香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

今の至福

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ひゃっほーい!

 

ここ2カ月間、新型コロナ予防措置の一環で、

 

飲食店の営業が午後6時までだったのが、

 

今日から飲食が午後10時まで解禁になった。

 

一日の新規感染者が10人を下回ったためだ。

 

早速、仕事帰りに、

 

家の近くの食堂で夕食を取った。

 

ご飯と、中華スープと、パイナップル酢豚…。

 

やぱり〝お持ち帰り〟よりずっとおいしい。

 

店員さんも大声で「多謝!(おおきに~い!)」と、

 

張り切ってサービスしている。

 

食事をしているお客さんもうれしそう。

 

なんか、幸せな空気が空間に充満していて、

 

僕はただただ、

 

いま、この瞬間に現れては消えてゆく、

 

安らかで優しい気持ちを味わいつくしていた。

 

 

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今を味わう。

 

今、ここに顕れている幸せの気配を味わう。

 

味わっている、この自分に気づいている感覚。

 

ああ、神に気づいている。

 

だから、スマホを見ながら食事をするなんて、

 

僕には絶対にできない行為だ。

 

に気づいているこの至福をスルーするなど、

 

もったいなさ過ぎて、あり得ない。

 

 

いま、この瞬間に顕われている

 

穏やかで優しい波動を感じれば感じるほど、

 

自分の内側の愛が拡大してゆく。

 

それがまた背後のパイプを通って、

 

スクリーンの裏側から反映されてくる。

 

そうなると、

 

みんなが聖霊に見え、現実は否が応でも

 

愛が満ちた世界へと変わらざるを得なくなる。

 

 

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こんな風に、今ここに在る〝悦〟を味わい、

 

そこに留まっていると、明日の事とかが、

 

全く予測不能な感覚になってくる。

 

ていうか、一分先もまっさら、みたいな…。

 

 

あの厄介事も、明日やらねばならない事も、

 

その時になって考えればいいではないか。

 

だって、今は、それは起こってないのだから…。

 

そう、 

 

一か月先なんて、もう〝来世〟やん!

 

 

というわけで、明日は久々にジムへ行く。

 

 

愛が拗ねている

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👆 ジムが閉鎖されているので、

  多くの人が屋外施設で体を鍛えている

 

 

スピをやっている人、特にコース兄弟の中には、

 

自分が何かに腹を立てたり、言い返したり、

 

誰かを批判したりすることに対して、

 

大きな罪悪感を抱いてしまう人がいる。

 

そういう〝負〟と言われる感情が出てきた途端、

 

瞬時に〝ダメッ〟と抑え込んでしまう。

 

そして、その抑え込んだ感情を、

 

〝間違っている〟〝幻想である〟として、

 

聖霊に捧げて赦そうとするが、気分は晴れず、

 

逆に、そんなことを思った自分を責めたりする。

 

 

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僕も、

 

コンババ部長と〝すったもんだ〟していた頃は、

 

いつも心の中で葛藤を起こしていたが、

 

その罪悪感を直視すればするほど、

 

恐怖と不安感で胸がバクバクした。

 

後に、背後でいつも優しく寄り添ってくれている

 

神や兄貴に気づき、愛で満たされ、

 

自分がこの夢の世界で何をしでかしたとしても、

 

無条件で愛されているという〝自信〟を

 

取り戻してからは、世界が一変してしまった。

 

 

まず、怒りや批判や不安そのままでも神だ、

 

と理解できるようになった。

 

なんていうか、ケンカしていても愛し合っている、

 

思い切り噂話や批判をしまくっていても有り難い、

 

バカ野郎ーっ、と罵りながらも大好き、みたいに、

 

ケンカすることと愛し合うことが同じ、というか、

 

批判することと褒めることに差がない、というか、

 

馬鹿野郎と愛しているの間に矛盾を感じない、

 

というか、どちらも神の愛として見えてくる。

 

 

せっかく、

 

神が〝どやっ!〟と顔を出してきたところを、

 

〝それはダメっ!〟と、蝿タタキでバシンッ、

 

とやるように、負の感情を叩き潰していた。

 

しかし、本当は神の想いを叩き潰している。

 

 

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それは、本来愛であるものを、

 

エゴで歪めてしまっているんですよ、とか、

 

自分が地獄にいることをまず認めて、

 

といった、なんちゃらかんちゃらはもう、

 

一旦横に置いて、先ずは、

 

どんな自分もそのまま愛として受け入れる。

 

それが、今、ここに在る神に抵抗しない、

 

ということの意味である

 

 

そうやって、あらゆるものを神として、

 

そのままの自分を受け容れてゆくと、

 

不思議なことに、自我男だと思っていたものが

 

ぱかっぱかっと、聖霊に反転を起こしてゆく。

 

 

結局自我男も、拗ねた愛の裏返しに過ぎない。

 

 

 

立春いろいろ

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今日から仕事始めである。

 

久々に家の外へ出た。

 

春節明けの一日目の出勤日に、上司は部下に、

 

赤い袋に入れたお年玉を渡すのが恒例行事で、

 

今年も袋にHK$500(約7500円)を入れ、

 

エドワードに渡そうと持って行ったのだが、

 

全然彼が出社してこない。

 

しばらくして、

 

彼が住むマンションからコロナ感染者が出たため

 

そのマンション一棟が、まるごと封鎖された、

 

という知らせが入った。

 

それで、彼も強制PCR検査を受けさせられ、

 

さっき陰性が確認された、ということだった。

 

ふぅー、もし彼が陽性だったら、

 

俺も絶対アウトだったよ。

 

明後日からようやくジムが解禁だというのに、

 

もう、カンベンしてくれよ…。

 

 

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それから、日本へ帰任することが決まっていた

 

もう一人の日本人の同僚だが、

 

先週辞表を提出し、3月で退職することになった。

 

そう、あのコーヒーカップ事件の彼だ。

 

最初は、娘さんの日本の高校進学に伴う帰任だ、

 

ということだったが、これを機に仕事を辞め、

 

しばらく日本でゆっくり過ごしながら、

 

別の生き方を模索してみることにしたという。

 

    

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この件については、

 

前から相談され、色々話はしていたが、

 

彼は典型的な保守的サラリーマンだったので、

 

このご時世、高校生と小学生の子供を抱え、

 

まさか会社を辞めるとは思ってもみなかった。

 

しかし、彼から「もう、疲れました」と、

 

ぽつりと言われた時にはすごく納得できた。

 

 

ひょっとして、

 

僕が、本質の神のフォトンを飛ばし過ぎた?

 

それが彼にも影響を及ぼしたのだろうか?

 

いやいや、

 

彼は自分の内なる声に正直に耳を傾け、

 

彼にとっての真実の場所へ向かうのだ、と、

 

力強く〝自分で〟決めたのだ。

 

 

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こうやって、

 

自由に人生の選択をしてゆく兄弟を見ていると、

 

僕まですごくワクワクしてくる。

 

そうなのだ。

 

自分はすでに、完璧に神から愛され、赦され、

 

全肯定されている存在なのだ。

 

だから、決して、こうである必要などなく、

 

何も恐れることなどない。