香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神ビール

 

爆睡三昧だった土曜の夕方、天王寺に住む友人から

 

ビールでも飲まないか、というLINEが来た。

 

聞けば、天王寺公園で、

 

ドイツビールのフェスが開催されているという。

 

時計を見れば16時半だった。

 

うわっ、今日もよく寝たわあ、と思いながら僕は、

 

18時に友人と天王寺で待ち合わせることにした。

 

 

土曜の夕方なので、

 

さぞがし人でごった返しているだろうと思いきや、

 

そんなでもなく、ゆったり座って飲むことができた。

 

どんなビールがいいのか分からなかったので、

 

ドイツ人の集団が注文していたビールを買った。(笑)

 

オレンジ色に染まった夕空を眺めつつビールを飲む。

 

寒くもなく、暑くもなく、爽やかな春風が心地よい。

 

天王寺動物園に隣接しているため、

 

時折、ゾウの鳴き声が聞こえてきたりする。

 

 

周囲の喧騒、春風にざわめく木々の葉擦れの音、

 

友人との会話、暮れなずむ空をワカサギが横切る。

 

見えている風景、聞こえてくる喧噪、ビールの味、

 

風が皮膚に触れる感覚、ドイツソーセージの匂い、

 

一瞬、思考が停止し、自分が消失していた。

 

 

仕事に集中している最中であれ、運転中であれ、

 

パートナーとケンカ中であれ(笑)、買物中であれ、

 

今、この瞬間は、五感の安らぎに満たされている。

 

今に留まるには、五感そのままでいる必要がある。

 

(五感そのままでいよう、とするのではなく…)

 

なぜなら、目や、耳や、鼻や、舌や、皮膚には、

 

何かを解釈しようとする機能がないからだ。

 

五感でチョクで触れている〝それ〟が、

 

解釈以前の様子であり、自分無しのありようだ。

 

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なんかもう、

 

自然に湧き出る思考に煩わせられなくなっている。

 

湧き出る思いや感情が自分ではないと智っている。

 

改善すべき自分もいなければ変えるべき他者もいない。

 

天然の世界だけが顕在していた。

眠れば神が来る

👆とある夕暮れ時のワンショット!

 

朝からの通しでの授業が始まってからというもの、

 

疲れているのか、土日はほぼ一日寝ている。

 

朝は9時ごろに起きるのだが、シャワーを浴び、

 

トーストとかの朝食を食べ、洗濯や掃除を終えると、

 

少しウトウトしだして、そのまま夕方まで寝てしまう。

 

途中、何度も目を覚ますのだが、起きられない。

 

 

来週の講義の準備だってあるし、小説を書いたり、

 

筋トレへ行ったり、資格取得(登録日本語教師)の

 

勉強だってしなければならない。

 

なのに、土日を寝て過ごすなんてもったいない。

 

第一、昼にこんなに寝たら、夜眠れなくなる。

 

意識は必至で起きていようとするのに、

 

身を起こそうとすると眩暈がし、耳鳴りもひどい。

 

身体は動かず、そうこうするうち、

 

睡魔に襲われ爆睡の渦へとおちてゆく…。

 

 

夕方になってやっと目醒め、トイレに行く。

 

今日も何もせず、無為に一日を過ごしてしまった、

 

という落胆と焦燥感がこみ上げてくる。

 

そして、明日こそはちゃんとしよう、と決意する。

 

でも、やっぱり爆睡、そんな週末が続いていた。

 

 

で、昨日、同じように昼過ぎから睡魔に襲われ、

 

眠りに落ちようとする自分に抗がっていた時、

 

「え?待てよ。この眠気、すっごく心地よくない?」

 

と思った。

 

眠れるって、すっごく幸せなことなんじゃないか、

 

平安のエクスタシーそのものじゃないかと思ったのだ。

 

 

食後の血糖値が上がったから眠くなって云々、とか、

 

頭で考えたらいろいろ浮かんでくるのだが、

 

眠りに落ちる瞬間の、あの平安な感じは本物である。

 

そして、今、何時間寝たとしても何の問題もない。

 

だって、日曜なんでしょ!

