香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ひとつの感じ方

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耳の奥がじんじん鳴っている。

 

後頭部とこめかみの辺りもぎんぎん痺れている。

 

眼球の奥がだる痛い。

 

ふわふわして、軽いめまいのような症状もある。

 

毎年、夏至が近づくと、体に変調をきたす。

 

しかし、今年の症状は特に強烈な気がする。

 

なんか、体内で粒子が動き回っているような感じ。

 

それで、さっきニュースで読んだのだが、

 

今年は夏至の日に、日食も起こるらしい。

 

日食ってエネルギーの転換期であると、

 

聞いたことがある。

 

先日も、虫の知らせのような、

 

奇妙な不安感が込み上げてくると書いたが、

 

近いうちに何か起こるのかなあ?

 

アセンション?それとも、韓国と北朝鮮が戦争?

 

とにかく、今週末は、睡眠を十分にとり、

 

ゆっくり身体を休めようと思っている。

 

 

と言いつつ、昨日も行きつけのバーへ寄った。

 

ギムレットと日本酒のマティーニを作ってもらった。

 

夜9時まではハッピーアワーとかで、

 

一杯頼むと、二杯目がタダになるのだ。

 

(※体調がおかしいのは夏至のせいじゃなくて、

 

  単なる酒の飲みすぎなんじゃないの、

 

  と思ったそこのあなた、赦しなさい!)(笑)

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👆 日本酒のマティーニ、SAKETINI
 

 

 仕事終わりに、美味しいカクテルを口に含んだ時の

 

何とも言えないホッとなごんだ感じや、

 

電車の中から、橙色に染まる夕焼雲を見た時の

 

形容しがたいキュンと懐かしい感じ、

 

恋人や家族など、大好きな人の顔を見た時に

 

感じる、言いようのない歓びの感覚、

 

それが神に気づいている感覚である。

 

 

そういった、

 

神に気づいている感覚で生活していると、

 

全てが神だったことに気づく。

 

スマホを見ている時、パソコンを打っている時、

 

誰かとお喋りをしている時、道を歩いている時、

 

必ず何らかの〝感じ〟を受けているはずで、

 

それを〝神の感じ〟だと認識した時点で、

 

ああ、神やん、となる。

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その神に気づいている感じがもっと進むと、

 

嫌いな人、苦手な人、攻撃してくる人、に対しても、

 

彼らを見た時に感じる毒素のような〝嫌な感じ〟が

 

女王様から鞭打たれることが快感になるような、

 

何とも言えない〝エクスタシー〟へと変わり、

 

それが、神に気づいている感覚、へと反転し、

 

ああ、神やん、となる。

 

そして最後は、

 

真の自分に気づいていたんだ、でフィニッシュ。

 

 

結局、感じ方って、ひとつしかなかったのだ。

 

 

小切手こわい

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昨日の部門長会議も無事に終え、今日は、

 

月末支払い分の小切手の振り出しに追われた。

 

日本で小切手支払いをする会社は少ないと思うが、

 

香港や欧米諸国では、まだまだ小切手が主流である。

 

ATMで小切手を口座に入れることもでき、

 

手数料も不要な上、郵送もできるので重宝である。

 

だが僕は小切手を発行するのが大の苦手なのだ。

 

社判を押し損ねて印字が欠けてしまったり、

 

発行日や自分のサインを間違え、

 

何度もやり直すこととなる。

 

その度に破棄する小切手を大量に出してしまうのだ。

 

本当は経理をする事務員さんを一人雇いたいのだが、

 

中国との取引が極端に少なくなった今の業務量では、

 

人員を増やすなどもってのほかで、

 

当分一人、孤軍奮闘するしかないと思っている。

 

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👆 そろそろライチも食べ納め

 

聖霊に訊く、聖霊に委ねる、聖霊を信頼する、は、

 

コース兄弟の基本姿勢ともいうべきものだが、

 

神と一致し始めてからは、聖霊が自分、というか、

 

