香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

優しい眼差し

f:id:shusaku1:20211023051449j:plain

👆 路上で〝鉢仔糕〟(香港式ようかん)

  を売るおばあちゃん

 

 

今回起こった〝部下から責められ事件〟では、

 

本当に様々なことを学ぶことができた。

 

中でも、あっ、と思ったのが、この出来事以降、

 

他人を責める気持ちが無くなってしまったことだ。

 

 

というのも、今日の朝のワイドショーで、

 

2019年に起きた東池袋自動車暴走事件が

 

報道されているのを見ていて、あれっと思った。

 

この事件は、

 

暴走した車に轢かれて母子2人が亡くなり、

 

上級国民という言葉が流行った事件で、

 

禁固5年の判決を受け、自動車で移送される

 

90歳の被告の姿が画面に映し出されたとき、

 

以前の僕だったら「ちゃんと罪を認めろよ」と、

 

相手を責める思いが反射的に出てきていたが、

 

今回は、そういう気持ちが全く湧いてこなかった。

 

もちろん、法的には裁かれなければならないが、

 

この人も自分と同様、間違いはしたが、それは、

 

罪でも、責められるべきものでもない、という

 

どこか、優しい眼差しで観ている自分がいた。

 

 

このように〝責める〟まではいかないまでも、

 

ちょいミスをしてしまった部下や、

 

テレビに出てくる不祥事を起こしたタレントなど、

 

これまでなら 「なんやこいつ、許されへんな」

 

と、批判的に見ていた人たちに対しても、

 

「きっと、この人にはこの人なりの、

 

 本人にしか分からない心情があるのだろうなあ」

 

と、優しい眼差しで捉らえられるようになった。

 

 

そうやって、

 

優しい眼差しで見ることに慣れてくると、

 

「この人にも色々な葛藤があったのだろうなあ」

 

という考えからさらに一歩進み、

 

本当はだれも悪くない、という所へたどり着く。

 

 

f:id:shusaku1:20211023051441j:plain

 

 

また、この優しい眼差しを通して、

 

自分自身をも眺められるようになる。

 

「そういうつもりではなかったんだ」

 

「本当はこういいうふうに思われたかったんだ」

 

「あの時はああするしかなかったんだ」

 

という自分の声に寄り添えるようになるのだ。

 

 

 

こういった、

 

普段の日常で見過ごしてしまいがちな

 

小さな〝咎め〟を愛で観れるようになってくると、

 

次第に心が軽くなり、歓びに満たされてくる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

そういう意味で、

 

人から咎められた経験のある人は、

 

優しい意識で人を見る眼差しを持てた人だ、

 

と言えるのかもしれない。

無限の豊かさ

f:id:shusaku1:20211014014022j:plain

👆 仕事帰りにいつものビアカフェで一杯!

 

 

今日、仕事を終えて帰宅してみると、

 

税務署から所得税納付通知書が届いていた。

 

恐る恐る開封してみると、2020/2021年度の

 

僕の所得税は約40万円ほどだった。

 

まあ、金額的にはこんなもんか、と思ったのだが、

 

11月から僕は、いわば無職となるので、

 

お金の方は大丈夫かな、と少し心配になった。

 

というのも、

 

僕の現預金の大部分は日本の銀行口座にあり、

 

これまでは、日本へ里帰りするたびに、

 

まとまった現金を香港へ持ち帰っていた。

 

しかし、ここ2年、コロナ禍で里帰りができなくなり

 

香港の口座にある現金が心もとなくなっていた。

 

ネットバンキングを開設すればよかったのだが、

 

無駄遣い防止の為、敢えて申請しなかった。

 

幸い、今の会社の給料は現地で支払われており、

 

前職の退職金も香港の口座に振り込まれたので

 

まあ、何とかやってはいけるはずだった。

 

しかし、それでも来月から働かないわけだし、

 

香港の口座にある預貯金のみで、

 

以後何か月かを暮らしていかねばならない。

 

そこで僕は、ノートとペンを取り出し、

 

引っ越し代はこれくらいかかって、

 

家賃はこれだけで、税金はこれくらい、

 

すると、手もとにはいくら残るので、

 

いつくらいまでは香港に居ても大丈夫、

 

みたいな〝算段〟を頭の中でやり始めた。

 

