香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

うす曇りの土曜日

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今日は三連休の二日目、ずっと家でうだうだしていた。

 

夕方、すんごく眠くなって爆睡する。

 

そういえば昨日は春分の日だったんだね。

 

深夜に起きだし、何か食べようと思って外へ出てみる。

 

香港そごうの辺りで何組か路上ライブをやっていた。

 

香港もだんだん活気を取り戻しつつあるのでうれしい。

 

結局、昨日食べたポークステーキの味が忘れられず、

 

同じ食堂で同じステーキを頼んだ。ああ、美味しかった!

 

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神の世界(実相)だけが真実で、それ以外は存在しない、

 

という点について、コースは一切の妥協をしない、

 

と、言っているが、神がいまここに在る、を智ったいま、

 

本当の意味でこの〝妥協しない〟を生き始めている。

 

 

純粋非二元以外真実ではない、を実践するとは、

 

いかなる肉体としての個のアイデンティティ、例えば、

 

〝私は、やり甲斐のある仕事を持ちながら、

 

愛する伴侶や子供と共に、充実した人生を歩んでいる

 

何某という肉体です〟

 

の一切を放棄することを意味する。

 

もちろん、精神的にではあるけれど…。

 

 

神の愛だけが実在だ、と言われれば、

 

そうだよねえ、愛しかないよねえ、とうなづけても、

 

それ以外は実在ではない、と断言されれば、

 

ええっ、と、水を差されたようにシラケてしまう。

 

 

僕は結婚もしておらず、子供もおらず、伴侶もおらず、

 

財産もなく、執着する何かや、守るべきものもないため、

 

もう明日にでも幻想から脱出してもマジ平気である。

 

それに、年齢的にも、もういい年であるので、

 

したいこともやったし、未練や思い残すことも特にない。

 

 

しかし、ちょっと前までは、

 

コースは心の中のことだけを言っていて、

 

外の世界では別に何をしてもいいんだよね、とか、

 

心の中で夢だと解っていればお金儲けもOKだよ、とか、

 

神に触れれば、特別な人がもっと愛おしくなるよ、

 

という風に「コースは心の中だけを扱っているから…」

 

を口実にして、本音では現実を良くしたいと思っており、

 

しかも、そのことに本人は全く気づいていない、という…。

 

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〝神だけが実存〟が先手に来るべきだ、と思うのだ。

 

神だけが実存で、その神はすでに今ここに在った、

 

がバシッと体験として入って初めて、

 

それ以外のものは本当に無かった、と理解できる。

 

 

神に在る、が見えていると、

 

天職だと思えるこの仕事や、大切なこの肉体や、

 

かわいい子供や孫、大好きな趣味やスポーツが、

 

存在すらしていない幻だった、と理解しながら、

 

その奥に流れる神の愛を感じることができる。

 

そうして初めて、

 

あなたがこの幻想の世界で愛している全てのものは、

 

なにひとつ実在ではない、と心から断言でき、

 

大切にしている自動車、地位、収入、仕事、

 

特別なパートナー、自分を分かってくれる友人、

 

土地、家、財産、貯金、生活の糧、信用、お金、などの、

 

まやかしの神を、幻想としては維持しながらも、

 

〝真に〟放棄することができるのだ。

 

なぜなら、

 

心底、納得して放棄できたとき、まやかしだった神が、

 

今度は、本物の神の写し絵となって輝き出すからだ。

 

 

 

自分ルール

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今日は、働き方改革による強制有休消化で休んだ。

 

11時にチョイ姐が掃除に来るので、

 

10時に起きる予定だったが、目覚めたら正午だった。

 

ヤバい!寝室を出てみるとすでに洗濯機が回っている。

 

チョイ姐は買い物に出ているようだ。

 

僕は大急ぎで顔を洗い、慌てて部屋を後にした。

 

 

初めて入る食堂で昼食を取った。

 

巨大なポークステーキがチョー美味かった。

 

昼食の後、近所の日系ヘアサロンへ髪を切りに行った。

 

極端な刈り上げはやめ、自然な感じに仕上げてもらう。

 

スタイリストが変わるとこんなも雰囲気が変わるのか、

 

とちょっと驚いた。

 

その後、ジムで少し筋トレをした後、

 

通りがかりの店で夕食の叉焼を買って帰宅した。

 

いつもと違う食堂、違うヘアサロン、違う叉焼、

 

〝お決まり〟もいいが、小さな冒険も楽しいものである。

 

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どんな人にも、その人独自の自分ルールがある。

 

毎朝必ず青汁を飲むとか、お風呂では必ず首から洗う、

 

といった生活習慣上のルールに始まり、

 

散髪はこの店、醤油はこのブランド、というこだわり、

 

そして、酒は好きだが体に良くないからやらない、とか、

 

苦労をしないと欲しいものは手に入らない、といった、

 

信条的なルールに至るまで、僕達はこうした、

 

密かな習慣やこだわり、信条などをルール化することで、

 

判断をする労力を省き、自分だけの平安を維持している。

 

 

だが、ひとたび何かのアクシデントが発生し、

 

自分が決めたルールが実行できなくなったり、

 

こだわっているものが手に入らなかったり、

 

自分の信条と真逆の生き方をしている人を見ると、

 

その自分ルールを阻む出来事や他者に対して、

 

