↑今日は店先で〝叉焼弁当〟を買い、家で食べた。焼き立てでうまかった。
3日間の休日を終え、いよいよ心身共に熱い6月がスタートした。
ここぞとばかりにケリーがやってきて、僕の前で次々に懸案事項を読み上げてゆく。
〝オフィス引越しのための途中契約解除の話し合いはいつにすれば?…。〟
〝人民元ストックが少ないので今日のレートを見て補充する必要が…。〟
〝上海の合弁会社の決算書を税務署へ提出するため、今日中に確認を…。〟
〝昇給のための資料である消費者物価指数はエクセル表にして財務共有ファイルへ…。〟
休日の3日間、ずーっと父を感じ、兄貴と話していたので、
しばらく彼女が何を言っているのか全く理解できなかった。
本当は彼女はここにいない。実在ではない、と認めて兄貴とともにいる。
兄貴目線とハートの愛の眼差しをずっと保持する。
兄貴の判断かどうかは、そこに取引きや駆け引きがないかを目安にする。
そうやって聖霊兄貴に明け渡しながら過ごす。
と、今まではこんな風にやっていたのだが…。
ああ、もういいや!
やーめた!
もうこんな〝シチ面倒くさい〟ことやってられない。
バーンッ!と突然ラッキーポンが弾けた。
すでにハートの愛を感じてるんだし、いつも兄貴と会話してるんだから、
だったら、それだけでいればいいじゃん。
本当はない世界で、ほかに何をぐだぐだとやる必要があるのか。
ただ、兄貴とともにいてハートを感じていると、
僕の場合、確かな愛に裏付けされた、凛とした自信というか、
芯のようなものが生まれてくる。
決してどこかイッちゃった人、というか、お花畑状態にはならないのだ。
そんな状態で過ごしていると、すぐに中国工場の総経理からチャットが入った。
「誰々があなたのことをこんな風に言っている。」
「最近忙しくて部長会に出席できないあなたを非難している人がいる。」
とまあ「あなたのことを思って教えてあげたよ。」的内容だった。
おお、早速、きましたか。
面倒くさいことはしたくないので、なにも考えず、
ただダイレクトに繋がって〝ひゅんひゅん〟していた。
これって夢だし、何にも起こっていない。
だが、兄貴の目線でいてじっとしていたとき、なにか文を返したくなった。
思っていることそのままを返す。
「僕は誰々さんのことが大好きだよ。」
「僕は総経理のことも、みんなの事も、すっごく好きだよ。とてもとても好きなんだ。
嫌いになんかなれるわけないよ。」
普通会社の人にこんなことを言うのは赤面ものだが、
今日の僕は、心底すべてが自分とおなじ兄弟に思えていた。
再度返事は来なかった。
この光景は、あのリアルな夢の中で弁当を食べていた〝ぱるる〟と〝まゆゆ〟と〝たかみな〟
と同じリアルな、ただの夢なのだと見抜いていた。(※5月14日の記事参照)
その人の背後にハートを見てなんちゃら…、というテクももう抜きだ。(個人差あります)
ダイレクトでハートを感じて、兄貴の目線と一体になっているという認識のみでOK!
仕事であろうと何であろうと関係ない。もうそのままでいていい。
家に戻れば、僕の2冊目の小説の中国語を推敲してもらっている人からメールが入っていた。
この小説の中国語はすでに完璧な台湾の文章になっているので、これ以上の遂行は無理だ、
ということだった。
よし、冇問題(モウマンタイ)←大丈夫
もう自分では何もしない。兄貴にしか渡さない。
ない世界をうろちょろするのは、やめる。