香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛が見る夢

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今日は、無性にハンバーガーが食べたくなり、

 

再び、仕事帰りにSHAKE SHACKを訪れた。

 

ダブルで頼もうと思ったが、色々味わいたいので

 

種類の違うバーガーをシングルで2個注文した。

 

ここのハンバーガーは本当においしい。

 

バンズもふわふわで、中の肉もとろとろである。

 

スマホ片手の〝ながら食い〟をやめ、しっかり、

 

今、ここに在る神を味わいながら食した。

 

ただ、

 

毎日食べるにはちょっと濃厚すぎるかな?

 

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話は変わって、

 

誰かのことを素敵だなあ、カッコいいなあ、

 

と感じる時、本当は自分のことを、

 

素敵であり、カッコいいと思っている。

 

なぜなら、自分の中に、相手と同じ、

 

素敵でカッコいい要素があるからこそ、

 

相手のことを、素敵だなあ、カッコいいなあ

 

と感じられるからである。

 

なので、性別に関係なく、誰かを見て、

 

素敵だなあ、カッコいいなあ、と感じたら、

 

それが、自分の中に、もともと存在していた

 

〝神〟であったことを思い出す。

 

これは人だけではなく、例えば、

 

自身の愛車に惚れ惚れしたり、

 

素敵な服を見てテンションが上がるのも、

 

自分の中に存在している〝愛の想い〟が

 

反応して惚れ惚れしているのであり、

 

自分の中にある神を、素敵だなあ、

 

と感じてテンションが上がっているのだ。

 

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いずれにせよ、歓びを感じている時は、

 

神を感じて歓んでいるので、

 

抵抗を止めて素直に歓ぶようにしている。

 

 

そうすることで、自分の中に愛が充電され、

 

本当の自分(無限の全体の自分)が、

 

神と同じ愛そのものだったことを知るのだ。

 

やがて、世界が、人々が、愛で輝き始める。

 

比喩ではない。

 

これはもう、本当に輝いている。

 

だって、神の子が見ている夢なのだ。

 

幸せに輝いていて当然だ。

 

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愛の襲撃

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👆 貝、かい、カイ。貝の嵐! 

 

昨夜、コーズウェイベイの繁華街を歩いていた時

 

男性も女性も、子供も大人も、若者も老人も、

 

街ゆく人が全員、頼れる兄貴のように感じられ、

 

聖なる輝きを放って見えた。

 

全ての人が優しく頼もしい存在に見えるのだ。

 

もう、みんなが、寄ってたかって僕に優しくし、

 

僕を助けようとしてくれているように思え、

 

心が愛と感動でいっぱいになったのだ。

 

 

この〝愛されている感じ〟は、

 

現実がどうであるかとは一切関係がない。

 

この中の誰かが僕の財布を盗むかもしれないし

 

次の瞬間には、交通事故に遭うかもしれない。

 

それでも、この愛の感動は変わらない。

 

まあ、ここまでくれば、兄弟が自分を傷つける

 

なんてあり得ない、と信じられるし、

 

たとえそう見えるようなことが起こったとしても、

 

最後は愛に変わると100%確信できる。

 

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もう、父から愛されている感ハンパない。

 

それが、兄弟たちを通して感じられる。

 

この〝全員に愛されてる感〟は今も続いていて

 

なんかよさげ…。(👈 ギャルかっ!)

 

 

キライなまま大好き

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今日は、みずほ銀行へ行くため、

 

チムサーチュイへお出かけであった。

 

海外出張をしなくなって一年近くになるが、

 

こういう、ちょっとした〝おつかい〟が、

 

もう楽しくて仕方がない今日この頃である。

 

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というわけで、大好きモードは続いている。

 

今思えば、

 

〝国慶節不安バクバク飛び降り寸前事件〟

 

を乗り越えた辺りから、

 

僕の意識が大きく変化したように思える。

 

今は毎日、

 

まるで、一日中瞑想しているような状態にいる。

 

仕事でも、滅多にちょちょ舞わなくなったし、

 

人の目を気にしないどころか、

 

人の目自体がなくなりつつある。

 

本当に怖いくらい静寂なのだ。

 

 

いや、もちろん、毎日色んな事は起こっている。

 

仕事でも些細なトラブルは発生するし、

 

それに対する、ドキッ、モヤッという反応もある。

 

本当にうまく説明できないのだが、

 

何ていうか、

 

〝嫌ったままで愛してる、不安なままで平安〟

 

とでも表現すればいいのだろうか、

 

「あの人苦手だけど、なんかすごく好き」

 

「不安バクバクだけど、何気に大丈夫っぽい」

 

みたいな…。(👆 お前はギャルかっ!)

 

 

愛するのに、

 

なんで〝怖い〟を何とかしなくてはならないのか

 

平安でいるために、

 

なんで〝不安〟を払拭する必要があるのか、

 

と思えてしまうのである。

 

 

僕たちはもう、

 

そのままで愛のなかにいる。

 

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