香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神へ戻る時間

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ひゃっほーい!

 

行きつけのバーがやっと再開したぞ!

 

といっても夜10時までの時短営業だけど…。

 

 

ひょっとしてやってるかなあ、と思い、

 

過去にも何度か店を覗いてみたことがあったが、

 

やはりずっとクローズしていた。

 

しかし、

 

今日、帰宅途中に、絶対やってる気がする、

 

と、ふっと思って行ってみたら、営業してた。

 

 

普通の飲食店は時短ながら再開していたのに、

 

レストランの認可がないバーやカラオケ店は、

 

ずっと再開を許可されずにいた。

 

というのも、民主派活動家たちが、夜な夜な、

 

バーやカラオケ店に集うのを嫌った政府が、

 

コロナ禍にかこつけ、バーやパブやカラオケ店に

 

厳しい規制をかけていたのだ。

 

 

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👆 サンドイッチも美味かった
 

 

マスターいわく、まだ店を開けて数日らしく

 

本当はまだ営業をしてはダメらしいのだが、

 

店に電気コンロとフライパンを置き、

 

何種類かのサンドイッチを提供したりして、

 

ウチは食事を提供する店です、を謳うことで、

 

なんとか、営業しているらしい。

 

 

久々のジンリッキー、さっぱりしていて美味い!

 

マスターは「作り方忘れた」と冗談を言っていた。

 

5か月間休んでいたが、最初の数か月のみ、

 

店の家賃分ほどの補助が出ていたという。

 

しかし、その他の経費や生活費の補助はなく、

 

4割くらいの同業者が廃業してしまったらしい。

 

 

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ドライなお酒が好きなのを知っているマスターが、

 

今度はホワイトレディーを作ってくれた。

 

コアントローの渋みがたあまりませんわ。

 

もうしばらくは香港にいることになったし、

 

家からも徒歩一分のところにあるし、

 

また、ここへちょくちょく通い、

 

いろいろなお酒を試していくことにする。

 

👇 前回バーに寄ったのが去年の11月かあ

  ジンリッキーばっかり飲んでる!

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そういうわけで、

 

仕事帰りや、週末の夜など、こうしてひとり、

 

静かにホッとできる場所と時間をもつことは、

 

とても大切だな、と心底思う。

 

わちゃわちゃしている意識を一旦リセットし、

 

抵抗を止めて、背後の無限の全体に開いて、

 

今この瞬間の平安に許可を出せる時間だ。

 

 

というわけで、

 

ほろ酔い気分で帰途についた春の夜であった。

 

 

ああ、諸行無常

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先週、

 

エドワードの最後の給料の計算をしていた時、

 

解雇補償金や所得税計算、年休の買い上げなど

 

数字をエクセルに打ち込みながら、

 

あと一週間で彼ともお別れかあ、と、

 

何とも言えないノスタルジックな思いに駆られた。

 

 

そういえば、フィリピン工場の日本人責任者も、

 

5月末で退職するのだという。

 

財務責任者の僕が言うので間違いないのだが、

 

うちの会社は真面目過ぎるくらいの健全経営で、

 

ブラックな側面など微塵もない。にも関わらず、

 

多くの人が新たな人生へ旅立っていくのは、

 

やはり、ひとつの場所で地道にやるのが良し、

 

とされた時代から、もっと自由に軽やかに、

 

自分の人生を生きる時代へとシフトする節目を

 

迎えているのかな、と思ったりする。

 

 

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というわけで、諸行無常を見つめている。

 

この世の万物は常に留まることなく移り変わり、

 

ほんのしばらくもじっとしているものはない、

 

という事実に、いまさらながら目を見張っている。

 

 

今朝、鏡に映る自分の顔を見て、

 

あれ、俺ってこんな顔っだったっけ、と思った。

 

そりゃあ、月日と共に歳も取るので、

 

顔が変わるのは当然だが、

 

そういった物理的な変化からくる違和感ではなく

 

自分の顔って、ひょっとしたら、毎瞬毎瞬、

 

別人のように変化しているような気がして、

 

なんか、不思議な感慨にとらわれたのだ。

 

 

僕たちは、ある状態が継続されていることに

 

価値や意義、安心感などを見出したりする。

 

会社がずっと存続していたり、

 

ひとつの会社に定年まで長く勤めたり、

 

何歳になっても若さを保っていられたり、

 

今の生活がずっと続いていたり、

 

大切な人がずっと傍にいることを密かに願い、

 

それらが失われないよう必死で努力をする。

 

 

例えば、

 

嫌がる長男に無理に家業を継がせようとしたり、

 

人間関係最悪な会社に勤め続けていたり、

 

悲惨な今の生活を変えようとしなかったり、

 

