香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

頑張って何が悪い

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リラックスしていること、無理をしないこと、

 

何より、頑張りすぎないことが美徳とされる中で、

 

頑張って何が悪い、という話である。

 

 

数年前、とあるコース勉強会で、年配の学習者が

 

「わたしも頑張って赦します」と発言された際、

 

主催者である女性コース教師(アラフォー)が、

 

「ああ、〝頑張って〟赦すんですねえー」と、

 

蔑むような口調で言った時、僕の中で、

 

ものすごい怒りが沸いたのを思い出した。

 

なんだか自分を否定されたような気がして、

 

神に戻ってゆくのに頑張って何が悪いのだ、

 

と思ったのだ。

 

 

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僕たち、バブル世代は、いい時期も経験したが、

 

時代としては決して今のように、

 

人に優しい時代ではなかった。

 

24時間働けますか、が流行語となり、

 

残業は当たり前、休暇を取るなんてもっての他、

 

上司のパワハラなんて日常茶飯事だった。

 

(パワハラという言葉すらなかった)

 

学校でどんなにいじめられても、

 

不登校という選択肢すら思い浮かばなかった。

 

 

そうやって僕たちの世代は、

 

どんなに辛くても、どんなに苦しくても、

 

ちゃんと学校を卒業し、きちんと働き、

 

頑張って頑張ってここまでやってきたのだ。

 

だから、

 

そんな俺達の力を見くびんなよ、と言いたい。

 

 

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👆 白ワインを凍らせて飲むのが、
  今の僕のマイブーム

 

 

イジメられたこと、パワハラされたこと、

 

ヘトヘトになるまで働いたこと、

 

頑張って仕事と子育てを両立してきたこと、

 

女性である、低学歴である、身体的弱者である、

 

というだけで理不尽に扱われたこと、その結果、

 

鬱病になったり、家庭崩壊をさせてしまったこと、

 

これっぽちも否定することなんかないと言いたい。

 

むしろ 「どうや、カッコええやろ!」 と、

 

若い奴ら(斜に構えてくる娘や息子や孫)に、

 

堂々と胸を張って言ってやればいいのだ。

 

なぜなら僕たちは、数々の厳しさを乗り越え、

 

今もこうして死なずに生きているのだから…。

 

 

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だから、頑張ることは僕らの世代の特権である。

 

スピだって、子育てだって、仕事だって、

 

なんだって、思い切り頑張っていいのだ。

 

それはまた、他の世代の奴らには、

 

逆立ちしたってできない芸当だと思うから…。

 

 

自分が生きてきた時代の全てを、

 

何一つ否定せずに誇りに思って堂々としている、

 

これこそ、僕たちの世代の赦しである。

 

 

 

 

間一髪の安らぎ

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昨日は、例の退職金6000万円の友人と、

 

上環にあるpicapicaというスペイン料理店で

 

ディナーをした。

 

6時頃に入店し、予約なしでも席に着けたが、

 

20分後には入り口に長蛇の列ができていた。

 

それもそのはず、何を頼んでも激ウマで、

 

料金も至ってリーズナブルなこの店、

 

二人で料理を四つ注文し、ワインも飲んで、

 

一万円いかなかった。

 

店員さんも全員ラテン系で親しみやすく、

 

とても幸せな今この瞬間を味わうことができた。

 

 

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何でか分らないけれど、すっごく幸せ!

 

僕はずっと独身で、仕事のキャリアもあり、

 

年齢も年齢なので、それなりの蓄えはある。

 

しかし、お金があるから幸せ、ではないのだ。

 

見える風景、出会う人々、ここ香港そのものが、

 

感謝と愛で輝いて見えているのはきっと、

 

自分の内面、内なる自己、見えない世界側が、

 

愛で満たされているからなのだと思う。

 

 

自分を全肯定し、愛である自分を許容し、

 

大好きなものを大好きだと全力で認め、

 

自分を少しも否定することなく、全受容する。

 

それが、赦す、ということである。

 

 

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ディナーの後、

 

路面電車に揺られながら家路についた。

 

2階の一番前の席からの眺めが最高だったので

 

そのままインスタ配信をすることにした。

 

自分が降りる停留所の手前で配信を終え、

 

一階に降りて料金を払おうとしたら、

 

財布がない!

