香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ズッキーンと差し戻される

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👆 もうすぐ再開

 

先にお知らせなのですが、

 

最近、コメント欄に書き込みができなくなった、と、

 

読者の方々よりご連絡をいただいております。

 

確認したところ、

 

どうやら、インターネットエクスプローラーからだと、

 

コメント欄の画面に不具合が出るようです。

 

現在、はてな事務局へ問い合わせをしておりますが、

 

Google Chromeもしくは iPhone safari からだと、

 

正常に書き込みができるようですので、

 

大変恐縮ですが、コメントをしていただく際は、

 

そちらから書き込んでいただくか、もしくは、

 

プロフィールにあるメアドに、

 

メッセージをいただければ幸いです。

 

お手数ですが、よろしくお願いいたします。

 

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👆 家にある中国たばこのコレクション 

 

というわけで、予想していた通り、今日は、

 

階段が上がれないくらいの筋肉痛に見舞われている。

 

特にスクワットをやった内腿の筋肉がキンキンして、

 

両足を外股にしてカニみたいに歩いている。

 

それでも、昨日は久々に筋トレができてうれしかった。

 

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話は変わり、今日、労災保険の見積りが、

 

保険エージェントから来たので、稟議を提出した。

 

香港では、

 

仕事上の過失で従業員が障害を持った時に備え、

 

各企業は強制的に労災保険に加入させられる。

 

料率は従業員の年収によって決められ、

 

補償額も〝労働法例〟によって細かく定められている。

 

 

稟議はネットの社内専用ページから申請するのだが、

 

しばらくして、

 

その稟議が元コンババ部長によって差し戻されてきた。

 

元コンババ部長のコメント欄を見れば、

 

見積書だけでなく、補償内容が付記されたポリシーも、

 

一緒に添付してください、とある。

 

普段なら、別に仕事だし、と再提出して終了、なのだが、

 

今回はなぜか〝差し戻し〟の文字を見た瞬間、

 

落ち度を責められ拒否された、という想いがこみあげ、

 

みぞおちのあたりが、ズッキーン、と疼いた。

 

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👆 大澳に行く途中で通りかかった、

  香港ヴィパッサナーの新しい瞑想センター

 

以前は毎日のように感じていたこのズッキーン、

 

かなり久しぶりで、自分でもちょっと笑いそうになった。

 

神の想いを認知し間違えてズッキーンになっているのは

 

解かっている。

 

それに、ズッキーンの真っ最中に、

 

聖霊を求めたり、神を思い出そうとしても無理なので、

 

認知し間違えていることだけを認知した後は、

 

とりあえず、ズッキーンしたまま仕事を続けた。

 

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それからまたしばらくして、

 

元コンババ部長から、別件で電話が入った。

 

話の流れで、さっき、稟議を差し戻した話になった。

 

彼は言った。

 

「僕も以前、日本の保険の稟議申請を上げたとき、

 

 社長からポリシーが付いてないって叱られたんだ。

 

 だから、この稟議が社長決裁に回ったとき、

 

 星谷さんも同じ思いをしないようにと思ってさ。」

 

 

一瞬で、不快なズッキーンが愛のズッキーンに変わった。

 

差し戻されてきたと思ったのは、攻撃ではなく神だった。

 

電話を切ってから、ちょっと泣きそうになった。

 

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ただ、誤解を避けるために言っておくなら、

 

彼がしてくれた気遣いに神(愛)を感じたのではない。

 

不快なズッキーンと、神の愛でキュンキュンする感じは、

 

全く同じものであったことを知り、うれしくなったのだ。

 

ズッキーンの前に、

 

〝不快な〟が付くか〝愛の〟が付くかだけで、

 

どちらも同じズッキーンなのだ。

 

 

ズッキーンはズッキーンのままですでに神であり、

 

聖霊に修正してもらおうとする必要もない。

 

それはもう、そのままここに在る神そのものだ。

 

ただそれを見るだけ。

 

そうすると、ズッキーンが神の想いだったと解かる。

 

 

よく、憂鬱なことに心が埋没して神が思い出せない、

 

でも、もう自分は天国にいるんだよな、なのに憂鬱…、

 

みたいな時ってあると思うが、これって、

 

憂鬱な想いと神の想いを別物だと考えている。

 

憂鬱な思いを消し去り、神の想いに変えてください、

 

とやっている。

 

 

ノーッ!

 

憂鬱、それそのものでもう神であり、

 

憂鬱を感じているとき、それは神を感じている。

 

抵抗せずに、そのまま見ていること。

 

憂鬱に抵抗しながら神を求めるのは、

 

神を押しのけながら神を求めているのと同じだ。

 

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それにしても、

 

なぜ僕は元コンババ部長にウルウルしているのだろうか、

 

もっと他ので神を感じたいよっ。

 

 

僕、壊れる

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昨日は奇妙な一日だった。

 

土曜日の夕方、僕は、ふとした思いつきで、

 

玄関にあった1メートル四方ほどの姿見の鏡を外すと、

 

寝室のベッドの飾り板の前に立てかけた。

 

次にその鏡の前に胡坐をかいて座ると、何を思ったのか

 

僕は突然、鏡の中の自分と会話を始めたのだ。

 

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「年下の奴からタメ口きかれたらムカつくの当然だよな」

 

「あんな言い方されたら誰だって傷つくに決まってる」

 

「あの時に僕を庇ってくれたあの人、どうしてるかな」

 

 

まるで他の誰かと、普通におしゃべりでもするように、

 

鏡に映る自分の瞳を凝視しながら語り掛ける。

 

もちろん、こんなこと、やろうと思ってやってない。

 

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 やがて、会話は自分自身との対話へと移行していった。

 

 

「いままで君の言うことに耳を傾けなくてごめんな」

 

