香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

言い返せ!(6月6日)

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※以下の記事は6月6日に書かれたものである

 

 

新しい職場へ移って一週間が過ぎた。

 

新しい職場で一人緊張してちょちょ舞う症候群

 

からも、なんとか4日で脱却できた。

 

 

で、今日は、入社5日目にして、

 

中国の社員40人、香港の社員12人の前で、

 

中国の深圳オフィスにいる日本人総経理が

 

発表する新規事業計画の内容を、

 

北京語で同時通訳してくれ、と言われた。

 

ZOOMの画面共有で映し出されるパワポの資料

 

に沿って説明する総経理の日本語を、

 

僕が北京語で通訳してゆくのだ。

 

それに、このパワポの資料、60ページもある。

 

 

事前に資料は渡されていたので、

 

専門用語や発音は前もって調べることができた。

 

当日、まあ大体ちゃんと通訳はできたのだが、

 

なんせ60ページもあるため、最後の方になると、

 

とても疲れてきて、頭が朦朧となった。

 

 

一時間半にも及ぶ報告会を終えた瞬間、

 

その場にいた香港人スタッフから、

 

僕に向けて、ねぎらいの拍手が起こった。

 

しかし、日本人の総経理からは、

 

「広東語は完璧だけど、北京語は最後の方、

 

 ちょっとまごついたね」

 

と言われた。

 

で、僕は次のように言い返した。

 

「〝トータルイノベーションを深掘りし、

 

  市場セグメントを構築し展開してゆく〟

 

  こんな文章、どう訳せっちゅうねん!

 

  そもそも、日本語の意味さえわからへん!」

 

僕の方が年上なので敬語なんか使わない。

 

総経理は、ただ画面の向こうで笑っていた。

 

 

以前の僕なら、

 

うまく通訳できなかったことを気にして、

 

くよくよ自分を責めていただろう。

 

しかし、今の僕は、

 

「じゃあ、おまえ北京語喋ってみろよ!

 

 喋れる俺が、喋れないお前に、

 

 何か言われる筋合いなんかないんだよ!」

 

という感じである。

 

それと、

 

拍手を送ってくれた

 

香港人スタッフの愛にフォーカスし、

 

感謝と神の感じを味わった。

 

 

言い返さないことは、美徳でも赦しでもない。

 

言い返しても、攻撃したことにはならない。

 

言い返せるということは、

 

自分(神側)に真の力が戻っている証拠である。

 

言い返した➡攻撃した➡そんな自分に罪悪感

 

に陥ってしまうことこそが自我である。

 

 

そんなわけで、

 

新しい職場ではもう、仕事は二の次、

 

もう、自分で在り、兄貴で在り、神に気づいている

 

ことだけに集中する毎日である。

 

 

自分の選択=神の選択、だと解かって以降、

 

いま顕われているこの環境こそが最善なのだ

 

と智った。

 

神は全肯定であり、

 

自分が選択した結果である今の環境も、

 

すでに神によって全肯定されている。

 

 

兄弟は言い返されるのを待っていて、

 

そのためにいろいろ仕掛けてくる!

 

ちゃんと自分の本音を解放しろよ、と…。

 

そして、ちゃんと言い返せたとき、

 

相手は本来の優しい人に戻るのだ。

 

こうして、その相手はずっと、

 

自分の最大の味方であったことを知る。

 

 

 

 

仕事中も兄貴が…(6月5日)

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※以下の記事は6月5日当時に書かれたものです

 

 

これは、

 

新しい会社に移ってから感じていることなのだが

 

仕事をしている間中、僕の体の中で、

 

ずっと僕に寄り添うもう一つの存在を感じている。

 

〝それ〟は人格ではなく〝感じ〟だけの存在で

 

終始力強い優しさで寄り添い続けてくれている。

 

 

普段は、

 

深い瞑想状態の時にしか感じられない存在が、

 

仕事中でも、ずっと僕の内部に留まり、

 

愛を送り続けてくれているのを感じるのだ。

 

 

これまでの会社は、男三人だけだったので、

 

いきなり12人のオフィスに移ると、

 

(そのうち8人が女子)何だかすっごく、

 

いろいろ気を使って緊張してしまう。

 

彼らは普段通りにしているだけなのに、

 

どうしても反応が独りよがりになったりする。

 

