香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛を放つ人

f:id:shusaku1:20200723020134j:plain

 

今日は、予算策定会議があったので、

 

昼からオフィスへ向かった。

 

ZOOMなので、家で参加してもよかったが、

 

やはり、会社のデスクトップの方が大画面で

 

ノートパソコンより使い勝手が良い。

 

会議を終え、四時半頃にオフィスを出た。

 

自宅近くでバスを降りると五時半だった。

 

まだ、六時の営業停止時間に間に合う。

 

急いで近くのトンカツ屋で夕食を済ませた。

 

f:id:shusaku1:20200723020144j:plain

 

夜、ワイドショーで、

 

三浦春馬氏の特集をやっていたので見た。

 

彼は本当に、目上、目下に関係なく、

 

人を大切にする人だったんだな、と感じた。

 

そして僕も今後は、毎日関わってゆく人や、

 

見えている物や、起こってくる事に対して、

 

慈しみの気持ちを以って接しようと思った。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

僕の場合だと、普段仕事をしていると、

 

どうしても知らず知らずのうちに、

 

相手の肩書や、取引きの重要度や、

 

社内でも、部署や同僚の性格などによって

 

自動的に対応が変わっていたりする。

 

 

この人はさほど重要ではない、とか、

 

これはそんなに大切なモノではない、とか、

 

この事は重要であの事はどうでもいい、

 

といった〝分別〟を自然にやっている。

 

これって、ある意味、自分がない状態、

 

自分を相手に従属させている行為だ、

 

と言える。

 

しかし、どんな人や物や事に対しても、

 

愛を放ち、愛の眼差しで接することで、

 

相手が主ではなく、自分が主となる。

 

例えば、

 

この人、嫌だな、苦手だな、と思う人でも、

 

愛と慈しみを以って相(あい)対するのだ、

 

という決心と共に相手と向き合っていると、

 

相手がどんなパフォーマンスをしていようと

 

力は自分に在る。

 

これって、ある意味、

 

J兄貴と同じ眼差しを放つのと同じ事なんだ。 

 

 

 

まあ、そうは言っても、となりがちだが、

 

愛という一つの視点で万物を見る、

 

人を大切にする、ということは、

 

スピリチュアルや奇跡講座云々ではなく、

 

人として至極当たり前の事だと思うのだ。

 

 

こういう、

 

基本姿勢を示してくれた兄弟のご冥福を、

 

心よりお祈りいたします。

 

 

コロナの季節

f:id:shusaku1:20200715011407j:plain

👆 マスクをして歌うのって、根性要りそう…

 

 

おっす!

 

おいどん、今日から自宅勤務でごわす。

 

香港は連日100人越えの感染者が出ており、

 

多くの民間企業が在宅勤務となっているでごわす。

 

(って、なんで鹿児島やねん!)

 

で、当分外出しなくてもよいように、昨日の深夜、

 

近所のドンキで食料を爆買いしてきた。

 

それでも、自宅にいると、

 

プライベートと仕事の境界線が曖昧になりがちなので

 

リマインダーできちっとスケジュールを立て、

 

メリハリをつけながら時間を過ごしてゆく。

 

 

こうやって、家で仕事をしていると、突然、

 

いま、自分は、これまでの古い人生を、

 

終わらせようとしているんだ、という、

 

強烈な思いが湧きあがってきた。

 

 

僕の古い人生を少しお話しすると、

 

小学生のころから、

 

海外で生活することが一番の夢だった。

 

それで、日本で語学系の大学を卒業した後、

 

中国やベトナムへ留学した。

 

そして、海外で生活したいというその夢が叶い、

 

それからの二十数年は、海外駐在員として、

 

香港を拠点にあちこち出張する生活を送っていた。

 

しかし、ここ数か月(コロナが始まった頃からかなあ)

 

これまで出会ったことも無いような人に会ってみたい、

 

これまでと全く違う場所で、全く違う人達に囲まれて、

 

全く違う毎日を送りたいという衝動に駆られ始めた。

 

 

いままでも、会社員の傍ら、語学の本を出版したり、

 

小説を出版したり、語学講師をしたりしていたが、

 

フリーになった途端に〝安定を失う恐怖〟に襲われ、

 

その都度、古巣の会社員に舞い戻っていた。

 

要するに、自由にしたいことをして生きることを、

 

自分で自分に許可してこなかったのだ。

 

👇 少し前まではこんな感じだったのに… 👇 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

それで今日、仕事の合間に祭壇瞑想をしていたら、

 

これまでの、安定し、護られてはいるが、

 

会社の許可に従って生きる生き方を、

 

本気で終わらせたい、という強い意志が起こった。

 

 

「いま、私は、

 

 愛と歓びで創られた神の子(霊)で存在することを、

 

 私自身に許可します。」

 

