香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

殺意の刷り込み

👆学校へ行く時に使う阪堺(はんかい)線の駅

 

神を受け入れて救われるくらいなら死んだほうがまし、

 

と思っているコース兄弟は意外と多い。

 

自分は穢れているので、神に愛される資格はなく、

 

神の懐に飛び込んで行っても拒絶されるに違いない、

 

それならいっそ、このまま無価値感に浸っていたい、

 

と考える(らしい…)。

 

 

僕は自分に無価値感を感じたことがあまりない。

 

表面に出てきていないだけで、深い意識のレベルでは

 

僕にもそういう隠れた闇はあるのかもしれないが、

 

実際、人に嫌われたり、こっぴどく拒絶されたり、

 

責められたりしても、落ち込むことはあるけれど、

 

自分は愛されない存在だ、とはならなかった。

 

で、それは一体なぜなのか、と考えてみたところ、

 

僕は小さい頃から、自分は神に愛される神の子だ、

 

と、どこかで確信しているようなところがあり、

 

それは、母方の祖母が大いに関係している。

 

👆たった一駅だけど、この道のりが好き!

 

僕が幼少の頃、両親が共働きだったため、

 

昼間は母方の祖母の家に預けられていた。

 

幼稚園も祖母の家から通っていた。

 

祖母は生長の家の熱心な信者だったこともあり、

 

お昼寝の時間になると、僕を布団の上に寝かせ、

 

僕の身体を優しく撫でながら、子守歌のように、

 

「周作神の子仏の子、周作愛の子光の子」

 

と唱えながら、僕を寝かしつけてくれていた。

 

祖母は僕が小学1年の冬に死んでしまったが、

 

祖母のおかげで僕は、神の子だという自覚を、

 

潜在意識の奥に刷り込むことができたのだと思う。

 

👆 心斎橋だよ!

 

三つ子の魂百まで、と言うが、

 

幼少時にインプットされた信念はなかなか根深く、

 

本人の一生を左右すると言っても過言ではない。

 

僕の知人で、小さい頃に和式トイレで尻もちをつき、

 

それを見た母親の「いや~っ、汚い!」の一言で、

 

自分は汚い、という思いが刷り込まれてしまい、

 

そこから超潔癖人生が始まった人がいるが、

 

このように、何度も自動的に繰り返すネガティブな

 

思考パターンがある場合、その裏には、

 

幼少期に経験した刷り込みが影響していたりする。

 

それで、どうして私はこんなに恐れているのだろう、

 

と、本を読んだり、リトリートへ通ったりして、

 

この〝お偉い私〟がコントロールしようとしてしまう。

 

しかし、幼少期の刷り込みをいちいち分析していたら

 

キリがないし、労力の無駄でもある。

 

なので、こんな時は、悩まず、探らず、分析せず、

 

自分はなにか間違った選択をしているんだなあ、

 

これは間違ったウソを信じ込まされた結果なんだな、

 

と認識して、後は兄貴に全てを返せばいい。

 

👇 生長の家あれこれ

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そもそも、僕たちは、天国から離れた、という

 

〝たったひとつ〟の喪失感を刷り込まれて生まれて

 

きているので、生まれた時点でもう間違っている。

 

要は、あらゆる多様な問題に直面した時、

 

神から離れたと思い込んだ時点まで戻り、

 

それは起こっていなかったことを確認して、

 

もう一度兄貴を選び直す。

 

その、神からの訂正を受け容れる意志だけが

 

僕らには必要なのであり、それ以外のことは、

 

なにもする必要がない。

 

記憶だけでやってます!

 

記憶って本当にウソだ、としみじみ思うボクである。

 

僕たちは、

 

記憶によって自己のアイデンティティを保っている。

 

記憶がなければ、私という自己を維持できない。

 

なので、美味しいものを食べに行ったり、

 

海外を旅行したり、やりたい仕事をすることで、

 

少しでも〝よい記憶〟を脳に収蔵しようとする。

 

なぜなら、

 

それらの記憶こそが自己の存在証明になるからだ。

 

👇〝メモリー・ハッカー〟の記事は、我ながら、

  本当によく書けていると思う。再読すべし!