 

「向かいの席の二人が広東語で話していたが、

 

 自分の事を言われているような〝気がする〟」

 

「ちょっとこのことを訊きたいけれど、訊いて、

 

 広東語がおかしいと笑われたらどうしよう」

 

「こんな時は話の輪に入っといた方がいいかな」

 

「あの人、挨拶しなかった。俺のことが嫌い?」

 

 

三人所帯の時には気にもしなかったような事に

 

過剰反応している自分に気づく。

 

 

ただ、湧き上がる思いを認め、許容する。

 

内側の兄貴だけを意識しながら仕事をする。

 

仕事中でも、会議中でも、自分に気づいている

 

ことを最重要課題として実践し続けた。

 

内部の兄貴だけを思い出すように努め、

 

自分の軸を後方へ向ける事だけに専念した。

 

 

そうやって、入社4日目ともなると、

 

凛としてここに在る事ができるようになってきた。

 

(完璧100%ではないけれど…)

 

 

すると、不思議なことに、

 

今度は新しい同僚の方が僕に関心を持ち始め、

 

「今からお弁当を注文するけど、星谷さんは?」

 

「コーヒーメーカーの使い方わかりますか?」

 

と、何も訊いていないのに、相手の方から、

 

気持ち悪いくらい気を使ってくれるようになった。

 

自動的に湧き上がってくる、

 

相手に媚びたいという思いに、ノー!必要ない!

 

と、凛と突っぱねて兄貴だけに戻っていたら、

 

向こうの方から近寄ってきた。

 

 

でも、以前のオフィスでは、足りないものは、

 

なんでも自分で買いに行っていたけれど、

 

文具が欲しいと言えば、ちゃんと揃えてくれ、

 

ティッシュがない、と言えば持ってきてくれる。

 

ああ、こんなの何年ぶりだろう。ケリー以来だ。

 

 

とりあえず、新しい職場では、

 

仕事がどんな状況の時であっても、

 

状況に吞み込まれて自分を見失わない、

 

神から離れない、聖霊を忘れない、

 

これだけに専念しているボクである。

 

(👆 おい、仕事せーよ!)

 

 

 

 

 

赦す前に受け入れる(6月4日)

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(6月4日の下書きより~)

 

聖霊兄貴に、

 

明け渡したり、委ねたりする前段階として、

 

〝受け入れる〟があることに最近気づいた。

 

そして、受け入れるとは、力を抜いて、

 

あらゆる抵抗をやめることだ、ということにも…。

 

 

そんなこと言っても、自分はもう50歳だし…。

(若かったらやるんだけどね…)

 

そんなこと言っても、自分は子供いるし…。

(子供がいなければ行くんだけど…)

 

あの時やっとけばよかった…。

(母親に反対されたからねえ…)

 

ちゃんとやれなかったらどうしよう…。

(もっと早くから準備しておけばよかった…)

 

 

しかし、そうすると選択したのは自分だ。

 

母親や子供のせいにするのは、

 

母親や子供に失礼というものだ。

 

 

起こることを母親や子供や状況のせいにして、

 

抵抗している自分に気づき、

 

どんな言い訳も、どんな後悔も、どんな不安も、

 

自分の想いの全てを力強く認め、受け入れる。

 

この行為があって初めて、

 

聖霊兄貴に、間違った思いの修正を依頼できる。

 

 

今に在り、自分に気づき、神に開いて、

 

ただただじっとしている。

 

それは何の行動も起こさないことではない。

 

もし、自分が誰かに何かを言って騒動になったら、

 

もし、自分で決めてやったことが大ハズレだったら

 

そこから出てくる想いを受け入れ、じっとしている。

 

何かのアクションを起こすのは、

 

じっとそれを見つめ、起こっていることに気づき、

 

受け入れる、と力強く凛と決めてからである。

 

 

だから、

 

モヤモヤした葛藤が出てきて、即座に兄貴ぃー!

 

ではない。

 

先ずは、自分で想いと真正面から対峙し、

 

大丈夫、それでいい、絶対に君は悪くない、と、

 

先ずは自分が自分に宣言する。(兄貴ではない)

 

起こってない、世界は無い、はその後のことだ。

 

 

自分の想いを受け止めてやれるのは

 

他でもない、自分だけである。