香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

わたし、大好き!

👆今日はクラス仲間二人とスープ専門店でランチ

  みな50代なのだが、将来の夢について語り合った

 

 

前回の記事で、豚肉野菜炒めのパックを炒めようと、

 

冷蔵庫から出した瞬間、マニーちゃんの愛を感じて

 

涙が出そうになった、という話を書いた。

 

そして、このパックを作るには、豚を育て、野菜を育て、

 

材料を運んで加工し、パック詰めしなければならず、

 

これらの工程を全部自分でやるのは無理だから、と…。

 

しかし、ここで一言付け加えるとすれば、

 

だから、農家やスーパーの方々に感謝、で・は・な・い。

 

それよりなにより、豊かさそのものに愛を感じ、

 

その愛に振えている自分に感動することが先決である。

 

 

よく、様々なスピなどで、感謝の周波数を放つ、とか、

 

ありがとうを一日何回唱えよう、と言ったりするが、

 

これらを実践してもうまくいかなかったのは(👈ボク)

 

自分が〝悦んで〟いないからだ。

 

何かに神を感じて悦びを震わせていれば、

 

わざわざ感謝を放ったり唱えたりしなくてもありがたい。

 

今回、僕が野菜炒めパックを見て泣いたのは、

 

誰かに感謝したからではなく、そこに神を感じたからだ。

 

 

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他者も自分が映し出しているので、他者を愛せば、

 

自然に自分も癒されるのでは、と言われたりするが、

 

そんなの、僕に言わせれば、

 

「それなら初めから自分を愛せよ!」である。

 

 

ただ、欧米諸国のように、先に他者を攻撃することで、

 

自分の優位性を保つ社会で生きる人々にとっては、

 

他者に感謝、他者を赦すことで自分も赦される、

 

というやり方はとても有効だと思うのだ。

 

日本にいると分からないが、日本から一歩出れば、

 

トランプ元大統領みたいな人がウヨウヨいる。

 

だから、奇跡講座は欧米系の人向けだと言える。

 

しかし日本人は、表面上は平静を保ちつつ、

 

心の中で他者を〝密かに〟憎むので、

 

癒すのは、何はさておき自分から、となる。

 

 

なので、

 

全ての兄弟に愛を送ります、となっている時は、

 

他者を先手にして意識が動いている状態であり、

 

矢印が内側ではなく外側へ向いてしまっている。

 

それがスピエゴの元凶となっている。

 

 

他人に感謝しているような場合ではない。

 

先ずは、悦んでいる自分に感動するのだ!

 

日本人はとにかく、誰よりもわたしが好きっ、

 

くらいでちょうどいい。

 

 

 

お金ちゃん

👆 クラスの仲間と学校近くでランチ

    本町にある豆腐料理専門店

 

 

実際には、見えるはずのない兄貴が、

 

人の格好をして現われるようになってからというもの、

 

豊かさや、その象徴としてのお金、といった、

 

目には見えないエネルギー的なものをも、

 

人のように扱うようになってしまった。

 

 

例えば、僕には〝マニーちゃん〟(別名:お金ちゃん)

 

という無限の豊かさを与えてくれる彼女がいて、

 

僕はその彼女からあらゆる豊かさを受け取っている。

 

定食屋さんの美味しいごはん、快適な住居、

 

着心地の良い衣服、お気に入りのワイン、または、

 

僕が花粉症になったら治してくれるお医者さんや、

 

僕の身体の管理をしてくれているトレーナーさんや、

 

僕にマッサージをしてくれるマッサージ師さん、

 

といった僕を助けるためにサービスしてくれる人たち、

 

そして、それらの豊かさを得るために必要なお金を、

 

このマニーちゃんが手配してくれている、と感じるのだ。

 

👆 税込980円なり。豊かすぎるーっ!

 

しかし、

 

僕達はいつもマニーちゃんに文句ばかり言っている。

 

 

「こんな安月給ではやってられない。何とかしろよ!」

 

「こんなんじゃ全然足りないんだよ。もっとくれなきゃ」

 

「何かあったらどうするんだ?これじゃ安心できないよ」

 

「この値段でこの味だったら、まあまあだな。フツー!」

 

 

もし、自分がマニーちゃんだったら、どうだろうか。

 

一生懸命、今与えられる豊かさを差し出しているのに

 

ありがとうの一言もなく、ダメ出しばかりされたら、

 

傷ついて、とても悲しい気持ちにならないだろうか。

 

 

👆 土曜のお昼。ほぼ満員

 

 

10円には10円の、豊かさがあると思うのだ。

 

別段、何をしなくても、春になると、

 

土手にタンポポは生えてくる。

 

これって、ものすごく豊かなことだと思うのである。

 

今ここにフツーにある豊かさ

 

文句を言いまくって、責めまくって、

 

豊かさを拒んでいるのは、結局自分だったのだ。

 

 

というのも、昨日,

 

イオンで豚肉野菜炒めのパックを買い、

 

今日、それを炒めようと冷蔵庫から取り出した瞬間、

 

マニーちゃんの愛を感じて涙が出そうになった。

 

このパックを作るには、豚を育て、野菜を育て、

 

それを運んで加工し、パック詰めしなければならない。

 

これを全部自分でやれと言われても絶対に無理である。

 

それを僕は328円で買って食べられるのだ。

 

これをマニーちゃんがやってくれていると思えば、

 

自然と〝ありがとう〟〝大好きーっ〟が溢れてくる。

 

よく、

 

豊かさが擬人化された恵比寿さんなどにお参りし、

 

商売繁盛を願ったりするが、本当は願うのではなく、

 

今在る豊かさに感謝するためにお参りに行くべき

 

なのではないだろうか。

 

 

 

👆 これを見て泣けるなんて、すごくない?

