香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

なんかシアワセ!

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今日の午後、家のリビングで何やかやしていると、

 

小バエがすっと眼の前を横切った。

 

さっき、換気の為に窓を開けた際に入ってきたのだろう。

 

確か、ワンプッシュするだけでハエがいなくなるという

 

殺虫剤があったはずだと、僕は部屋の中を探し始めた。

 

すると、再度黒い小さな物体がしゅっと眼前を横切った。

 

瞬間、小バエに対する愛おしさがこみあげて来て、

 

自分は、殺虫剤を探して何をするつもりだったんだろう、

 

と、はっと我に返った。

 

だって、部屋に入ってきたのが蝶々だったら、

 

殺虫剤をふり掛けたりしないだろうから…。

 

 

見えている夢の空間に顕れてくるものは、

 

全て自分であり、すなわち神の反映なんだ、

 

という思いが、一気に押し寄せ、

 

コバエに対して(本当は神に対して)、

 

ありがたい気持ちでいっぱいになった。

 

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 👆 60キロで4セット目、辛いっ! 

 

もちろん日常生活では、

 

フツーに落ち込むし、フツーに焦るし、フツーにムカつく。

 

 

〝めっちゃヘコむわー。でも、なんかシアワセ〟

 

〝うわっ、どうしよう。でもなるようになるし、ま、いっか〟

 

〝アイツ、まじムカつく。でも、やっぱりだいすきーっ〟

 

と、ここまでくればもう、本人にすら、わけが分からない。

 

 

表面で何が起こり、どんな感情が湧いたとしても、

 

根底にはハートの愛が流れている。

 

何が起きても、天国は変化しない。

 

その流れに抵抗せず、身を任せるのだ。

 

 

電車に乗り遅れた、スマホを無くした、仕事で失敗した、

 

など、何かうまく行かないことがあったら、それは、

 

うまく行かなかったほうが良かったのだ。

 

なぜなら、それがうまく行っているかどうかなんて、

 

個の自分には解らないからだ。

 

全てが完璧に良き方向へ流れている、

 

と捉えることが神に抵抗しない、の意味となる。

 

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否定する教師

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今日、久々にジムで自主トレをした。

 

ダンベルプレスと、ケーブルクロスと、腹筋をこなす。

 

ここのところ、ずっとデスクに座りっぱなしだったので、

 

身体がプルプル喜んでいるのが分かる。

 

ジムは、集団感染を恐れる人たちの影響で、

 

今日もガラガラだった。(10人くらい)

 

逆に、ガラガラなので集団感染のリスクが少なく、

 

安心して利用できるという、皮肉な展開に…。

 

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夜、ようつべサーフィンをしていて、

 

あるマスターが主催するリトリートの動画を見ていた時、

 

その動画の中で参加者の一人が、

 

「さっき、あなたが言っていた事について、誰々さんは、

 

    違う事を言っていましたが、どういうことでしょうか」

 

と、別のマスターの名前を挙げて質問していた。

 

マスターの先生はしばらく独自の持論を述べた後、

 

その人は違いますね、と、別のマスターを全否定した。

 

それまで 「この人、なかなかいいこと言うな。」

 

と思いながら見てたのに、なんだかシラケてしまった。

 

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スピのリトリートなどの質問コーナーなどでよく、

 

目の前のマスターに、別のマスターの言っていることが

 

正しいかどうかを確認しようとする参加者がいる。

 

「誰々さんはこういうふうに言われてましたが…。」

 

「あの本にはこういう風に書いてあったのですが…。」

 

「誰々さんのブログが大好きで読んでいるんですが、

 

 その中にこういうことが書いてあったんですが…。」

 

みたいな…。

 

 

こういう質問はあまり意味がない、と僕は思っている。

 

なぜなら、マスターAに、マスターBのことを質問し、

 

マスターAが、マスターBは間違っていると言ったとして、

 

もし、同じ質問をマスターBにすれば、今度は、

 

マスターAが違う、となるかもしれないからだ。

 

 

