 

3時ごろから外出し、そのまま5時ごろに直帰した。

 

保険会社のある湾仔から、自宅のある銅鑼灣まで、

 

久しぶりに、何の目的もなく、ただぶらぶらと歩いた。

 

気温も18℃くらいで心地よい。

 

初めて香港の女の子とデートしたボストンレストランや、

 

昔、毎週のように通っていた香港麻雀館の前を通る。

 

この界隈は、まだ古き良き香港の雰囲気が残っていて、

 

街並みも、僕が香港へ来た頃と、あまり変わっていない。

 

こうしてノスタルジックな気分に浸りながら、

 

自分は本当にこの街が好きなのだな、と思った。

 

そして、この〝好き〟という気持ちが呼び水となり、

 

景色が愛の悦びに変わった。

 

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というわけで、最近の僕は、やたら、愛だの悦びだのと

 

シュワシュワシュワシュワ、うるさい限りなのであるが、

 

シュワシュワと、実体無く起きてくる思考の泡ぶくを、

 

掴まず、解釈せず、また、何とかしようともせずに、

 

湧いてくるものを消えてゆかせるままにしていると、

 

なぜか、とてもリラックスした気持ちになれる。

 

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そうやって、

 

問題を見過して実在させずに、それを真実と取り換える。

 

問題や批判的な感情が起こった際に、

 

思考を凝視するのではなく、ただ行かせることで、

 

真の自己は霊(スピリット)だったと思い出す。

 

それが、真実(神)と取り換える、の実践的意味である。

 

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ある意味、僕たちの機能は、訂正することではなく、

 

存在しないものを見すごす能力にあると言える。

 

なぜなら、訂正をする〝自分〟などいないからだ。

 

 

僕たちの心が、実存(神の想念)を選ぶことで、

 

聖霊(量子)が、別の時間と空間において、

 

まったくこれまでとは違うシナリオを用意する。

 

俗な言い方をすれば、これぞまさしく、

 

究極の〝引き寄せ〟なのではないだろうか。

 

だが、シナリオを変えるのは自分ではない。

 

シナリオの一部である自分には、何も変えられない。

 

しかも、

 

そのシナリオさえ起きていなかった、というオチ付きだ。

 

 

もう、常に、ここに在る〝神〟そのものでしかない。

 

不変で普遍の完ぺきな愛そのものでしかない。

 

と、そんな感じで、家の近くまでやってきた。

 

途中、棋哥燒味店でチャーシューを半斤買って帰る。

 

サクランボが安くなっていたので、1ポンド買った。

 

あっ、ケチケチ生活で行くはずだったのに…。

 

まっ、これもシナリオということで…。