 

 

なんか、ここまでくるともう、たとえ嫌な目に遭っても、

 

それもまた豊かに感じられる、どヘンタイな僕である。

 

 

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清水の舞台から飛び降りろ!

👆 深夜、パジャマ姿でゴミを出しに

   エレベーターに乗ったらぞろ目でた。

   僕の場合、1か2のぞろ目がほとんどだ。

        わざわざスマホを取りに戻って、パシャリ!

 

 

今のトレーナーについて筋トレを始めて2カ月になる。

 

当初は高重量を挙げるために糖質を多くとっていたが

 

今週から、糖質抜きの食事を始めることになった。

 

というのも、

 

トレーナーが5月のボディビル大会に出場するため、

 

体を絞り込むというので、僕も真似することにした。

 

糖質の中でも、白米には依存性があるので、

 

ご飯を断つと禁断症状が現われ、とりわけつらい。

 

それでも、二週間ほど続けていると体が軽くなり、

 

正気に戻ったような爽快感が感じられる。

 

香港-台湾へ行く4月中旬まで続け、ナイスバディで、

 

香港の友人たちに会う予定である。(👈何のため?)

 

 

話は全然変わって、現実は本当に消えてゆく夢だ、と

 

本当に感じながら、その自覚の中を生きている。

 

これも夢だしね、というような言い聞かせでもなければ

 

これは夢なんだあ、と夢に気づいている状態でもない。

 

ああもうこれ終わってる、と〝引き〟で見ている感じ。

 

見え方としては、寝ている時に見る夢の中で、

 

起きがけなどに、まだ夢は見ているのだけれど、

 

うっすら部屋の様子も分かっている感じに似ている。

 

どんな時も、もうひとつの世界の存在を知覚していて、

 

自分はいま夢を見ていて、この人達も、この風景も、

 

全部妄映でしかなく、何の実体もないんだ、と、

 

100%理解した上で〝そのように〟生活している。

 

 

この世界は幻想で、自分は毎日分離の夢を見ている、

 

という事実は、このブログの読者の方には自明の理、

 

というか、もう分かりきっていること、なのだろうが、

 

それでも、日常を本当に夢だとして扱いながら、

 

24時間〝生きている〟人は少ないと思うのだ。

 

僕も〝この宇宙は夢なんだ体験〟は何度もしているが、

 

夢から覚めた感覚で生活している感じではなかった。

 

 

それで、何がきっかけでそうなったのかを考えてみると

 

僕の場合は、じっとして動かない時間、というか、

 

100%本来の自分として過ごす時間が、

 

一定期間(ここ大事!)持てたことが大きかったと思う。

 

自分は夢を見ている、と知ってはいながらも、

 

あたふたちょちょ舞いながら生活していると、

 

日常(夢)の中に意識が埋没していってしまうからだ。

 

 

👇 フランシスの取った行動の真意が今なら解かる

   よい子はけっして真似してはいけないけれど…

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僕の場合、仕事を辞めて日本へ帰国し、

 

何にも属さず、何者でもない、時期を過ごせたことで、

 

あらゆる物事を俯瞰で見れるようになった。

 

そういう意味で、僕はまんまと兄貴に導かれてしまった。

 

一瞬立ち止まって何もしない、というのは、

 

ある意味、現実世界が本当にある、という前提で、

 

無意識にやっている全ての行為を一旦止めることなのだ。

 

そして、夢を夢だと本当に知覚して生き始めると、

 

不思議なことが、次々にたくさん起こり始める。

 

ひょんなところからお金が入ったり、

 

こんな人に出会いたいなと思うと、ひゅっと現れたり、

 

こういうのがあれば便利だな、と思ったら出てきたり、

 

本当に不思議…。

 

こんなことが起こってほしい、と必死で生きていた頃は

 

絶対に手に入れられなかったものが、これ、夢だし、

 

起こっても起こらなくてもどっちでもいいや、となったら

 

ガンガン実現するのだから、皮肉と言えば皮肉である。

 

 

ただ、誤解を避けるために言明しておくとすれば、

 

じゃあ、これ全部夢なんだ、として生きればいいんだね、

 

ではない。

 

この世界は真実ではない、とはわかっているんだけど、

 

それでも怖いからやっていることを、

 

すべて止めることが必然となってくる。

 

そこに、夢(檻)からの脱出口がある。

 

また、この世界が本当になかった、を生き始めると、

 

虚無的になるのでは、という人がいるが、逆である。

 

本当に〝ある〟世界がむき出しになってくるからか、

 

人や物や出来事が、とてつもなく優しくなる。

 

 

本を読んだり、マスターの話を聞いて、ああそうだ、

 

と納得して終わる時代は過ぎ、もう、本気の本気で、

 

清水の舞台から飛び降りる時が来ている。