香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

不思議な場所

 

 

皆さんもご存じのように、

 

いま僕は、自宅から徒歩2分のところにある学校で、

 

留学生に、日本語文法と論文の書き方を教えている。

 

教え子たちは本当にかわいいし、職員の方々や、

 

守衛のおじさんや、同僚の先生方もみんな優しい。

 

教室の設備も整っており、教師の待遇もよい。

 

また、学長が掃除と整頓にすっごくうるさい人らしく、

 

トイレをはじめ、校舎内はどこもかしこもピカピカだ。

 

それに、夏休みなどの長い休みがあるのもうれしい。

 

何が言いたいのかというと、普通、どの職場にも、

 

仕事だったり、人間関係だったり、待遇面だったり、と

 

多かれ少なかれ、何らかの不満があるものだが、

 

今の僕には、そんな不満や嫌な事が、全くない。

 

もちろん、辞めてゆく先生方もたくさんおられるので、

 

実際、色々なことが起こってはいるのだろう。

 

しかし〝僕にとって〟は、完璧な職場なのである。

 

 

👇兄貴が出てきたときのエピソードあれこれ

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実は、実家を離れて一人暮らしをする際、

 

兄貴から、ここ南森町に住むようアドバイスされた。

 

兄貴によれば、

 

この地はかつて天満宮を護る精霊(天狗)が住む、

 

鎮守の森だった場所らしく、強い磁場に覆われた、

 

まるで結界が張られたような神聖な場所なのだという。

 

そして、ここに住むことで、僕の量子レベルの歪みが、

 

正常化され、精神が整えられるのだ、と…。

 

 

こうして、南森町に住み始めて間もなく、

 

この場所が、奇妙な静寂に満ちていることに気づいた。

 

なんていうか、大阪のど真ん中なのに、

 

奈良ホテルや、高野山にいるような静けさを感じる。

 

そう言えば、学校にいる時も、

 

多くの学生たちでがやがやしているにもかかわらず、

 

どこか、

 

強化ガラス一枚隔てたような静けさを感じるのだ。

 

僕はいま、精霊に守られた特別な場所に住み、

 

働いているのだな、と、そのたびに思う。

 

 

 


思えば、香港から完全帰国してからずっと、

 

兄貴に導かれていたような気がする。

 

何かあるたび、一生懸命自分で考え、

 

人生の選択をしてきたように思っているが、実際には、

 

何ひとつ、決めていなかったことが、今なら解かる。

 

夢のシナリオを見とめ、聞きとめることで、

 

その設定を兄貴に削除してもらいながら、

 

ここまで〝運ばれて〟きたのだ。

 

(まあ、本当は兄貴なんかもいないのだが…)

 

 

よく、本当の自分が…、とか、真我が…、とか、

 

大いなる存在…、とか、赦して…、とか、手放して…、

 

と言いながら、

 

〝私〟が解釈や考えで、色々やろうとしてしまうが、

 

今、見えてること、聞こえてること、

 

それに触れて起こってくる思いに落ち着かない限り、

 

思考で見えなくさせられている、

 

事実(実相)そのものの様子は明らかにならない。

 

 

そのままの流れ

👆 月曜午後の昼下がり、

    友人とアフタヌーンティーを楽しむ

 

 

とまあ、こんな感じで(ってどんな感じ?)、

 

教師生活の今を、とことん満喫しているボクであるが、

 

最近、あちこちから、

 

ありがたいオファーをいくつかいただくようになった。

 

ひとつ目は、養成学校時代の先生からの要請で、

 

うちの学校に常勤講師として来てもらえないか、

 

というものだった。

 

ふたつ目は、とある大学で教えてほしいという話で、

 

これは、今の学校の同僚の先生からお願いされた。

 

みっつ目は、かつて台湾語を習っていた先生が、

 

今回、中国人を対象にした日本語クラスを立ち上げる

 

ことになったのでぜひ来てほしい、というものである。

 

 

 

👆 リッツ・カールトンを予約したかったが、

    当日、急に思いついたので満席だったので、

         アルモニーアンブラッセのレイヨンを予約。

    (この名前、絶対に覚えられない…)

 

 

