香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

自動赦しモード

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昨日も書いたが、日常のいかなる瞬間にも、

 

〝赦している感じ〟が自分の中に流れていて、

 

知覚が常に〝赦しているモード〟になっている。

 

なので、

 

どんな感情が湧いてきても、意識は即座に、

 

〝もういいや、赦そう〟という方向へ流れてゆく。

 

 

意識が神側(背後の実相側)に開いている、

 

というか〝赦す〟という〝ひとつのこと〟に

 

許可が出せると、何もかもを赦せている状態に

 

なってしまう、という感じなのだ。

 

 

もちろん、生活を送っていれば、

 

これどうしよう、とか、イラ、ムカ、カチン、

 

といった感情が普通に出てくるが、

 

特に、否定するでもなく、見過ごすでもなく、

 

「ああもういいや、赦そう」となった後に、

 

安堵の気持ちが、じわっ、とこみ上げてきて、

 

フィニッシュ、となる。

 

 

この、全部が赦せている感じ、を味わって以降、

 

本当の意味で、この世界は無かった、

 

という知覚がもてるようになった。

 

 

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というわけで、立春に向け、

 

僕の意識がガンガン変容を始めている。

 

こんな時期は、どうしても疲れやすくなるので、

 

十分睡眠を取るよう心がけたい。

 

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あ、そうそう、

 

この僕が、お酒を飲まなくなったんだよ。

 

今回の意識の変容が起き始めてから、

 

というか、去年の暮れくらいからかな、

 

ワインを一、二杯飲んだだけで、

 

身体が重くなり、気分が悪くなるようになり、

 

思い切って、お酒を飲むのを止めたら、

 

身体がすごく軽くなり、よく眠れるようになった。

 

以前は、

 

一晩でワイン一本、なんて普通だったのに、

 

いまはなぜか、飲みたい、とも思わない。

 

その代わり、毎日ウーロン茶を飲んでいる。

 

ビアカフェに行ってもノンアルを注文するんだよ。

 

後で頭が痛くなるのが分かっているから…。

 

無理にお酒を控えているわけではなく、

 

むしろ飲みたいのに、飲む気がしないのだ。

 

 

これって、

 

Jが海の上を歩く以上の奇跡だと思う。

赦すことを許す

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👆 去年のデモをモチーフにした絵

 

 

今日は一日、家でうだうだしていた。

 

午前中、掃除、洗濯、アイロンがけ、と進み、

 

正午になると、探偵ナイトスクープを見ながら、

 

出前のピザを食べた。

 

それから、創作をしたり、本を読んで過ごした。

 

 

夕方、なんか眠くなり、ベッドで少しまどろんだ。

 

ふわふわと宙に浮いたような意識の中、

 

天井をボーっと眺めていた時、突然、

 

「ああ、もう、丸ごと、ぜーんぶ赦そう!」

 

という強烈な〝想い〟が湧き上がって来た。

 

するともう、気が抜けたように身体が軽くなり、

 

「全てを赦す、赦すことを許せている、

 

 OK!OK!パラレル丸ごと赦してOK!」

 

みたいな感覚に凌駕されていた。

 

 

あの出来事のナンちゃらを赦す、とか、

 

内側に出てきたものに光を当て、とか、

 

トランス状態に入って意識が変容を起こした、

 

といったような感覚ではなく、なんていうか、

 

過去も、未来も、過去世も、分離のなんちゃらも、

 

何もかもを、ぜーんぶ、そのまま、まとめて、

 

赦していいや、赦してもオーケー、と、

 

言葉ではなく、体感での納得が起きたのだ。

 

なんか、吸っていた息を一気に吐き出した感じ。

 

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赦しって本当は、

 

赦すことを自分に〝許可〟することだったのだ。

 

 

〝赦す〟と〝許す〟は違うんですよ、

 

と、よく言われるが、

 

赦すという〝ひとつ〟のことを自分に許せば、

 

自分の全てがすでに赦されていたことが、

 

体験として解かる。

 

玉ねぎの芯をガッ、と抜いたら、玉ねぎの皮が、

 

一斉にバサバサっと落ちました、みたいな感じ。

 

 

究極の赦し、とは、

 

赦している感じ、赦せている感触、

 

全て丸腰で赦されているという〝知覚〟であり、

 

何をどう赦しているか、ではない。

 

そのことを〝体感で悟っている状態〟のことをいう。

 

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カチンと来ても、嫌なことがあっても、悲しくても、

 

全部そのままで赦しているその〝感じ〟なのだ。

 

イラ、ムカ、カチン、が消えることが赦しではなく、

 

ましてや、イラ、ムカ、カチン、

 

が出てきたから赦すのでもない。

 

 

やっぱりもう、

 

言語では到底、表現することなどできないや!