自分の考えることが聖霊の考え、になっている。

 

 

どういうことかというと、日常で何かが起こり、その結果、

 

自分がどんなことを思い、どんな反応をし、

 

どんな行動をとったとしても、すなわちそれ自体が、

 

聖霊の考えだ、ということだ。

 

 

例えば、

 

大切な面接がある朝、寝坊してしまったとする。

 

大慌てで顔を洗い、服を着ながらも、

 

適当な言い訳を考え、面接先に電話をする。

 

一方で、面接先へ向かう電車の中などで、

 

ちゃんと起きれなかった自分を責めたり、

 

やってしまった、という罪悪感に苛まれたりする。

 

しかし、この状態そのままがすでに聖霊の采配だった

 

ことをすぐに思い出し、あとは何もしない。

 

聖霊に罪悪感を明け渡したり、訂正を依頼したり、

 

何かを祈ったり、ということもしない。

 

要するに、一旦聖霊を信頼し、聖霊に任せたのなら、

 

どんなことが起こって、どんな思いが出てきても、

 

それは聖霊の〝想い〟であり、采配の結果だ、

 

ということだ。

 

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第一、寝坊をして焦ることが、よい事かどうかなんて、

 

そんなの個の自分には解るはずなどない。

 

そして問題は、自分が解釈したものを、

 

聖霊に何とかしてもらおうとする意識の動きにある。

 

 

そう、僕が失敗小切手を何枚出そうと、

 

聖霊に、聖霊に委ねたら、聖霊を信頼したら、

 

そのあとに何が起きても、それは聖霊なのだ。

 

 

イッてる日常

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👆仕事帰りの電車の中から撮影

 雲に反射する夕日がきれいと思って撮ったが

 あとで見てみると、雲の色がすごすぎる 

 

 

神の否定を否定する、という言葉がある。

 

 これは私のスマホ、とか、あの人は同僚の田中さん

 

と認識した時点で、すでに〝神〟であるものを、

 

スマホや田中さんにしてしまっている。

 

すなわち、もうその時点で神を否定しているのだ。

 

 

数年前の僕は、

 

これはスマホではない、田中さんではない、と、

 

一旦否定した神を、再度否定し直すことで、

 

〝神への否定を否定しよう〟と試みていたが、

 

聖霊(神)の眼差しを通して、

 

全体が観れるようになってくると、

 

いちいち、そんなシンドイことをしなくても、

 

初めから全てが神だったことが理解されるので、

 

それぞれの物体や人の中に在る、

 

同じひとつの〝神〟という〝聖性〟が、

 

ハートのエクスタシーとして共振されてくるのだ。

 

なので、今の僕は、誰を見ても、何を聞いても、

 

軽い〝天城越え〟状態となって過ごしている。

 

 

ハートの悦の感覚って、

 

セックスの快感に似ている、と以前書いたが、

 

なんか、日常で軽く〝イッて〟いる感じである。

 

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えへんっ…ごほんっ。 閑話休題。

 

今日は、月一回の定例部門長会議であった。

 

今週から在宅勤務が全面解除されたため、

 

本社や東京支社は、普通に会議室に集まり、

 

僕たち香港組はZOOMで参加した。

 

 

やはり、自分の発表の順番が近づいてくると、

 

怖くはないが、なんか緊張して落ち着かなくなる。

 

それで、今回もいつものようにドキドキしていると、

 

自分は今、大好きな神の前でドキドキしているんだ

 

という〝理解〟が突然上がってきて、次の瞬間、

 

ドキドキが、ハートのエクスタシーへ変わった。

 

そして、法悦のうちに僕の出番は終わった。

 

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SMとか、女王様とかが好きな男性がいるが、

 

きっと彼らも、僕と同じような原理で、

 

ある意味、神を感じているのだと思う。

 

 

書いていて、だんだん恥ずかしくなってきたので、

 

ここらで寝ることにする。

 

おやすみなさい。