香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛の素粒子

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〝自分の内部に潜むあらゆる側面を愛したい〟

 

という意欲を自分に向けて差し出すことが

 

コースが言う〝少しの意欲〟の意味だ、

 

と理解が起きている。

 

 

どういうことかというと、

 

僕が無限の全体に繋がっている時は常に、

 

〝巨大な愛している〟の中で、

 

絶対的エクスタシーに包まれているのだが、

 

じゃあ、どのようにしてそういう状態に至るのか、

 

と考えた時、まず先に、自分の方から、

 

神と同じ周波数である、愛してるぅー、大好きぃー

 

という〝愛している感じ〟を、一瞬強烈に、

 

〝自分に向けて〟発振していることに気づいた。

 

こちらからほんの少しの〝大好き〟を発すると、

 

それと呼応するように、今度は神のほうから、

 

爆発的な悦楽と歓びの波が押し寄せてくる。

 

なので、真の故郷へと永遠に帰還する第一歩は

 

先ず自分の方から、

 

内側へ向かって〝愛〟を放つことであり、

 

それが父に差し出すほんの少しの意欲となる。

 

 

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しかし、愛を放とうとすると、ついつい僕たちは、

 

兄弟を愛として見よう、とか、みんなが愛です、と

 

愛を放つ対象を相手側に向けてしまいがちだ。

 

ノー!ノー!ノー!である。

 

言いたい事を言えない自分、断れない自分、など

 

そこも大好き、自分の何もかもを引き受ける。

 

自分の内側をどこまでも慈しみ、愛でることが、

 

何よりも、誰よりも、どんなことよりも大切だ。

 

しかしそれは、何か事が起こるたびに、

 

「大丈夫だよ。愛してるよ。よしよし」と、

 

慰めのような言葉で肯定するのではない。

 

常に自分の中に流れているエネルギーだけを

 

ただただ強烈に〝放つ〟状態で在ることである。

 

神は存在ではなく、存在の在り方なので、

 

言葉にできない、想い、感覚、感じ、気配、

 

といった知覚の中に神は在る。

 

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どうして、こんなにも〝自分〟なのかと言うと、

 

そもそも、自分が恐れを抱いている他者も、

 

不安を掻き立てる出来事も、心を癒す風景も、

 

全て自分の想いが創り出しているからである。

 

相手(外側)は自分が創り出した結果なので、

 

先ずは原因である自分を癒すことが先決となる。

 

 

じゃあ、この感覚や知覚はどこで感じられるのか

 

というと、それは身体である。

 

ドキドキ、ソワソワ、キュンキュン、ワクワク、

 

(僕の場合〝ムラムラ〟も多分に含まれる)(笑)

 

は、必ずボディのどこかで知覚されている。

 

僕の場合、以前はみぞおちで感じていたが、

 

今は身体全体で震えるように振動している。

 

 

こうして〝愛してます素粒子〟を飛ばし続け、

 

愛だけを放ち続けていると、

 

外側の、お金、生活の豊かさ、美貌、恋人、

 

といった〝持つことで愛や幸せを感じる〟

 

状態から、そんなものがあってもなくても、

 

〝愛の感じそのもので在る〟へと移行する。

 

 

自分の中で愛を感じることが先手になった上で、

 

生きたいように生き、やりたい事を思い切りやり

 

経済的豊かさや、恋愛や、セックスを味わえば、

 

それはもうまさしく、神との交流そのものである。

 

 

何度も何度も言うが、まずは自分が癒されないと

 

自分はいつまでも幻想としてここに居続け、

 

世界が存在すらしていないことにも気づけない。

 

それぞれの終戦記念日

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👆 最近毎週末はあの退職金6000万円友と

  アッパーハウスでランチをしている。

 

これは僕の周囲にいる人たちだけに

起こっている事なのかもしれないが、最近、

〝それぞれの終戦記念日〟を迎えている人が、

とても多いような気がしている。

 

今まで続けてきた仕事を辞めることになったり、

突然、相手から離婚を突き付けられたり、

これまで親に頼って暮らしてきたけれど、

急に自立しなければならなくなったり、または、

すっごく大切にしていた人やモノを失ったり、と、

思いもよらない転換期に直面している人が、

僕の周囲で続出しているのだ。

 

自身の事で言えば、以前にもお伝えしたように、

前の会社が香港支社を閉鎖することになり、

日本へ帰任するか、転職をして香港に残るかで、

迷いに迷った挙句、僕は香港残留を選んだ。

そして、新しい会社で働き始めて3か月になるが

このまま会社という枠の中に入っていることが、

日増しに苦痛になりつつある。

いや、別に、

転職した会社に問題があるというわけではない。

財務や人事総務の仕事は、どこの会社でも

やることはほとんど同じなので慣れているし、

職場の雰囲気も極めて良好である。

それに、職位もお給料も前職より高いので、

あと1~2年やっていれば、何の問題もなく、

コロナ禍を切り抜けられるはずである。

でも、だめなのだ。

背後の無限の全体に繋がっている時間が増え、

愛と歓びの感じが内側に拡張されてゆくにつれ

自分の本質で存在していない場所にいると、

外側と内側の間に意識のひずみが生じ、

心がキシキシと軋みだすのだ。

 