「それどころか、僕は君を傷つけてばかりいた」

 

「もう、僕は君への(僕への)抵抗を止める。君と共にいる」

 

 

もう、自分が誰に語り掛けているのか分からなかった。

 

自分と対峙しても、最初は一言も発せられなかったが、

 

慣れてくると、いままで自分に言いたかったことが、

 

怒涛のようにこみあげてきてきた。

 

心の中で思うのではなく、実際に声に出して言った。

 

その方がいい、と直感したからだ。

 

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遮光カーテンを引いて寝室が薄暗かったせいもあるが、

 

鏡の中の自分の輪郭が青白く光って見える。

 

と、もう一回り大きな人型の輪郭が立ち上がった。

 

あっ、僕と共に旅する光の存在だ、と思った。

 

夢に出てきた、あの彼に違いない。

 

彼はいつも僕と共にいて、あらゆる手を尽くし、

 

この夢の世界で苦しんでいる僕を助けようとしている。

 

なのに、生まれてこのかた、僕はそんな彼を無視して、

 

自分勝手の限りを尽くし、結果、全て失敗していた。

 

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1時間くらい自分と(本当の自分と?)話していた。

 

なんでこんな行動を取ったのか自分でも謎である。

 

僕なんかより、何倍もスピに詳しい読者の方なら、

 

「ああこれって、あのミラーなんちゃらメソッドね」

 

となるのかもしれないが、僕は何も知らずにやった。

 

 

で、深夜、小腹が空いたので、

 

ワイングラス片手にウインナーを炒めていた時、

 

突然〝巨大な有難さ〟がこみあげてきて、

 

気が付けば僕は、床にへたり込んで号泣していた。

 

 

この瞬間の感覚を説明するのは難しい。

 

もう、ただただ、自分が有難く、兄弟が有難く、

 

大好きなこの人も、小憎らしいあいつも、

 

みんなみんな、自分の中で愛の光を放っていた。

 

 

しばし、有難うーっ、と叫びながら思う存分泣き続けた。

 

この時ほど、1人暮らしでよかったと思ったことはない。

 

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もう、自分を全肯定して生きよう。

 

なぜなら、自分を全肯定して生きることが、

 

神を全肯定して生きることだと確信できたから…。

 

ただしそれは、決して、

 

〝個の自分〟を全肯定する、ということではない。

 

自分の夢に〝反映〟されている神の世界、

 

愛としての全兄弟を肯定する、という意味である。

 

 

大好きなあの人、小憎らしいあいつ、恐れの対象、

 

過去の自分が、赦されるために(全肯定されるために)、

 

他者となって、今の自分に会いに来ている。

 

だから、彼らは全て〝わたし〟の心そのものである。

 

 

僕はもう、人を憎むことはないだろう。

 

同時に、これでやっと本当の赦しを始める態勢が整った。

 

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と、そんな出来事から一夜明けた日曜日の午後、

 

一ケ月ぶりに、トレーナーのもとでリアル筋トレをした。

 

一ケ月以上のブランクがあるということで、トレーナーも

 

負荷の少ないメニューを組んでくれていたにも関わらず、

 

もう、辛くて死ぬかと思った。

 

 

というわけで、

 

今月17日ごろにコロナ終息宣言が出そうな香港である。

思い出し不足

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👆 ジムの受付。

 

 ジムが解禁となったので、今日から自主トレを開始した。

 

筋トレをするのは、まさに一か月ぶりだ。

 

運動したい人たちでごった返しているのかと思いきや、

 

入場が50%に制限されているため、館内は空いていた。

 

更衣室のロッカーも半分が施錠されており、

 

ランニングマシーンも一つ飛ばしでしか利用できない。

 

だいぶ筋力が落ちているだろうなあ、と思っていたが、

 

やってみると、案外、高重量を扱えた。 

 

それでも、

 

日曜にはトレーナーとのセッションが待っているので、

 

筋肉痛にならないよう、控えめな自主トレとなった。

 

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話は変わって、

 

他の人はどうか分からないのだが、昔から僕には、

 

ああなったらどうしよう、こんなことが起こったら嫌だな、

 

と、事前に予測できたことは起こらない、という、

 

妙なジンクスがある。

 

あの件でみんなから攻撃されたらどうしよう、とか、

 

こんなことしたらあの人に何て言われるだろう、

 

と思ったら、ああ、これは現実化しないな、 と、

 

妙に納得して、ホッと胸を撫で下ろしたりするのだ。

 

これってなんか、

 

思い出すことで設定が消去されていっているような、

 

消去されるために思い出されているような、

 

不思議な感覚である。

 

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👆 ブランドショップの殿堂、ランドマークのカフェ 

 

例えば、

 

毎年保険に入っている時は病気ひとつしなかったのに、

 

保険に入らなかった年に限って病気になった、とか、

 

いつもはこまめにUSBにバックアップを取っているのに、

 

バックアップを忘れた時に限ってパソコンが壊れた、

 

みたいな経験を僕たちはしょっちゅうしているが、

 

ひょっとしてこれは、

 

思い出されないことで起こっている現象かもしれない。

 

 

そういう意味で僕たちは、

 

病気になった時のために保険に入っているのではなく、

 

保険に入り、心にある種の安心が生まれたことで、

 

それらの災難を起こらなくしている。

 

そういえば、大方の災難というのも、

 

思ってもみなかった時に起こるのが常である。

  

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👆最近グレイフランネルが好きになってきた

 スコットランドの森に生える苔の香りなんだって 

 

〝事前に、内面を浮上させて、見る〟という行為は、

 

起こっていないことを、起こっていないこととして、

 

認識することで、投影を取り消している。

 

 

ある意味、

 

僕たちは、心を癒すために、思い出しているのだ。