すでに破綻しているのに夫婦関係を続けてたり、

 

と、これって完全に自然の流れに逆らっている。

 

同じ状態を保つことに躍起になればなるほど、

 

苦しみや摩擦が大きくなり、いずれは破綻する。

 

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そして、

 

この雲のような諸行無常の流れというのは、

 

結局は愛の流れなのだった。

 

もっと言えば、ハートのエクスタシーの流れ、

 

天国の空気の流れ、神へと向かう愛の流れが、

 

目に見える世界に顕われているのではないか。

 

 

であれば、その流れに逆らうことなど不可能だ。

 

ある意味、留まろうとすることで、

 

神への流れに必死で抵抗している。

 

 

それで「やーめた!いち抜けピ!」と、

 

抵抗をやめた人たちが、いま、

 

新たな流れへシフトして行っているのかも…。

 

そう思えば、

 

僕もまた、未来の自分ににワクワクしてきた。

 

 

裏を返せば本音が出て来た

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👆今、新しいジムで筋トレ中

 

 

ここ数日、思ったら即行で実現する体験、

 

を書き連ねているが、

 

こうなったら嫌だな、やりたくないな、

 

というネガティブな願望の裏には、必ず、

 

こうだったらいいなあ、本当はこうしたいんだ、

 

という、真の願望が隠れていることに気づいた。

 

 

先日の、QBハウスで即行散髪、の件で言えば、

 

「明日のヘアサロンの予約取れるかな」

 

➡ 本当はいま散髪したい

 

「予約が取れても、夜に行くのはしんどいなあ」

 

➡ 本当は昼間に散髪したい

 

「でも、髪を切るのに土日をつぶしたくないし…」

 

➡ 本当は平日に散髪したい

 

QBハウスが現われ、しかも店内はガラガラ

 

➡ 並ぶのはイヤですぐに散髪したい

 

僅か10分、750円で好みの髪形に仕上がった

 

➡ 短時間で安く、好みの髪形に散髪して欲しい

 

 

色々ネガティブな事を考えてはいるが、結局、

 

平日の昼間に、並ばず、短時間で、

 

しかも安く散髪がしたい、が本音なのだった。

 

 

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今回は、散髪という分かりやすい例だったが、

 

自分が本当は何を欲しているかを、

 

きちんと確認してやることはとても重要だな、と、

 

このとき改めて思った。

 

 

なぜなら、僕達は、いやだな、できない、どうせ、

 

というネガティブな想いを先行させることで、

 

本当の想いを隠蔽してしまっているからだ。

 

 

〝無理だ、できない、どうせ、こうに違いない〟

 

で自分の思考をストップさせることで、

 

その裏に走っている、本当はこうしたい、

 

という〝本音の想い〟を隠してしまっている。

 

 

 

ただし、本当の想いに気づいたからと言って、

 

それを行動にうつす必要はない。

 

事が成就しようがしまいがそれはどうでもよくて

 

要は、本音の自分は何を望んでいるのかを、

 

きちんと確認することが大切なのだ。

 

 

そうやって、想いを反転させ、

 

本当は自分が何を欲しているのかを知ることで、

 

自我の想念から神の想念へと、

 

意識をシフトさせてゆくことができる。

 

 

また、

 

この仕事嫌だな、から、本当は休みたかったんだ

 

にシフトすることで、気持ちも少し楽になる。

 

こうして、

 

本当はこうしたかったんだ、こうだったらいいなあ

 

を知った時に感じる、ウキッとする感じ、

 

なんかホッとした感じをちゃんと味わうことで、

 

ハートの感じ、天国の気配、無限の全体に在る

 

時の感覚を取り戻してゆくのだ。

 

 

それにしても、

 

思った傍から叶ってゆくパターン、だが、

 

思い返せば、香港支社閉鎖を告げられた時、

 

確かに、ずっとはイヤだけど、あと一年ほど、

 

香港に居て、このアパートに住み続けたいな、

 

とは思ったのだ。確かに…。(今思い出した!)

そしたら、

 

このコロナ禍でこの年齢であるにもかかわらず、

 

新しい会社のオファーが来て…、

 

という具合に事が運んでしまった。

 

いや、別にどうしてもそうしたい、

 

と思ったわけではなく、ただ、なんとなく、

 

香港にあと一年住めたらいいなあ、と、

 

想像してみただけなのだ。

 

まあ、今更ながらよく考えてみると、

 

もうその時点で、香港残留を望んでいたので、

 

日本へ帰国するかどうかなんて、

 

はじめから迷うことなどなかったわけだ。

 

 

というわけで、

 

今後は、自分の望みに責任をもたなければ、

 

マジでヤバいことになる、と感慨を新たにした

 

少し底冷えのする春の夜であった。