丸一日、虎ノ門にある弁護士事務所で打ち合わせをした。
今回から、工場で人事を担当している台湾人女性部長もこのプロジェクトに加わった。
この日は主に人事上の対応について話し合われた。
主席弁護士から具体的な指示が出る中で、初参加であるこの女性人事部長は、
戸惑いつつも、ひとつひとつの事項について、真摯に向き合っているように見えた。
お昼になり、弁護士事務所で高級和牛ステーキ弁当が出た。うわっ、めちゃ美味。
しばし、打合せそっちのけで人事部長の彼女と舌鼓を打つ。
「ねえねえ。これ絶対、3,000円はするわよね。」と彼女。
「でも、割り箸に松坂牛って書いてあるよ。それだったら5,000円はいくと思う。」と僕。
「この弁当代も、きっと弁護士料に含まれているのね。」と彼女が言う。
「含まれるに決まってんじゃん。本当は弁護士さんが牛肉を食べたかったんじゃない?」
「えっ、そうなの?だったら、わたしたちに何が食べたいか訊くべきじゃない?
わたしは高級お刺身弁当が食べたかったのよ。」
とまあ、二人下世話なおばちゃんトークを繰り広げていると、
後ろに弁護士先生が立っていてギョッとなった。
夕方になり、やっと打合せから解放された。
人事部長の彼女があまりにお刺身お刺身というものだから、夜は本社の関係者の人たち
と一緒に、築地のお寿司屋さんへ行った。
京都の祇園から進出してきたお鮨屋さんとかで、刺身や寿司以外に、
おばんざいなどもあり、こちらもすごく美味かった。
今回初めて事の真相を知らされ、新たな異動先も告げられた人事部長の彼女は、
最初こそ驚いていたが 「まあ、どこへ行ってもやることは同じよ。」と飄々とした様子だ。
さすが、長年中国のあちこちの会社で管理をやってきただけあり、肝が据わっている。
どこへ行っても一長一短はあるし、嫌なら辞めればいいだけのこと。そんな感じだ。
彼女の表情や言動からは、経験に裏付けされた自信のようなものが見て取れる。
いろいろな場所で仕事をしてきて、いざというとき、何をどうすればよいかが
ちゃんと分かっているのだ。 だから、怖くない。
舌の上でとろけそうな大トロを頬張りながら、ふと、
〝体験というのは、内面に温存している恐怖を浮き上がらせる行為なのだな〟と思った。
〝世界はある〟ということを信じていれば、体験は恐怖を増幅してゆくが、
〝世界はない〟ということを前提で現実を体験していれば、
それは恐怖を解除してくれる強力なツールとなる。
スピリチュアルを探求する人たちと交流するようになってまず最初に感じたのは、
「なんで、みんな働かないのだろう。」ということだった。
「少し前まで仕事をしてたんだけど、すごく違和感を感じるようになって。」
「現実世界では、今のところ、やりたいと思う仕事がないんだよね。」
「いまは、真実を探求することだけに集中していたい。」
など、理由は様々だが、そう言いながらも、両親のお金で生活をし、
クラスのお金や本代を払ったりしている自分に対して、
無意識の罪悪感やうしろめたさを隠し持っていたりする。
そして、スピリチュアルでなんとかご飯を食べていけないか、と考えはじめる。
昔と今では時代が違うと、これは大いに意見の分かれるところではあるが、
J ならどうするだろう、と考えたとき、
彼ならお金を払った人にだけ真実を見せる、というようなことは決してしないだろう、
と思ったりするのだ。
働かなくてもよい環境にあるのなら、必ずしも〝働く〟必要はないが、
〝動く〟必要はあると思う。
仕事で成功し、現実世界で上へ進むことには全く興味はないが、
現実の出来事を赦しの実践に使ってゆくという観点から見れば、
どんどん動いて、その都度兄貴が差し出すひとつひとつの事柄を〝ない〟と確認し、
間違った知覚を削除していってもらった方が、より迅速に故郷へ戻れるような気がするのだ。
まあ、僕の場合は、イヤでも兄貴の方から、次々に強制体験させられていっているのだが…。
大いなる赦しの日まで、一か月を切った。
現在、さまざまな〝夢の映像〟を分刻みで映し出している毎日ではあるが、
それらはすでにただの映像と化し、ドラマはどんどん穏やかになりはじめている。
上記に書いたことと矛盾するようなのだが、体験しても体験しなくても、
動いても動かなくても、実際には何も起こってはいなくて、
ただビットの設定を見ているだけなのだ。
しかし、本やクラスやワークを通して得たそれらの知識が、
本当にそうなんだあー、とストンと腑に落ちてリアルに体感できるようにするためには、
やはり、動いて体験し、実践することが重要なのだ、と思う。
一歩も動いていないことを心底分かるために動く。
なにも体験していないことを本当に知るために体験する。
でも実際、僕のような過激派の真似はしない方が無難なのかもしれない。
(それがオチかい!)