 

今この瞬間の平安への抵抗をやめ、

 

エクスタシーの流れのままでいる。

 

僕を眠らせて兄貴が何をしようとしているか、

 

週末に爆睡することがよい事かどうか、なんて、

 

夢の自分には絶対に判断できっこない。

 

第一、本当に今やらなければならない事があったり、

 

誰かとの約束がある時には、絶対に寝ないはずだ。

 

現に、寝過ごして仕事に遅刻したことは一度もない。

 

そう、起きるべき時はちゃんと起きるようにできている。

 

👇眠りと時空、不思議ちゃんだった2014年前後のボク

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今回はたまたま、僕自身の爆睡のことだったが、

 

これは、あらゆることに言える。

 

相手の行動に対して、怒りやイライラを感じて、

 

それを相手に表現してしまったとしても、

 

反対に、相手から怒りやイライラをぶつけられても、

 

それがいい事かどうか、なんてわからないのだ。

 

そして、

 

そのままの流れでいる時、そこに自分はいない。

 

 

僕の金銭感覚

👆阿倍野で20歳年下の友人と食事

     もちろん、僕のおごり

     こういうことには散財を惜しまない

 

このブログの読者の方々はもうお分かりだろうが、

 

僕の金銭感覚って、ちょっと変わっている、と思う。

 

友人とのランチやディナー、仕事用のバッグや靴、

 

居住空間を彩る物には惜しみなくお金を使うのに、

 

スーパーでは、半額の惣菜を漁ったり、

 

もったいない、と電気代やガス代をケチったりする。

 

また、僕はかなりのステマ(捨て魔)で、

 

書籍であれ、衣服であれ、いま必要でないもの、

 

もうお役目を終えたもの、はどんどん捨ててゆく。

 

これはいつか使うかも、とか、これは思い出の品だ、

 

と、物を溜め込むことを良しとしない。

 

現役である物だけを置きたいと思ってしまうのだ。

 

なので、

 

服も、食器も、日用品も、最低限のものしか置かない。

 

スーツだって3着もあれば十分だし、食器だって、

 

お皿、グラス、器、カップがふたつづあれば十分だ。

 

 

シーツや普段着や洗剤などの消耗品は、

 

いちばん安いものでよいと思う反面、

 

2千円の歯磨き粉や3千円のシャンプー、といった、

 

自身の身を整える品々にはお金をかけたりする。

 

これってどういうことなのか、と考えてみたとき、

 

今この瞬間に必要なものだけにお金を使いたい、

 

ということなのではないか、と思った。

 

あのとき、過去の自分が華々しく存在した証として、

 

この思い出の品を取っておくとか、

 

未来に必要だからこれを残しておく、というのではなく、

 

今この瞬間の自分を最も大切に扱う為にお金を使う。

 

 

好きなものだけに散財するのは単なる浪費家だし、

 

ケチケチ生活をするのは単なる倹約家に過ぎない。

 

インターコンチでアフタヌーンティーをする反面、

 

半額の惣菜をおばちゃんとバトルしながらゲットする。

 

そういう極端な感覚があるからこそ、僕はかろうじて、

 

財政破綻せずに済んでいるのではないか、と思う。

 

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何を言いたかったのかと言うと、

 

欲しいものは借金してでも買っちゃう、とか、

 

欲しいものも我慢して将来のために貯金する、とか、

 

それって、今この瞬間要りますか、ということだ。

 

今ここにいる自分を最も大切に扱うべきなんだ。

 

他人の前では、きれいに身だしなみを整えながら、

 

自分は散らかり放題の家で暮らしている。

 

家族(子供や孫)には、最高のものを与えながら、

 

自分は欠けた食器でお茶漬けを啜っている。

 

それって、同じ下着を1か月穿き続けながら、

 

服や化粧だけをきれいにするようなものだ

 

そんなの、赦し以前の問題だ。

 

最もお金をかけるべきは他でもない自分なのだ。

 

そう言う意味で金銭感覚は、自己の罪悪感を見る上で

 

大切なポイントになるのではないか、と思ったりする。