 

カバンのどこを探してもない!

 

とっさに、レストランに忘れてきたのだと思い、

 

運転手に事情を説明し、タダで降ろしてもらった。

 

降りてから、あれ、ひょっとして、

 

路面電車の中に置き忘れたのかも、と閃いた。

 

発車寸前の路面電車に再度乗り込み、

 

二階席へ上がって、もといた席を確認する。

 

あった!椅子の上に自分の財布があったのだ。

 

インスタ配信に気を取られ、財布がカバンから

 

ずり落ちたことに全く気づいていなかった。

 

再度階下に降り、

 

財布があったことを運転手に告げると、

 

本当に運がよかったね、と一緒に喜んでくれた。

 

 

👇 実は以前にも財布失くし事件が発生!

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本当に危機一髪で、面倒を免れた。

 

財布を失くせば、IDカード、

 

クレジットカード、ジムの会員証や保険証など、

 

全て再発行を余儀なくされるところだった。

 

 

とまあ、こんな僕の夢の一日でした。

不確実真っ最中!

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いま、無限の自分側で生きることが楽しい。

 

会社を辞めると、まあ夜型人間の僕のことだから

 

朝方に寝て、昼過ぎに起きる、みたいな生活

 

になるのかな、と思っていたが、

 

案外、朝は7時半くらいにパチッと目が覚め、

 

午前中はびっちり小説を書いて過ごし、

 

午後からは、ジムで自主トレをしたり、

 

マッサージに行ったり、カフェで本を読んだり、と、

 

今この瞬間を、

 

素の自分に一致させて過ごしている。

 

また仕事に追われ、せわしなく過ごしていた頃は

 

時間があっという間に過ぎ去る感じだったが、

 

一日の大半を本質の自分として在るようになると

 

時空の密度が濃くなり、逆に時間が遅く感じる。

 

 

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会社にいた頃はコンプライアンス上できなかった

 

インスタ配信もするようになった。

 

一昨日は、足の裏の角質取りに行った先で、

 

突然、インスタで、

 

今この瞬間の平安をシェアしようと思い立ち、

 

昨日は、トレーナーとの筋トレセッションの帰りに

 

香港島へ向かうフェリーの中から、

 

攻撃してくる人をどのように赦したかを話した。

 

(インスタグラムアカウント: hoshitani )

 

インスタはどこからでも気軽に配信でき、

 

ぴぴっと直感や気づきが入ってきた瞬間に、

 

すぐにシェアができるのですごく便利で楽しい。

 

YOUTUBEのようなアップの面倒さもない。

 

👇 こんなハードな時代もあったんだねえ!

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明日は友人とセントラルのスペイン料理店へ行き

 

明後日は、1994年に初めて香港に来た時に

 

住んだエリアを散策してみようと考えている。

 

また、来週は、空港を見下ろせるテラスから、

 

夕陽の中を飛び立つ飛行機を眺めながら、

 

ワインを飲もう、という計画も進行中である。

 

これらの計画は全て未来の予測ではあるが、

 

今この瞬間の〝ビビビッ〟に従っており、

 

またこれも、

 

五分後には変わっているかもしれない。

 

そんな不確実性を受け入れ、

 

無限の可能性に開いて過ごす。

 

 

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こんな事してみたい、こんな場所へ行ってみたい

 

という直感からくる望みに許可を出し続ける。

 

それが〝無限の自己に委ねて過ごす〟で、

 

実際に生活していくことだと理解が起きている。

 

 

赦しとは結局、どれだけ自分を肯定して受け入れ

 

許可を出せるか、ということなのだと思う。

 

そうすることで、虚の自分は愛へと変わり、

 

納得して消えてゆくことができる。