香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

君は今死ねるか?

 

 

 

奇跡講座で言われる〝幸せな夢〟とは、

 

今この瞬間に死ねたらもうサイコー、と

 

自分への何の嘘も無しに心底(👈ここ大変重要!)

 

思いながら〝生きている〟状態なのではないか、

 

と感じる今日この頃の僕である。

 

 

「もう、いつ死んでもええわ、もう、はよ死にたいわ」

 

と、うちの85歳の母などは毎日10回くらい言うが、

 

「じゃあ、今すぐ死んでもらいます」と言われると、

 

いや、ちょっと待って、となるのである。

 

また、コース兄弟の中でも、

 

「もうこんな世界はうんざりだ。はやく故郷へ還りたい」

 

と言っているくせに、いざJが目の前に現われて、

 

「じゃあ、今すぐ帰還しましょう」と言われたら、

 

帰還してもいいけど、ちょっとこれだけやってから、

 

となったりする。

 

そのくせ、

 

「じゃあ、今回の帰還はお見送りということで…」

 

と言ってJが去ってしまったあとで、

 

なんであの時、自分はJを拒否してしまったんだろう、

 

と、後悔と罪悪感にさいなまれながら、

 

泣いて悔しがるのだ。

 

 

要するにみんな、

 

兄貴にお任せしますと調子のよいことを言いながら、

 

自分を終えても大丈夫だ、と準備が整ったときに、

 

聖霊兄貴にOKを出したい、と考えている。

 

つまり、全部自分で決めたい、と思っているのだ。

 

 

しかしながら、今、受け入れるしかないのである。

 

 

「いつか私は…」なんてやっていても、

 

そのいつかなんて永遠に来ないのは明白である。

 

だって〝いつか〟とは今この瞬間のことであり、

 

〝今はちょっと…〟と拒否ってる限り、

 

絶対にその瞬間は来ない。

 

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

 

そんなことより、

 

救われ切っている今を疑い、今に抵抗している自分を

 

一切相手にせず、今、死ねる覚悟を決められるのか?

 

それが、ほんの少しの意欲である。

 

 

また、赦しとは、起きていることに罪を見て、

 

それは無かった、と選び変えることなんかではなく、

 

いま、この瞬間に直接そのまま神の国であることが

 

理解しようとする自分も無しに、

 

歴然としている営みを明確にするこである。

 

 

 

一度に別々

👆 コロナ禍の蘭桂坊

 

 

僕たちは二元性の世界に生きている、

 

と思っているが、実はそうではないという話である。

 

 

この世界のあらゆるものは〝二つ〟でできている。

 

身体を見ても、目、耳、肺、手、足、は二つあるし、

 

脳も左脳と右脳に分かれている。

 

そのほか、男と女、善と悪、陰と陽、上と下、など、

 

全てが二元(ふたつ)に分離しているように見える。

 

しかし、概念ではそう言えるかもしれないが、

 

実際にどうなっているかというと、僕たちは、

 

二つを〝一度に別々に〟見ることはできないし、

 

二つを〝一度に別々に〟聞くことはできないし、

 

二つを〝一度に別々に〟感じることはできないし、

 

二つを〝一度に別々に〟思うこともできない。

 

肉体の五感の働きは二元にはなっていないのだ。

 

 

左の景色を見ながら右の景色は見れないし、

 

甘い物と辛い物を同時に口にしても、

 

辛い物と甘い物を別々に味わうことはできない。

 

思いや考えさえも、テレビを見て笑いながら、

 

明日の仕事のことを考えていないはずだ。

 

スマホを見ながら運転をしていても、

 

必ず、数秒スマホを見てから、前方を見る、

 

を繰り返しているはずであり、その瞬間は必ず

 

〝ひとつ〟のことしかできていないのだ。

 

 

本当は〝ひとつ〟を見る機能しかないのに、

 

男と女=二元、右と左=分離、というふうに、

 