これまで外側に明け渡していた力が自分に戻り、

本当にやりたいこと(僕の場合は小説)を、

思い切り表現できる確信とパワーが出てくると、

それと真逆の行動をしている自分に、

大きな違和感と齟齬を感じてしまうのだ。

 

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👆 昼間からワインでリラックス

  明日何が起こっても、今この瞬間は至福。

  この至福が〝神の気配〟である。

 

 

 でも、でも、でも…である。

いざ、これまでの安全枠から飛び出そうとすると、

恐怖という警告音がものすごい音量で鳴り響く。

「お前のその年齢では再就職は無理やでぇー」

「キャリア全部失って後悔の人生や、破滅やな」

と、自我がぎゃんぎゃん騒ぎ出すのだ。

 

こんなことなら、

前職に留まっていた方がどんなに平安だったか

と、選択を後悔させる声まで聞こえてくる。

 

だが、違うのだ。

会社から言われたからこうしました、ではなく、

自ら古い自分を終わらせると決断することが、

当時の僕には決定的に必要だったのだ。

だから、僕の兄貴は、わざわざ転職をさせ、

恐怖や後悔とちゃんと向き合わせたうえで、

愛と感謝と共に力強く選択させようとしたのだ。

それが本当の意味で過去を赦すことになる。

 

 

もし、僕が前職に留まり、今年の年末辺りに、

日本帰任を以って退職をしていたなら、

気持ち的にはもっとラクだったかもしれない。

しかし、これだと会社の決定に〝乗った〟だけで

自分でちゃんと決めていないのだ。

そうなると、僕はきっとまた恐怖を避けるために

枠の中へひょいっと戻っていくに違いない。

 

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風の時代だとか、今年の冬至でゲートが閉まる

とか、スピ界ではいろいろ言われてはいるけれど

僕の感覚では、あながち間違いではなさそうだ。

少なくとも、僕に関して言えば、一刻も早く、

保身からやっている全てを手放させようとする

何かの強い意志が働いているのを感じる。

悪いようにはしないから、とにかく手放せ、と…。

 

 

さあ、どうなる、周作!

 

神が在る感じ

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あのシャイなマスターがやっているカフェのあと、

 

またまたあの退職金6000万円の友人と、

 

今度はマリオットでアフタヌーンティーをした。

 

いくら、アフタヌーンティーと言えども、

 

僕たちはシャンパンとかを飲むので、

 

やはり、一人1万円以上は使ってしまう。

 

これがディナーだと一人3万円くらいになる。

 

なので自然と、一緒に遊びまわれる友人も、

 

子供の学費やローンの心配がない、

 

ある程度稼いでいる独身者に限られてくる。

 

でも僕も、

 

いつまで香港にいるかわからない身なので、

 

今のうちに、おおいに香港を楽しむのだ!

 

 

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マリオットのアフタヌーンティーは、

 

人数限定なので予約が必要なのだが、

 

本当においしかった。

 

ただのトマトだと思って食べたらスイーツだったり

 

一個一個のケーキに個性が表現されている。

 

そしてこれがまた、シャンパンに合うのである。

 

パリのカフェでは、シャンパンを飲みながら

 

ケーキを食べるのが〝粋〟らしいのだが、

 

何だかわかる気がする。

 

 

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そうして、すっかりいい気分になって帰宅後、

 

爆睡してしまった。

 

なんと、土曜日の夕方6時半にベッドに入り、

 

起きたのが、あくる日の正午である。

 

その間、トイレとかには立ったりしたが、

 

ほぼずっと爆睡であった。

 

以前であれば、休日に何もせずに寝ていると、

 

自由な時間を無駄に過ごしてしまったという

 

焦りと後悔で自分責めが始まっていたのだが、

 

ほぼ内側(背後側)だけを向いている今はもう、

 

プログラムの更新が掛かっているのだな、

 

くらいにしか思わなくなった。

 

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背後の無限の全体の中で愛を感じるには、

 

何はともあれ、深いリラックスである。

 

そして今この瞬間に在る神に気づいていること。

 

そのために、アフタヌーンティーへ行き、

 

カフェへ行き、シャンパンを楽しむ。

 

なぜなら、お金が欲しいのも、結婚したいのも、

 

仕事で成功したいのも、全てはこの、

 

自由な愛の感じを感じたいからである。

 

そして、この愛の感じは、

 

お金がなくても、結婚していなくても、

 

成功していなくても、今、ここに在る。

 

 

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