香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ハートの涙

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リビングのエアコンから水漏れがしているのだ。

 

ずっとではなく、忘れた頃にボタボタッ、と来る。

 

これが、詩人の伊藤整とかの手にかかると、

 

〝僕のエアコンが、悲しみの涙を流している…〟

 

みたいになるのだろうが、泣きたいのはこっちである。

 

 

二週間ほど前にも、同じような水漏れが発生し、

 

その時は、チョイ姐がいる間に修理屋の親方が来て、

 

入念にエアコンの中を洗ってくれた。

 

にもかかわらず、

 

また水が漏れ、今度はソファがびしょ濡れになった。

 

即行大家さんに電話をし、再度修理を手配してもらった。

 

クーラー等の設備は大家さんの所有となるため、

 

修理も全て大家さん持ちなのだ。

 

で、今日午後から修理屋さんが来るというので、

 

仕方なく、昼から有休を取り、大急ぎで家へ戻った。

 

 

修理屋さんが言うには、エアコン自体は正常で、

 

排水パイプのつまりもないとのこと。

 

前回水洗いした時の水がまだ残っていたらしく、

 

その水を抜く作業をしてもらった。

 

「本当の水漏れはこんなもんじゃないからね。

 

 詰まってたら、もうダダ漏れなはずなんだよ。」

 

と、なぜか親方は人差し指を立て、自慢げに言った。

 

それだったら、前回、ちゃんと水を抜いといてくれよ!

 

ま、これで、まだ水漏れするようなら、もう抵抗はやめ、

 

扇風機で香港のあっつ―い夏を乗り切る覚悟である。

 

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エアコンの修理が15分で済んでしまったので、

 

それから書斎にこもり、執筆をしたり、色々して過ごした。

 

なんか、だいぶ〝今に在る〟ことに慣れてきた。

 

神も、兄貴も、ハートも、天国も、平安も、愛も、

 

他のパラレルにも〝いま、この場所〟から入ってゆく。

 

僕の場合は、

 

〝自我も無い、世界も無い、罪も無い〟ってやるより、

 

〝神も、霊も、ハートも、愛も、全部ここにあった、

 

 そして自分もまた、全部そのものだった!〟

 

ことに気づくことで、本当に無かったという理解が起こる。

 

うまく言えないけど…。

 

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自分会議

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 👆出張がないので免税のウイスキーが買えない

  仕方なく、フランスのウイスキーを買ってきた

  本当は、サントリーの角が飲みたい

 

次々に浮上してくる想いをちゃんと見てやることは、

 

本当に大切だな、と実感する今日この頃である。

 

 

怒り、妬み、憎悪、大嫌い、といった解かり易いものから

 

幸せを感じる自分に罪悪感、といった複雑なものまで、

 

そこに一切の解釈を入れず、ただ感じて、観る。

 

 

とは言っても、鏡を使った自分会議をして分かったのだが

 

〝感じて観よう〟としても、これがなかなか難しい。

 

過去の出来事から妄想劇場に変わったりして、

 

即座に自分で自分の本音を隠してしまう。

 

 

しかし、僕のように毎日自分と話す癖をつけると、

 

最初は、鏡で自分の目を凝視するのも怖かったのが、

 

だんだん慣れてきて、いろいろ話せるようになってくる。

 

僕の場合、心の中だけでの対話だと、

 

すぐに他のことを考えてしまうので、声に出して話す。

 

話しているうちに、だんだん本音が浮上してくる。

 

やがて、

 

自分に何か訊く度に、びびっ、と答えが来るようになり、

 

そうやって、ゆっくり、ゆっくり、自分との対話から、

 

兄貴との対話へと移行してゆく。

 

 

まあ、僕の兄貴との繋がり方はこんな感じなのだが、

 

人それぞれ、得意のやり方があると思うので、

 

いろいろやってみるのも面白い。

 

👇 なぜか今、もう一度見たい映画 👇

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今日は日曜日、トレーナーとのセッションの日だった。

 

セッションの時間は午後三時半からだったが、

 

昨晩は、かなり創作がはかどり、夜更かししたので、

 

今日、起きたのが正午過ぎだった。

 

コロナ自粛休みが明けたばかりで本調子ではない、

 

ということで、今日は全身を少しづつ鍛えた。

 

香港では、28日間連続で感染者ゼロとなって初めて、

 

終息宣言が出る。

 

それで、本来、明日出るはずだったのが、

 

くしくも昨日、新たな感染者が出てしまった。

 

終息宣言が出たら、家の近くのオシャレバー(来たーっ)

 

を、カリスマブログを頼りに制覇するつもり。

 

 

