夏至の日に起こった〝自分放棄〟の体験辺りから、〝わたし〟が丸ごとどこかへ持って逝かれつつある。これまでは、何やかや言っても、まだ〝個のわたし〟がしっかり存在していて、その個である僕が赦したり、明け渡したり、聖霊兄貴と話している感覚があった…
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