こんなにたくさんのオファーをいただけるということは、

 

たった2年だが、僕が先生を頑張ってきた証でもあり、

 

ただただ感謝で、非常にうれしかった。

 

しかし、全てのオファーを受けることはできず、

 

どのオファーを受け、どのオファーを断るべきか、

 

また、今の学校に残るのか、を決める必要がある。

 

大昔の僕なら、どの道を行けば(どの条件を選べば)

 

自分にとって最も有利でトクになるかを吟味し、

 

再思三考を重ねてどうするかを決めていただろう。

 

しかし、今の僕は〝自分〟では何ひとつ決めない。

 

ていうか、決める自分などいないことが解っている。

 

今この瞬間に起きてくる活動に開き、ただ、じっと、

 

無策無為で、そのままの流れを受容してゆくだけだ。

 

 

直視するのだ!

👆 やっても、やっても、終わらない…

 

 

 

7月13日でようやく前期の授業が終了となる。

 

そのあと前期試験があり、夏休みに入る。

 

それでいま、前期試験の問題作成に追われている。

 

中でも論文の試験では、実際に文を書かせるのだが、

 

いきなりは無理なので、事前にテーマを与え、

 

生徒達が書いた文を僕が添削したあと、

 

当日までにその文章を覚えてこさせ、

 

試験では何も見ずに書いてもらう。

 

 

試験論文のテーマは《歩きスマホについて》にした。

 

授業では、

 

まず、歩きスマホに賛成か反対かを決めさせ、

 

次に、人はなぜ歩きスマホをするのかを考えさせる。

 

そして、歩きスマホのよい面と悪い面を話し合った後、

 

最後の結論へと導く。

 

なんせ相手は、漢字圏ではない国の留学生であり、

 

「~です」を「~である」に変換するだけでも一苦労だ。

 

それでもみんな活発に意見を出し、曲がりなりにも、

 

ちゃんと意味がわかる小論文を仕上げてきた(偉い)。

 

ただ、2クラス分、55人の小論文を添削するので、

 

これがもう、やってもやっても終わらない。

 

ジムの帰りに、スタバでコーヒーを飲みながら、

 

ききいぃーっ、となりつつ、赤をいれていった。

 

 

もし自分がこのテーマで小論文を書くとすれば、

 

どんなことを書くだろう、と添削しながら思った。

 

例えば、多くの人がスマホばかり見ているのは、

 

いま、見えている場所がつまらないからだろう。

 

道を歩いていても、別に面白い事があるわけでもなく、

 

電車を待っている時も、

 

ただぼーっと、ホームに立っているだけで、

 

興味をひくような事が目の前で起こるわけでもない。

 

そんな、退屈な空間から逃れるようにスマホを見る。

 

しかし、今この瞬間に展開されている空間の活動

 

(目や耳や鼻や舌や皮膚で捉えている活動)に、

 

とてつもない神のオーガズム(法悦感)を感じて、

 

〝ヌレヌレフルボッキ〟状態の僕からすれば、

 

スマホに没入して、

 

このとてつもないオーガズムを放棄するなんて、

 

目の前に、100%自分好みの美女(または美男)

 

がいるのに、スマホの出会い系アプリを見ながら、

 

誰かいい人いないかなあ、

 

と言っているのと同じに思えて仕方がないのだ。

 

(説得力のない例でスンマセン!)

 

 

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スマホの中に真の悦び(神のエクスタシー)はない。

 

なぜならスマホの中のものは全て過去であるからだ。

 

スマホに没入することで、意識が過去へと落ち込み、

 

〝いまこの瞬間に在る神〟が置き去りにされる。

 

今この瞬間が嫌だと言って過去へと逃げているので、

 

目の前で微笑んでいる神に気づけないのだ。

 

ちょっと顔を上げて、眼前の景色を直視するだけで、

 

街の風景に、道行く兄弟たちに、自分の肉体に、

 

ナマでチョクの実相に気づけるのに、である。

 

 

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さあ、顔を上げて直視するのだ!

 

「ほんのちょっとの勇気を持って下さい!」と、

 

あさひ美容外科の院長も言っているではないか。

 

(って、なんでやねん!)