 

 

その〝赦していいや〟の感覚は、

 

いまもまだ僕の中で息づいている。

 

というか、自分は赦しそのものだったのだ。

 

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自分は霊だ。

 

だから、この幻想世界で何がっても大丈夫、

 

だって、僕はここにはいない。

 

そのことを〝知覚体験〟できている。

 

これが赦されていることを許した結果だ。

 

 

 

今思ったのだが、ひょっとして今日は、

 

すごい日だったのかも…。

 

 

 

 

知らんけど…。

 

 

 

 

 

〝やるせなさ〟という愛

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👆 民主派の釈放を訴える署名運動

 

 

いま、 

 

「嘘の自分でみんなから好かれるくらいなら

 

 本当の自分で嫌われた方がマシ」

 

と言った、アメリカのミュージシャン、

 

カート・コバーンの言葉を噛みしめている。

 

(彼は27歳でピストル自殺をした)

 

 

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今日も在宅勤務で、

 

財務諸表をチェックしたり、資料作りをしたり、

 

いろいろやることがあって忙しかった。

 

その中に《目標管理設定》というのがあるのだ。

 

多くの会社で採用されていると思うのだが、

 

自分が今期中に達成すべき目標を設定し、

 

期が終わると、上司や社長と面談し、

 

その達成程度に従って評価される、というやつ。

 

 

健全な財務体制の確立、とか、

 

各拠点への的確な業務サポート、といった、

 

部門ごとの大きな目標がいくつかあり、

 

それに沿った形で個人の目標を考える。

 

で、新しい期に入ったので、

 

自分の書斎で目標を考えていたら、突然、

 

何とも言いようのない〝やるせなさ〟が、

 

自分の内側から、わわわ、と込み上げて来た。

 

 

全く自分が目標にしたいとも思っていない目標を

 

会社の指示に従って、一生懸命考えている。

 

そして、会社によって設定された目標が、

 

〝管理〟され〝評価〟され、それが、

 

自分の〝価値〟となることに気づいて、

 

ひゃああー、となった。(👈おせーよ!)

 

 

 自分の魂の本質と合わない場所で、

 

自分の魂の本質と違う事をやっているのに、

 

何も考えず、殆どの時間を無為に過ごしている。

 

それなのに、自分が望まない型の中に、

 

平安、無限、静けさ、創造そのものである

 

自己の本質をはめ込もうともがいている。

 

この本質とズレていることに対する抵抗が、

 

〝やるせなさ〟として顕われていたのだ。

 

 

 

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👆 「偽りの自分で生きながらえるより、

   本当の自分で死んだ方がマシ」

   

 

これまで僕は、

 

「ま、会社ってこんなもんだよ」

 

みたいな感じで、何も考えずにやってきた。

 

しかし、

 

あの〝国慶節飛び降り寸前事件〟の際に感じた

 

理由のない不安感、言いようのない虚無感は、

 

本質との〝ズレ〟から来ていたと今なら分かる。

 

 

こう書くと

 

「これも幻想であり、真実ではない!」

 

「聖霊にこのやるせなさを委ねます」

 

とやりがちだが、僕的には「ノー!」だ。

 

 

いまの〝ズレた〟場所に居ることを

 

決めたのは他でもない自分だし、

 

その場所に居るのが苦しいのなら、

 

そこから離れる、と決断できるのも自分である。

 

無いものにしたり、決断を他の何かに委ねるのは

 

まさに、

 

自分の中に在る無限の可能性から逃げている。

 

 

今日はこの〝やるせなさ〟という感情が、

 

〝決断する強さ〟を教えてくれた。

 

だから、このやるせなさも愛からきている。

 

というわけで、

 

僕の心の反映の場であるこの夢の世界も、

 

今後大きな〝転換〟を起こしていくと思われ…。

 

その勇気を持てたことがうれしい。

 

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