自分に訊く、兄貴に訊く

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おとといのコーヒーカップ事件以来、エドワードも、

 

もう一人の日本人も、コーヒーを入れてくれたり、

 

僕の代わりに郵便局へ行ってくれたり、と、なんか、

 

腫れ物に触るように、僕に気を使ってくれる。(笑)

 

でもまあ、僕たちはすでに身内みたいなものなので、

 

しばらくするとまた元へ戻るだろう。

 

 

しかし、僕はもう、引き続き彼らが、

 

古いカップでコーヒーを飲んでいたとしても、

 

何とも思わないだろう。

 

(古いカップは即座に処分されてしまったけれど…)

 

なぜなら、自分の中の本音に耳を傾け、

 

緊張しながらも、相手に気持ちを伝えられたことで、

 

隠されていた〝神への逆恨み〟が昇華され、

 

結果、心が納得し、ある種の赦しが起きたからだ。

 

そのために、僕の想いを受け止めてくれた兄弟がいる。

 

そういう意味で、兄弟には感謝と恩義しかない。

 

なので今後、もし逆に、兄弟から想いをぶつけられたら、

 

僕には彼らの想いを受け止める恩義があると思うのだ。

 

 

これはあくまで僕個人の持論なのだが、もし自分の中に

 

ある親しい人に対するモヤモヤやイラッ、が出ていたら、

 

「聖霊、この思いをなんちゃらかんちゃら…」とやるより、

 

直接本人に伝えた方がよっぽど赦せるような気がする。

 

ましてや相手が夫や妻など、特別な人だとなおさらだ。

 

「なんだ、そんなふうに思ってたのか。」

 

チャンチャン、となる時もあれば、

 

「それじゃあ、私も言わしてもらうけどね。」

 

と、ガッチーン、となるかもしれない。  

 

これって、すっごく緊張して怖いけれど、一回やると、

 

心が納得して、一種の赦せている状態になるので、

 

次に相手が何を言ってもやっても、何とも思わなくなる。

 

家族やパートナー等、生活を共にする親しい人と、

 

常に怒りや緊張を感じながらモヤモヤ暮らすなんて、

 

すごく辛いことだと思うし、悲しいことだと思う。

 

だが、そのムカつくぅーっ、という想いは、実際には、

 

パートナーにではなく、神に対して思っているので、

 

パートナーと向き合うことで、神への思いに気づける。

 

だって、自分が〝この人だ〟と思って選んだ人じゃん、

 

ガッチーンやるだけの恩義はあると思うけどなあ。

 

(※って、一体誰に向かって言ってるんだ? 笑)

 

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 👆 怖そうに見えてどこかカワイイ神様たち

  

そういうわけで、

 

自分に訊くことと聖霊に訊くことは同じである、

 

という事実を体感している今日この頃である。

 

 

以前の僕にとって、聖霊は、自分とは別の、

 

どこか外に在る存在、というふうに感覚化されていた。

 

「この間違った思いを修正してください」 とか、

 

「どうすればいいか教えて下さい」と祈る際も、

 

自分とは別の誰かに呼びかける様な感じでやっていた。

 

もちろん、聖霊は自分の心の中の正しい部分であり、

 

本当の自分を代表していると頭では理解していても、

 

〝訊く〟という行為に対し、どうしても僕たちは、

 

他の誰かに訊くことを自動的にイメージしてしまう。

 

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それでも、ここ最近、、

 

聖霊はもともと自分の心の中にいるのだから、

 

ただ、自分に訊くように聖霊に訊けばいいんだ、

 

ということが理解できて以来、

 

聖霊は自分の中にいて、自分と同じものだ、

 

という体感が起きている。

 

なので、今の僕は、自分を通して聖霊に訊く、というか、

 

自分に訊いているうちに聖霊に繋がる、感じである。

 

 

例えば、今回のコーヒーカップ事件で言えば、

 

「兄貴、この間違った感じ方を愛へと修正して下さい」

 

と、いきなり怒りから神の愛へ振り切ろうとしても無理で、

 

まずは、なんでコーヒーカップごときで怒っているのか、

 

を自分にちゃんと聞いてやって、寄り添ってやる。

 

そのステップを踏むことで、

 

本当は愛を求めてたんだ、本当は神を求めてたんだ、

 

と、本音の核心の部分を認識することができ、

 

そこで初めて〝聖霊兄貴、きたあーっ〟となる。

 

 

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自分なんてない、怒りもない、世界は無い、と

 

コース兄弟たちは〝無〟にフォーカスしがちだが、

 

それも含めて全部神だった、神しかなかった、と、

 

神を肯定することで、愛も天国もここに在ったことを

 

自分の分身である聖霊に教えてもらえる。