香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛の傍観者

👆どや!かっこええやろ!

 

 

つくし姉さんの話がひと段落し、次は奇跡パパである。

 

彼は、人から聞かれない限り、自ら何かを言ったり、

 

行動したりしない〝傍観者タイプの人〟である。

 

で、そんな感じで彼はいつものように、

 

僕とつくし姉さんの会話を傍観していたのだ。

 

しかーしっ、関西出身の僕と姉さんを前にして、

 

そんなこと許されるわけがない。

 

なぜなら、コース兄弟が集まって、何の赦しもなしに、

 

ああ楽しかったねえ、で終われるわけがないからだ。

 

僕たちは彼にツッコみまくった。

 

♬海辺にバイクを止めて一瞬マジにお前を抱いた~♪

と、頭の中には近藤真彦のハイティーン・ブギが…

 

彼はこれまで、どこかのコースコミュに属することなく、

 

ほとんど自学自習でやってこられた学習者である。

 

それだけに、自分を正直に表現することで、

 

隠し持った罪悪感を浮上させることに慣れていない。

 

 

彼の中には、誰かと険悪な感じになるようなこと、

 

心を割って思い切り言いたいことを言い合うことに、

 

巨大な怖れを感じているようだった。(事実は不明)

 

故に、自ら口を閉ざし、傍観者でいるようにも見えた。

 

 

👆お前が望むなら、ツッパリ止めてもいいぜ~♬

 

「部下たちが幸せで平和であればいいと思います」

 

と、パパさんは言った。

 

そこには、自分よりも相手、他者が幸せならば、

 

自分は二の次、という無意識の罪悪感がある。

 

この世界は自分の投影であり、ひとつの意識なので、

 

自分の心が癒されてはじめて他者も幸せになる。

 

そんなことを、ガンガン、2人の酔っぱらいが言う。

 

 

「奥さんはきっと、思い切り喧嘩したかったんやと思う」

 

「上司から言われる攻撃の言葉は、

 

 自分が自分に言ってる怒りの言葉や!」

 

覚えているのはこれくらいだが(なんせ酔っていたので)

 

赦して戻っていくための視点から曝け出すやりとりは、

 

コース兄弟同士でなければできないことでもある。

 

これを普通の友人とかに言ったりすると、

 

もう、大変なことになるだろう。

 

 

👆つくし姉さんの親友たちと

   なんと、姉さんの同級生に小説家が…。

 

 

いや、別に口下手でも、だんまりでも問題はないのだ。

 

ただ、恐れからの沈黙か、愛からの沈黙か、だけだ。

 

たとえそれが、取っ組み合いの喧嘩であっても、

 

一夜限りの燃えるようなセックスであっても、

 

本音をさらけ出したものであれば、

 

隠蔽された心は自然と癒されてゆく。

 

そしてまた、パパさんは本当の強さがある人だ。

 

でなければ、あんなにたくさんの思いを、

 

〝我慢〟(抑圧)することなどできないからだ。

 

しかし、それは、虐待に耐えながらも、

 

それでも親を愛し続ける子供のような強さ、

 

でもある。

 

温存された傷は、来世も、そのまた来世も、続く。

 

と、偉そうなことを書いているが、

 

僕も決して人のことは言えない。

 

もうこれ以上の我慢はまっぴらごめん、である。

 

それがいやなら僕も、

 

自分を直視し、さっさと赦すしかない。

 

容易ではないけれど、

 

だからこそ、コース兄弟がいると思うのだ。

 

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こうして、高尾の夜は更け、会はお開きとなった。

 

パパさんはバイクで帰ってゆき、僕は宿舎に戻った。

 

ドミトリーに戻ると、自分のベッドにもぐりこんだ。

 

他のベッドはカーテンが閉められ、

 

どんな人が泊まっているのかは伺い知れない。

 

 

あくる日は、乙女ののりちゃんと会うことになっていた。

 

酔いと疲れで僕は、バッタンキューで眠ってしまった。

 

 

ああ、駒木野の夜は更けて…

 

 

駒木野庭園が5時で閉館になり、僕ら三人は、

 

つくし姉さんが予約してくれていた店へ行くことに…。

 

予約している時間までまだ間があったので、

 

庭園のベンチに座り、しばし3人で話をした。

 

どんな話をしたのかは覚えていないが、

 

自己紹介的なことと、あとは、写真を撮ったりした。

 

 

👆写真は借り物です(撮るのわすれた)

 

ここは大阪よりも時間がゆっくり流れている気がした。

 

車が走る音も聞こえなければ、人々の喧騒もない。

 

どおりで、東京の人が、通勤時間が2時間とかでも、

 

自然豊かな郊外に住みたがる理由が理解できた。

 

 

 

 

姉さん行きつけの小料理屋で夕食会をした。

 

そこは、家族経営のアットホームなお店で、

 

一応メニューはあるが、

 

基本、いま作れる料理を出す。(笑)

 

写真を撮り損ねたのが悔やまれるが、

 

食べきれないほどテーブルいっぱいに料理が並び、

 

ワインや日本酒をガンガン飲みまくって、

 

1人4000円ちょい、と破格だった。

 

 

酒を酌み交わしながら、色んな話をした。

 

ただし、パパさんはバイクなのでノンアル、である。

 

つくし姉さんのコースに至るまでの話を聞く。

 

自身のブログでも書いてられるのでいいと思うが、

 

彼女は警察官の父親との間に、大きな葛藤があった。

 

彼女は幼い頃から、父親に厳しくしつけられた。

 