ふたつある、と概念でその存在を信じている。

 

しかし実際には、

 

今この瞬間の〝ひとつ〟しか味わっていない。

 

 

こう書くとまた、五感に意識を向け、

 

そのように見ようとしてしまったり、

 

これは非二元であり、純粋非二元ではない、と、

 

人の言っていることをこねくり回して

 

意見したりしてしまいがちだが、

 

そんな余計なことさえしなければ、いますぐに、

 

ひとつしかない世界にいることが見抜ける。

 

(そこにいる誰かもいないことが見抜ける)

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

そうして、すでにむき出しになっている

 

ひとつの世界が明らかになった瞬間、

 

想像を超えた真理がつまびらかになる。

 

 

地獄株式会社

👆週一で通うイタリアンダイニング

  主に午後の空いている時間に行き、

 カウンターでワインを1杯(いや、2杯?)

 

 

今日、コンババ部長から電話があったのだ。

 

香港の強制積立金の口座を解約したいのですが、

 

みたいな問い合わせ電話だった。

 

まあ、会話は事務的なやりとりで終わったのだが、

 

電話を切った後、今回会社を辞めたことに対して、

 

なーんとも思っていない自分に改めて気づいた。

 

 

辞めた会社の同僚から電話があったりすると、

 

以前の自分なら、会社を辞めたことへの後悔や、

 

キャリアを捨ててしまったことへの不安感、また、

 

仕事をしていない自分への後ろめたさに襲われ、

 

少なからず動揺していただろう。

 

しかし今回、そんな欠乏感を全く感じなかった。

 

逆に、なんでこんなにも長い時間、

 

さほどいたくもない場所で、

 

あまり好きでもない人たちと、

 

そんなにやりたくもないことをしながら、

 

人生の大半を過ごすことができたのだろう、と、

 

不思議に思えるほどだった。

 

まあ僕の場合、海外で活躍したいという夢があり

 

運よく香港に駐在できたのでやってこれたが、

 

日本で会社勤めしてたら絶対無理だった。

 

たぶん、うつ病とかになっていたと思う。

 

 

日本で会社勤めができないと思うその根底には、

 

人からどう思われるかを極度に気にする気風とか、

 

空気を読んでハッキリ物を言わないところとか、

 

一部の社内プーチンみたいな上司に逆らえない、

 

といった陰に籠ったような〝もそーっ〟とした

 

雰囲気がどうにもダメなのだ。

 

それに、自分で部署を選べないところとか、

 

向かい合って座る日本式オフィスレイアウトとか、

 

「おい、それはなあ」的な団塊おっさん気質とか、

 

そういうのもダメだ。

 

(書き出したらキリがなくなってきた。やめとこう)

 

 

 

 

 

 

でもよく考えてみれば、僕はいたって健康だし、

 

養うべき家族もいないし、ローンも借金もない。

 

いざとなったら男一匹、何とかやっていける。

 

何かを我慢する必要などハナからなかったのだ。

 

なのに、なんであんなにも、

 

牢獄にしがみついていたのだろう?

 

かといって、

 

自分のやってきたことを否定するつもりはない。

 

なぜなら、何かを決めている自分はいないので、

 

もういいや、と心からの思いが顕れるまでは、

 

どうすることもできないし、

 

その時はその時で完璧な現われだったのだ。

 

(事が起こってからの自分への言い聞かせではなく…)

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

午後、すっごく眠くなり、ベッドに大の字になった。

 

網戸越しに、気持ちよい初夏の風が入ってくる。

 

明るい日差しが、擦りガラスの窓を金色に染める。

 

ヘリコプターが通り過ぎる音。

 

後頭部がジンジンと痺れ、

 

眠気が上げ潮のように上がってくる。

 

ふわふわと宙に浮くような感覚の中で、

 

すっごく安全な何かに凌駕されてゆく。

 

この瞬間、過去も未来もなく、時は停止していた。