↑屋台の串焼きを数本食べて晩御飯を終える。警察が来たらものすごい勢いで店じまい。
今日は中国でお仕事。
今日の朝くらいから、やっとすべてを放っておけるようになった。
本社の取締役で以前中国工場の総経理だった人が、
いま工場で製造を担当している四川出身の次長を新しい工場へ連れて行きたいと言い出し、
そのことについて、本社から意見を求められた。
その次長というのは、工場で自分の意見が通らないとわざと出荷を止めたり、
部品業者から裏でマージンを取ったり、給料が5万円程度なのにもかかわらず、
なぜかベンツに乗り、マンションを2軒持っているという、なにかとコンババな人だった。
すぐに反応が出そうになる。
この人がどういう人かわかってるんですか…みたいな。
でも、今日はなぜか、そういうエゴの反応は、すぐになりをひそめた。
「どうせ自分がどうあがこうと、このエゴのストーリーはすでに決まっている。」
「ここで反応して、ああだこうだと力説してみても、それは徒労というものだ。」
「決まった通りにしかならないのなら、兄貴にこの怒りを修正、削除してもらおう。」
3秒くらいですぐに兄貴が操縦席に戻ってきた。
エゴに兄弟は売らない。だが、それは彼のエゴを隠ぺい、温存するということではない。
彼のエゴ、と言ったが、自分のエゴだ。
「判断できません。」正直に答えた。
彼には彼の兄貴がついている。冇問題!(モウマンタイ)大丈夫。
さまざまなスピリチュアルリーダーや学習者たちがブログやSNSなどで、
自分たちのスピリチュアル的な体験や教えを表現していっている。
「こういう情報がありますよ。」とトーク映像をアップしたり、
独自にシェア会やクラスを開いたりして学んだりしている。
それはとても素晴らしいことだと思う。
でも僕の場合、そういうのは年に1〜2回、何らかの講義を受けるだけでいいかな…
という感じである。(あくまで僕の場合、です!あしからず。)
それよりなにより、僕は今、純粋な実践者に会ってみたい。
マザーテレサの日常版、身近なマザーテレサ、隣のマザーお姉さん、みたいな人。
マザーは本を書くわけでもなければ、世界中を講演して歩くわけでもない。
お金を取って何かを教えるわけでもない。
彼女に師事しようと集まってきた人々に対し、彼女は〝帰れ〟と言い放つ。
「あなたたちの相手をしている暇なんて私にはない。帰りなさい。
自分の場所へ戻り、そこでただ行いなさい。」と言ってのける。
そして、彼女自身はただただ実践する。言葉で何かの秘密を明らかにするわけでもない。
ただただ、日常の生活の中で、おこなっているだけの人。
もし、日常でそんな人に出会えたら、なんて幸せだろう。
そうなったら僕は、道端に大の字になって、その人から何をされても構わないよ。
(ヘンタイかっ!向こうもしたいとは思わないだろうけど…。)
閑話休題。
今日、会社の日本人たちに泉アツノの話をしたら、みんな知らないって言ってた。
ええっ、そうなのかな。東京の会社だからかなあ。
関西勢のおみえさんやかずちゃんの前でモノマネしたときは、ちゃんとツッコんでくれた。
あれは関西ローカルだけで売れていた人だったのか?
夜は久々にホテル近くの盲人按摩屋さんでマッサージをしてもらった。
さすがちゃんとツボや経脈を勉強している人たちだけあって、気持ちよかった。
2時間やってもらって2000円でした。