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しかし、記憶ほど不確かで、曖昧なものはない。

 

私にはこんな過去があります、これが私の人生、

 

というけれど、それって記憶でしかない。

 

記憶が変われば、過去も人生も別のものになる。

 

そもそも、記憶は思い出されない限り、

 

確かにそれが起こった、と確認することができない。

 

逆に言えば、

 

思い出されない記憶は存在しなかったことになる。

 

別の言いかたをすれば、思い出さないことで、

 

隠蔽したい記憶を、起こらなかったことにできる。

 

そして、赦しを実践し始めると、待ってましたとばかり、

 

兄貴が夢の削除に取り掛かる。

 

せっかく、無かったこととして隠蔽していた記憶を、

 

次々に意識に浮上させ、直視させようとする。

 

そして、それは夢で幻想だから手放していいんだ

 

と、その記憶からくる罪悪感を返させようとする。

 

しかし、僕たちは、隠蔽していたおぞましい記憶が

 

自分だと思っているので、そんなおぞましい自分に

 

身悶えしながら罪悪感まみれで闇落ちしてしまう。

 

そうならないように、僕たちは、

 

はどんな記憶も温存しておきたいと思っている。

 

それでも、この夢の世界から永遠に去るには、

 

次々に浮上する夢の記憶から生じる罪悪感を、

 

兄貴へと捧げ続けなければならない。

 

永遠に取っておきたい素敵な記憶も、

 

二度と思い出したくないような記憶も、

 

幻影であり、本当ではない。

 

なので、そっくりそのまま神へと返してしまっていい。

 

そうすることで、僕らは記憶の呪縛から解放され、

 

その時に本当の記憶、神の記憶が復活するのだ。

 

 

 

飛田新地で見る夢は…

 

一斗を出てから天王寺のバーで飲むことになり、

 

飛田新地を通って天王寺へと向かった。

 

飛田新地は、遊郭の面影を残す歴史的なエリアで、

 

通りの両側に、料亭と称する店がずらりと並び、

 

ライトアップされた玄関には、裸同然の女の子が、

 

笑顔で座っている。(これを顔見せというらしい)

 

どの店の女の子もみんな若くて可愛く、戸口には、

 

〝やり手ババア〟と呼ばれるおばさんがおり、

 

僕たちが通ると、笑顔で手招きをする。

 

女の子は一軒の店に一人だけという決まりで、

 

女の子が接客中の店はババアが金勘定をしている。

 

👆やり手ババアと女の子

 

若くてかわいい女の子が多い青春通り、

 

年配女性が多い妖怪通り、など、

 

独特の名称でカテゴライズされていて、

 

これらの店は全て料亭として登録されている。

 

客は奥の料亭でお茶やお菓子(食事)の提供を受け、

 

そこの中居さんと自由恋愛に至るというロジックだ。

 

👆一般女性の立ち入りは観光目的でもタブー

 

この日は氷点下に近い夜だったにもかかわらず、

 

通りはかなりの男たちでにぎわっていた。

 

歴史を感じさせる大正時代っぽい通りや建物は、

 

ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。

 

こんなディープな場所があったなんて、と思う一方、

 

低俗さやイヤらしさは全く感じなかった。

 

そこには、歴史と伝統に基づいた風格と、

 

何とも言えない儚げな風情があった。

 

 

👆今は登録文化財に指定され、

     完全予約制で食事ができる〝百番〟

 

通りを歩きながら、自分は今夢を見ている、と思った。

 

これ全部夢で真実ではないんだ、だから大丈夫なんだ

 

と思うと、なんだかホッとした気持ちに襲われた。

 

しかし、これ全部夢なんだあ、で終わっていては、

 

夢から目覚めることはできない。

 

どうしてこの夢を見ることになったのか、

 

なんでこんなことになってしまったのかを、

 

ちゃんと知覚して赦す。

 

神を選び直し、

 

見えているもの、聞こえているものを神へと返す。

 

気がつけば、僕は天王寺を歩いていた。

 

 

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