「私は、神の子の自分にふさわしい場所で、

 

 神の子の自分にふさわしい兄弟たちと、

 

 愛と創造に満ちた世界で、肉体を持っている間、

 

 過ごしてゆくことを許します。」

 

 

気がつけば、心の中で、こんな宣言をしていた。

 

いつもはただ、今この瞬間に在る神への抵抗を止め

 

神の気配を感じているだけの瞑想なのに、

 

なぜ、突然、こんなフレーズが浮かんできたのか、

 

自分でも意味不明である。

 

 

これは、確信に満ちた、強烈な意思表明であり、

 

そう表明した瞬間、気持ちがとても楽になった。

 

もちろん、これは、

 

愛と創造に満ちた世界を創ることではなく、ましてや

 

愛と歓びに満ちたどこかのコミュニティに参加する

 

ということなどでは更々ない。

 

 

たった一人の、

 

愛と歓びに満ちた兄弟に出会えればそれでOKだし、

 

たとえ自分一人だけであっても、

 

愛と歓びに満ちた世界に在ることは可能だ。

 

ただ、こういったパラレルへ移行するには、

 

古い信念(今の生き方)と決別せねばならない、

 

ということだけは、はっきりと解かるのだ。

 

 

別段、無理に生き方を変えようとしたり、

 

解釈で行動しようとしているわけではなく、

 

こういう思いが勝手に湧いてくるのだから、

 

もう、どうしようも致し方ない。

 

しかし、これもまた、

 

自身の抵抗がなくなった結果であり、

 

心が癒されてきた結果なのかな、とも思う。

 

 

なので今後は、決して自分に無理強いすることなく、

 

ゆっくり、じっくり、自分を赦し、許可を与え続け、

 

この古い生き方を終わらせてゆこう。

 

そういう意味で、このコロナの時間は、

 

僕にとって、終わりと始まりの覚悟をつける、

 

非常に大切な、内なる時間となってゆくのだろう。

 

 

永遠の幸せ

f:id:shusaku1:20200718222646j:plain

 

この二日間、一歩も外に出なかった。

 

ずっと家で、瞑想をしたり、小説を書いたり、

 

WOWOWの映画を観ながら、

 

のんびり、まったり過ごした。

 

 

香港では再び感染者数が増加しているので

 

明日から一週間、公務員は在宅勤務となり

 

僕が勤務する香港支社も、明日は、

 

10時から17時までの時短勤務となった。

 

そして多分、火曜日からは、

 

しばらく在宅勤務になると思われる。

 

f:id:shusaku1:20200715122641j:plain

👆 日本にかかっている雲が
  麒麟に見えるのは僕だけだろうか

 

そんな中、三浦春馬さんの訃報が入った。

 

首を吊っての自殺で、手帳には「死にたい」

 

と書かれていたそうだ。

 

僕は2015年に公開された日中合作映画、

 

『真夜中の5分前』に出ていた彼を見て、

 

なんて透明感のある俳優さんなんだろう、

 

と、そのときの魅力が印象に残っている。

 

 

演技だけでなく、歌や踊りも上手で、

 

背が高くてイケメン、来る仕事は主演級、

 

性格も穏やかで、みんなに好かれている。

 

そんな人が「死にたい」と思う動機など、

 

僕には到底推し量ることなどできないが、

 

ひとつだけ言えることがあるとすれば、

 

彼は幸せではなかった、ということだ。

 

そして、その〝幸せな感じ〟は、

 

人気がある、とか、仕事が順調、といった、

 

表面的な成功とは全く関係がない、

 

ということである。

 

 

映画に主演した、憧れの職業につけた、

 

好きな人と結婚できた、商売が成功したなど

 

人はなぜ何かを達成しようとするのか、

 

それは、その瞬間に訪れる〝幸せな感じ〟

 

を味わいたいからだ、と言える。

 

しかしそのエクスタシーは一時的なもので、

 

セックスでオーガズムに達した時のように、

 

何かを達成したと同時に消え去ってしまう。

 

そして、再度そのオーガズムを得るために

 

何度も何度も、それを達成しようとする。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

僕も、台湾で小説を出版した時、

 

やっと夢が叶った、と、小躍りして喜んだが、

 

この幸せを維持するには、一冊目よりも、

 

もっと素晴らしい小説を書かねばならない。

 

要するに、きりがないのだ。

 

 

そういう意味で、外の環境がどうであろうと、

 

その幸せな感覚は、常にここに在り、

 

今、この瞬間への抵抗を止めさえすれば、

 

一輪の花からでも感じることができる。

 

 

そして、今、この瞬間への抵抗を止めるとは

 

自分はテーブルに気づいているのではなく、

 

神に気づいているのだ、と智ることであり、

 

今、ここに在る気配に気づくことである。