 

f:id:shusaku1:20211014014031j:plain

 

 

やってる途中で、あれっ?と思った。

 

会社を辞めたら収入がなくなり、あとは、

 

残金でやっていくしかないと思いこんでいる。

 

どこかの会社に就職をして給料を貰うことが、

 

収入を得る唯一の手段だと決めてかかっている。

 

頭では無限の可能性があると分かっていながら、

 

深いところでは、長年染み付いた会社員気質を

 

捨てきれていないことに、この時気づいたのだ。

 

 

なぜなら、香港にいる間に思わぬ展開が起こり、

 

働かずに収入を得ることができるかもしれないし、

 

また、人生を一変させるような出会いがあり、

 

今とは全く違う生活をしているかもしれない。

 

何が起こるかなんてそんなの誰にも分からない。

 

無限の可能性が開かれているにもかかわらず、

 

無意識の自分はそれを本当には信じていない。

 

無限の豊かさを自ら遮断していたのだ。

 

 

僕の場合、会社員という枠の中では、

 

そこそこの収入を得ることを許せていたが、

 

一歩その枠の外に出て何かしようとすると、

 

途端に感覚がおかしくなってしまう。

 

まあこれも、身体に染み付いた習慣なのだろう。

 

そして、新たな一歩を踏み出そうとしているいま、

 

自分の中に残っている無意識の思い込みを

 

ひとつひとつ認識し、手放してゆくリハビリの期間

 

が必要だな、と改めて感じた。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

無限の可能性からくる豊かさに開いて、

 

枠の外に出た新しい自分をなじませてゆく。

 

香港にいる残りの期間は、

 

そういう時間にしたいな、と思っている。

 

平安に任せる

f:id:shusaku1:20211006003514j:plain

 

 

今日の香港の気温は摂氏17℃。

 

香港にもようやく秋の気配が漂い始めた。

 

11月の香港は、爽やかな秋晴れが続き、

 

最も過ごしやすい季節となる。

 

仕事も卒業することだし、あちこち出かけて、

 

最後の香港の秋を思い切り楽しむつもりである。

 

 

今日は、今この瞬間に在る、平安に任せる、

 

を意識しながら一日を過ごした。

 

過去のことや少し先の未来のことに思いが至ると

 

すぐに今の平安からずり落ちてしまうので、

 

意識的に背後の平安に委ねる感じで過ごした。

 

平安に委ねることは、神に委ねることでもある。

 

そこには、愛そのものである本質の自分がいて、

 

何があっても大丈夫だと心底思える。

 

 

f:id:shusaku1:20211006003505j:plain

 

 

今日は、最後の納税申告の書類を作成した。

 

別の国への移民や母国への完全帰国など、

 

香港を離れ、別の国に定住する人は必ず、

 

全ての税金を清算してから出国せねばならない。

 

申告をしてから一か月くらい後に、

 

自宅に納税通知書が届き、

 

それを持って税務署へ直接支払いに行く。

 

僕は6月から現地で給料を貰うようになった為、

 

所得がかなり増えていると思われ、

 

今から納税通知書の金額を見るのが怖い。

 

 

また、

 

強制積立金の解約手続きの書類も用意した。

 

強制積立金は、毎月の給料から5%天引きされ、

 

会社も同じ5%を供出し、積み立てられる。

 

これを銀行やファンド会社が運用し、

 

65歳になった時に全額受け取るしくみだ。

 

退職金も年金もなく、転職する人が多い香港では

 

この積立金がいわば老後の資金となる。

 

しかし、僕は日本へ完全帰国してしまうため、

 

65歳を待たずに受け取ることができるのだ。

 

 

このお金を受け取るには、民政署へ赴き、

 

私は二度と香港に住んで働きません、と

 

担当官に宣誓をしなければならないのだが、

 

宣誓をしても、永住権はなくならず、

 

また再び香港で働いてもいいし、住んでもよい。

 

なんとも、不思議な儀式である。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

と、こんな感じで、香港を離れる準備が始まった。

 

もっと寂しさが込み上げてくるのかな、と思ったが

 

そうでもない。

 

なんかもう、やり切った感の方が大きい。

 

足かせがなくなり、素の状態になったいま、

 

これからは、今の平安に任せ、

 

兄貴が置いた目印に沿って進んでゆく。