怒りを覚えたり、批判したくなったりする。

 

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僕の自分ルールと言えば、そうだなあ、

 

夜、必ず決まった銘柄のワインを飲まないと眠れない、

 

夜、炭水化物を食べると太るので食べてはいけない、

 

朝、あの運転手さんのバスに乗るといいことがある、

 

と言った感じか…。

 

 

でも、そんなくだらない自分ルールであっても、

 

チョイ姐がワインを買い忘れていたり、

 

仕事の付き合いで、夜ラーメンを食べさせられたり、

 

乗ったバスが、幸運の運転手ではなかったとき、

 

無意識のうちに心の中で〝チッ!〟とやっている。

 

勝手に自分で決めたルールで人を裁いているのだ。

 

 

自分ルールを無くそうとする必要はないと思うが、

 

ただ、なんでこんなことやってるんだろう、

 

なんで、これでないとダメなんだろう、

 

いったい、このルール設定の大元は何なんだろう、

 

と気づくことで、自分が何を信じているかが見えてくる。

 

今日の僕の様に、小さな自分ルールを外して行動すると

 

枠を作って安心している自分に気づけたりもする。

 

また、

 

人を批判するためにルールを作っていることにも…。

 

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他人に言わせて自分攻め

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他者から何か、どん底に突き落とされるような一言や、

 

怒りや恐怖を誘発するような言葉を投げかけられた時、

 

それは、普段、自分が自分に投げつけていた言葉だった

 

ということに気づいてはっとしている今日この頃である。

 

 

以前、このブログでも書いたが、パーティーの席で突然、

 

声が女みたいで気持ち悪い、と言われたことがあった。

 

これは、若いころから気にしていた部分でもあり、

 

言われた瞬間、ショックで身が凍ったのを覚えている。

 

で、昨夜、なんとなくこの時のことを思い出していると、

 

ああ、これは、普段、自分が自分に呟いていることを、

 

外側の誰かにハッキリキッパリ言わせることで、

 

その信念を強化していたんだ、ということが分かった。

 

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また、別の観点から見れば、

 

自分の声は気持ち悪い、だから、もっと注意しろ、

 

人前で話すときは絶対に気を抜くな、常に緊張していろ、

 

でないと、みんなから気持ち悪いって攻撃されるぞ、と、

 

常に自分を叱咤し続けた結果、本音の自分が、

 

「もうやめてくれ!」とばかりに、周囲の兄弟を使って、

 

自分攻撃を止めさせようとしている。

 

 

なので、兄弟から何か言われて心が傷ついたのなら、

 

それは、お前はこういうところが、ダメだ、ダメだ、ダメだ、

 

と、自分が自分を傷つけていることへの警告でもある。

 

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また逆に、兄弟から〝言わせられる〟パターンもある。

 

というのも、香港支社には僕の他にもう一人、

 

部品の調達などを担当している日本人駐在員

 

(50歳/子供二人/妻は中国人)がいるのだが、

 

昨日の部門長会議で、彼が20分くらいかけて、

 

自身の仕事の成果をトクトクと発表したにも関わらず、

 

のちに送られてきた議事録には、彼の発表内容の

 

記載はおろか、彼にだけ社長のコメントがなかった。

 

 

以前から、彼のプレゼンは長ったらしくて要領を得ない、

 

何が言いたいのかよくわからない、といった意見があり、

 

たぶん書記の人も何を書いていいのかわからず、

 

社長もコメントのしようがなかったのだろう、と推測した。

 

そこで、僕は、言おうかどうしようか迷ったのだが、

 

「いつもタラーっと話すので、

 

 たぶん社長も内容が理解できないんだと思うよ。

 

 本当に言いたいことだけを三つくらいに絞って、

 

 それをパワポの表にして簡潔に発表してみては?」

 

と、ヘコみ気味の彼に、アドバイスをしてみた。

 

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「みんなそう思ってるなら言ってくれればいいのに。」

 

という彼に、だから今言ってるじゃん、と思いながらも、

 

「新卒でもない50歳の管理職に、みんないちいち、

 

 そんな初歩的なことなんか言わないと思うよ。

 

 ダメならダメって、そう評価されるだけだと思う。」

 

と、僕も、口をつくままに言葉を返した。

 

 

瞬間、自分には何の関係も無いのに、

 

普段からとても穏やかで優しい彼に対して、

 

僕が、こんなキツいことを言うなんて、

 

絶対におかしい、と思った。

 

そしてこの時〝いつも自分は評価されない〟という、

 

彼の信念を強化するために

 

僕が一役買わされたことに気づいた。

 

彼がいつも心の中で自分に対して呟いている言葉を、

 

僕は彼から〝言わ〟されたのだ。

 

 

なんか、こういう風にみてゆくと、やはり僕たちは、

 

ひとつの意識で完ぺきに事を起こしている。

 

 

だから、僕たちにできることは、

 

いま、この瞬間の神に抵抗しないこと、

 

起こっていることに抵抗せず、ただ在ること、

 

そうやって、自分の全てを赦すことだけだ。

 

 

こんなことをやっていると、

 

彼のことがとても愛おしくなり、それが反転して、

 

自分も彼も全世界から愛されているーっ、

 

という感じが押し寄せてきたので、

 

よし、オーケー、完了、と彼に向って親指を立て、

 

お疲れさまーと退社した。