それは、箸の置き方が悪い、みたいな礼儀作法から、

 

歩き方、話し方、というような些細な所作にまで及び、

 

あらゆる言動について無限に言われるので、

 

何が正しいのか、幼い本人は混乱し、

 

葛藤は増すばかりだった。

 

やがて、

 

自分の本音を抑圧して人と差し障りなく接する、

 

というスタイルが彼女の中で形成されていった。

 

 

なんだこの親、ふざけんな、と思う反面、

 

この抑圧された悲しみこそが、

 

アーティストとしての彼女の原点となっており、

 

ご両親からの最高の贈り物のように僕は感じた。

 

絵描き、小説家、俳優、歌手、ダンサー、など、

 

アーティストと呼ばれる人たちは、

 

それぞれ独自の表現方法で、

 

その〝内に秘めた悲しみ〟を爆発させるからこそ、

 

人の魂を震わせるような芸術を生み出せるのだ。

 

👇 〝夜は更けて…〟シリーズ

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ハレ師匠しかり、乙女ののりちゃんしかり、

 

スワットしおちゃんしかり、チコちゃんしかり、

 

奇跡講座にたどり着いた兄弟たちの多くは、

 

親との間に大きな葛藤を抱えている。。

 

大人になって、親との関係性が薄れるにつれ、

 

こういうトラウマは忘れられ(抑圧され)がちだが、

 

赦しを実践する際には、必ず向き合わねばならない。

 

なぜなら、それは、実存を直視しないために、

 

これまで何度も役柄を入れ替えながら、

 

繰り返してきた自作自演の一人芝居であるからだ。

 

そういう意味で彼女は、決して逃げることなく、

 

真正面から親に扮した自分と対峙し、赦してこられた。

 

その証拠に、今の彼女は、ご両親への葛藤を、

 

作品として、大きな愛にまで昇華させているからだ。

 

というわけで、駒木野の夜はまだまだ続くよ。

 

 

弱いという思い込み

👆奇跡パパは、会社で赦しを実践している

     数少ない、リーマンコース兄弟だ

  ひとつの会社で勤め上げる終身雇用(死語?)

  と同時に、赦しどころ満載のザ・中間管理職

 


つくし姉さんと話していると、奇跡パパがやってきた。

 

僕のブログに何度も登場している彼は八王子在住で、

 

この日は、駒木野庭園で合流することになっていた。

 

奇跡パパは、

 

背が高くて、穏やかで、一目で優しいと分かる人。

 

僕たちは3人とも今日が初対面だったのだが、

 

違和感やぎこちなささもなく、普通に会話ができた。

 

👆バイク大好きな54歳

 

 

つくし姉さんは、お客さんの相手をせねばならず、

 

閉館時間まではこの場を離れることができないので、

 

僕と奇跡パパだけで遅いランチを食べに出た。

 

といっても、ここは山なので飲食店は限られてくる。

 

甲州街道沿いに、喫茶店があったので入った。

 

店のオーナーらしき日本人のデブのオッサンと、

 

中国人の奥さんとその娘がテラスで食事をしていた。

 

(娘は二十歳くらいで、奥さんの連れ子っぽい)

 

テーブルにはおにぎりの数々とおかずが並んでいる。

 

僕とパパさんはその家族の隣の席に着いた。

 

👇奇跡パパの経歴は下記の記事を参照願います

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娘がお水とメニューを運んできた。

 

メニューには、

 

ざるそば、おにぎり、さつま芋、とある。

 

もうすぐ夕食会なので、そんなに食べないから、と、

 

僕はおにぎり、パパさんは、さつまいもを注文。

 

すると、娘がオーナーに、

 

おにぎりはご飯が足りないからできない、どうしよう、

 

さつまいもは(自分たちが)食べてしまったからない、

 

だからどうしよう、みたいなことを日本語で言った。

 

オーナーが、お客の前で、何でそんなことを言う、と、

 

大声でその娘を叱り始めた。

 

すると娘が、じゃあ今からご飯炊きます、と言ったので、

 

オーナーの怒りはますますエスカレート。(笑)

 

(結局、お前たちが食べたんだろ?ていうか、

 

 彼らのテーブルの上には大きいおにぎりの数々が…)

 

 

僕は即座に、ここは違う、と席を立とうとしたが、

 

パパさんは、お水まで運んでもらったのに悪い、

 

または、自分たちのせいでこんな状況になっている、

 

と感じて全く動く気配がない。(あくまで僕の推測)

 

で、僕が半ば強引にその店から立ち去り、結局、

 

僕の宿泊先のBASECAMPのカフェで食事をした。

 

👆 BASECAMPで食べたランチ

    奥に見えるのがパパさんが食べたポテトサラダ

 

「実は今日、ちょっと緊張していたんです」

 

と、カフェでパパさんは言った。

 

彼は、全てを受け容れる強さを持っている人なのだが

 

それを本人は、弱さだと思っているところがあり、

 

さっきの喫茶店での、今からご飯炊きます事件も、

 

俺なら、もう無理、とソッコー立ち去る場面でも、

 

彼は、その様子のまま全てを受け入れて、

 

そこに留まれる。

 

これってある意味、強いからこそできることである。

 

しかし、それを強さだと本人が決然と認識しない限り、

 

それは、強さにはならない。

 

そして、その認識は自分を赦すことによって起こる。

 

(相手や外の状況を赦すのではなく、

 

 相手や外の状況を通して自分の心の中を赦す)

 

 

食事の後、再び庭園へ戻って姉さんと合流し、

 

そしていよいよ怒涛の夕食会へ…。