香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

先輩風、ブイブイ!

 

 

先週ある友人(40歳/独身/介護士)と梅田で飲んだ。

 

彼は一年前に会った時よりかなり痩せていて、

 

待ち合わせ場所で声をかけられるまで、

 

彼だとわからなかった。

 

開口一番僕が「痩せてかっこよくなったねえ!」

 

と言うと 「そんなフォローはいいですよ」と言われた。

 

それから、毎度おなじみコーハクで食事をしたあと、

 

大人のバーで終電まで飲んだ。

 

 

 

 

彼は高校を出てから、介護の仕事一筋なのだが、

 

最近、デイケアの送迎車を運転していて、

 

3日連続で事故ったり、介護でクレームを入れられたり、

 

他にも人間関係などでトラブルが連発したこともあり、

 

40歳を前に、この仕事を続けていいのか悩んでいた。

 

それで、一回会って飲もう、ということになったのだ。

 

 

 

 

まあ、僕にできることは、愚痴を聞くことくらいだったが、

 

ひとつだけ、やんわりとそれとなくアドバイスしたのは、、

 

自分のことをどれだけ受け入れているか、つまり、

 

自己肯定感を持つことの大切さ、についてだった。

 

というのも、冒頭の「そんなフォローはいいですよ」

 

という発言に見られるように、彼との会話の中で、

 

こちらは、明らかによい意味で言っているのに、

 

「本当はそんなこと思ってないんでしょ!」的な、

 

その裏の意味を勘ぐって否定してくる、という、

 

〝返し〟が多々あることに、違和感を感じていた。

 

 

この歳になってようやく分かってきたのだが、

 

仕事で成功したら、売れて注目されたら、

 

人も羨むような結婚をしたら、お金があったら、

 

または、定年になって悠々自適な毎日が送れたら、

 

自分のことを肯定できる、好きになれる、と思って、

 

色々頑張るのだが、成功しても、売れても、

 

お金があっても、悠々自適の生活が送れても、

 

「自分なんか…」がずっとついてくることに気づく。

 

 

要するに、

 

意識の根底に「自分はダメだ」が流れていると、

 

資格を取ろうが、転職しようが、玉の輿に乗ろうが、

 

何をしても、ダメなのだ。

 

なぜなら、100万人からすごいと言われているのに、

 

たった一人から言われた「あなた嫌い!」

 

の一言を信じてしまうからだ。

 

 

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そういった無意識の思いを打破するには、

 

いま、この瞬間の自分に感じられているもの、

 

見えているもの、聞こえているもの、思えてくるもの、

 

への抵抗をやめて、全受容で受け入れてゆくしかない。

 

あるがままでいる、とか、ダメな自分も受け入れる、

 

とか、そういうことを言っているのでもない。

 

自分はダメだ、と思うなら、その思いがあるだけだし、

 

自分ってイケてるかも、と思うならその思いしかない。

 

自分なんか…という思いに信を置いて委ねている。

 

そこには罪悪感もなければ、自己肯定もない。

 

 

というわけで、ちょっとだけ、

 

人生の先輩風を吹かした晩秋の夜、なのであった。

 

 

毎日殺したい

👆新世界の総菜屋さん

   なんか、台湾にいるみたい

 

 

あなたは、

 

誰かを本気で殺したいと思ったことがありますか、

 

と訊かれたら、ほとんどの人はノーと答えるだろう。

 

ムカついたり、イラついたり、憎んだりとかはあっても、

 

本当に殺したい、とまでは思わないよ、と…。

 

 

だが、満員のバスで、おばあさんが目の前にいるのに

 

スマホばかり見て、席を譲らない大学生を見たとき、

 

上司から、ちゃんとやってよ、とダメ出しされたとき、

 

グループチャットで、自分だけスルーされたとき、

 

(よい例が思いつかなくてスンマセン!)などなど、

 

日常で、なにこの人、とちょっとした怒りに震える時、

 

意識の裏では〝こいつ、マジで死ねばいいのに〟

 

という〝殺意〟が走っている。

 

要するに、僕らは毎日誰かを殺したいと思っている。

 

そしてこんなとき、僕たちコース兄弟は、神を殺した、

 

という罪悪感を兄弟に投影していたことに気づき、

 

その〝思いこみ〟を兄貴のもとへ運ぶことで、

 

それは起こっていなかったことを理解してゆく。

 

 

 

しかし、ようく、ようく見て見ると、

 

死ねばいいのに、という思いが湧いている時は、

 