なので、僕は原則として、自分たちのコミュニティの中で、

 

他の教師について否定している人を信用しない。

 

本人不在の中で、あの人が言っていることはなんちゃら

 

と、云々しても意味を成さないし、

 

だいいち、そんなの〝愛〟じゃない。

  

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僕たちは、学びの、とある地点で、

 

全ての教師のセッションや、ワークや、スピ本や、

 

スピ動画をすべて捨て去るべき時がやってくる。

 

そして、その瞬間は、

 

自分が悟るだろう〝いつか〟ではなく、

 

〝いま〟ここに用意されている。

 

 

日常の〝いま〟の中に在る神に気づく瞬間は、

 

コミュニティーや学習会の中ではなく、

 

真に一人にとどまり、沈黙した、

 

いま、この瞬間に起こるのだ。

 

 

なぜなら、

 

〝このコミュニティの人たちと一緒に学び、

 

 みんなで父が待つ故郷へと帰ってゆきます〟

 

なんてあり得ないからだ。

 

もしあったら、それって、カルトだよう。

 

 

 

か・み・さ・まぁーっ!

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もう一か月以上出張してない。香港からも出てない。

 

お籠り大好きな僕としては、チョーハッピーなのだが、

 

ただ、一日中デスクに座って仕事をしているせいか、

 

夕方頃には足がふやけ、階段もまともに降りれなくなる。

 

これはヤバい、と思い、毎日弁当を買いに出たついでに

 

ウォーキングがてら、少し遠回りをして戻ることにした。

 

こうして、いまここに在る風景の中を歩いていると、

 

普段なら気にも留めずに通り過ぎるシーンの一駒一駒が

 

美しい芸術作品のように、色とりどりに息づいて見える。

 

消火栓の形、ビルのタイルの模様、道行く人々の流れ、

 

もう完璧に調和してここに存在している。

 

こういう状態はすでに数か月続いていて、その間、

 

毎日何度も数字のぞろ目を見る。

 

今思えば、この現象は、自分責めをやめたことと、

 

いまに抵抗しなくなった頃から始まったような気がする。

 

なので、周囲の人や風景が優しく愛に見えているときは、

 

ああ、ここに神が在るのだな、と思っている。

 

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「この、あると思っている罪悪感を取り消して下さい。」

 

「どうすればいいか、今の私に解るように教えて下さい。」

 

「私には何も分かりません。あなたに全託します。」

 

「信じない。同意しない。存在しない。ゆえに罪はない。」

 

 

僕が昔、みぞうちの〝ドびゅんびゅん〟に襲われ、

 

赦しを実践する際、心の中で聖霊に叫んでいた言葉を、

 

過去の記事から適当にいくつか抜き出してみたのだが、

 

なんていうか、もう、いまでは、

 

「か・み・さ、まぁーっ!神さまあーぁっ!かみいぃーっ!」

 

の大絶叫だけで完結してしまっている。

 

 

こうやって過去の記事を読み返してみると、

 

その都度、聖霊に祈って赦しを実践していたころは、

 

個人の私が、聖霊に何かをお願いしているという感じで、

 

なんか、すごく必死、というか、かなりキツそうだ。

 

それでも、大気圏突破中の自分はよく頑張ってたな、

 

と、その頃の自分をとても愛おしく思えた。

 

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例えば、

 

寝る、というのなら〝寝る〟だけでいいのに、

 

明日の朝早いから寝る、疲れないために寝る、

 

という解釈をいれてしまう。

 

それと同じく、神というなら〝神〟だけでよくて、

 

特に、僕みたいに単純な人間は、

 

すごく動揺した時や、悲しくてやりきれない時、

 

うまくいかなくてどうしようもない時など、

 

いちいち、心の中で祈りの言葉をつぶやき続けるより、

 

〝かみさ、まあああぁぁーーっ〟と絶叫していた方が、

 

ピーンと神の方へ戻っていきやすい。

 

 

それでも、ただひとつ断言できることは、何経由であれ、

 

必ず最後は神に行きつく、ということである。

 

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