死ねばいいのに、という〝ひとつ〟の思いしかない。

 

死ねばいいのに、を赦そうと思うと、

 

死ねばいいのに、と思っている今その瞬間に、

 

その思いを兄貴に委ねなければならないのだが、

 

死ねばいいのに、と、それは起こっていなかった、を、

 

同時に思うことはできないから、赦しは不可能となる。

 

訂正を受け入れ、赦そうと〝思った〟ときにはもう、

 

死ねばいいのにという思いは跡形もなく消えていて、

 

「兄貴~!この間違った思いを訂正してください!」

 

とやった時にはもう終わっているのだ。(笑)

 

つまり、自分でその思いを引きずりさえしなければ、

 

何もせずとも、

 

そのままで勝手に赦されていっている。

 

もし、なにかするべきことがあるとするならば、

 

思いが現われた時点ですでに救われている、

 

という事実を一瞬観て、

 

その思いを見送ることだけである。

 

 

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赦そうが、手放そうが、統合しようが、ストーリーだ、

 

とかなんじゃかんじゃ言ったところで、

 

後の祭りなのだ。

 

絶対に二つの事を同時に思えない、

 

ということに救われる。

 

それが赦しであり、手放すことであり、統合となる。

 

なぜなら、自分は何ひとつ、

 

自分で何かを思ったことがないからだ。

 

 

今この瞬間の思い

👆 実家のお隣さんがメダカ?飼ってる

 

 

 

先日の〝テレパシックなお年頃〟の記事の続きだが、

 

たぶん、悟りを開いた高僧や覚者の人たちも、きっと、

 

これらの人智を超えたひらめきそのものでいることで、

 

何もしていないのに、欲しいものが手に入ったり、

 

偶然が重なって物事がうまくいったりしていると思う。

 

しかし、そのことを前面に押し出してしまうと、

 

多くの人が現実をよくするために悟りたい、

 

となってしまうので、そういう間違いを避けるために、

 

敢えて、現世ご利益的なことを口にしないのだろう。

 

ただ、完全に、今のこの様子だけにフォーカスし、

 

今を信頼して委ね切って受け入れられるようになると、

 

瞬間瞬間に立ち上がる思いそのものでしかなくなる。

 

 

 

 

 

少し前、大阪市内にある温泉へ行こうとしたのだ。

 

だが、家を出る寸前、急におなかが痛くなったり、

 

家を出たのはいいが、ケータイを忘れて戻ったりと、

 

〝今日は行かない方がいいモード〟全開だった。

 

しかし、どうしても温泉に浸かりたかった僕は、

 

あらゆる抵抗をはねのけ、地下鉄に飛び乗った。

 

温泉へ続く道を歩いていた時、突然、

 

大阪駅行きの市バスが現われ僕の眼前に停まった。

 

このバスは、僕の家の前にあるバス停に停まる。

 

バスは扉を開け、速く乗れと促しているように見えた。

 

だが、僕はそれをも無視して温泉へ向かった。

 

温泉は閉まっていて、おまけに帰りは大雨になった。

 

 

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この時僕は理解したのだ。

 

このメッセージは、導きに従えばうまくいく、とか

 

導きに従わなかったからこうなるよ、

 

というものではない。

 

そもそも、従うべき何か、などないし、

 

その通りにしても、しなくても、別にどっちでもいいのだ。

 

メッセージを無視して、大失敗、でもオーケーである。

 

そうではなくて、これは、

 

「本当に、今この瞬間の思いそのものしかないだろう」

 

ということを僕に見せるためのメッセージだったのだ。

 

ありもしない過去や未来と完全に縁を切り、

 

今この瞬間出てきている思いに100%信を置くことを

 

学ばせるためのものだった。

 

どういうことかと言うと、温泉へ行こう、という思いは、

 

過去のその時、ふっと出てきた思いの様子である。

 

だが、次の、今この瞬間には、行かない方がよい、

 

という思いが出ているにもかかわらず、意識は、

 

過去の思いを引きずり今この瞬間の思いを無視する。

 

そのことに気づかせるために、具体的な事象で、

 

兄貴は僕にメッセージをよこしたのだ。

 

この理解が起こってから、

 

信じる、とか、こうすればうまくいくんですね、ではなく

 

本当にそうでしかない、ことがはっきりした。

 

 

そして、今回でこの夢の世界を永遠に後にする。

 

というか、

 

はなからここにはいなかったことが明白になっている。