香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

小さなひらめき

ちょうど3年前の今日、バルセロナにいた。

ガウディの代表的な建築物であるカサミラで行われた、アンフィニのクラスに参加していた。

まるごとアートでできているような街だった。

クラスの時間以外はひとりで街に出て、計算せず、地図も見ず、

ただ惹かれる方向へ動くよう、あやこさんから指示されていた。

頭を使ってはいけない。本当の自分にお任せで動く。


その頃、小説家を目指していた僕は、ガウディの、概念を取り払ったデザインに感銘を受け、

街のカフェで、持ってきたノートパソコンに何の脈絡もない言葉をつらつらと

打ち込んだりしていた。

文章を組み立てようとしない。ストーリーを作ろうとしない。

その時、頭に浮かんだ言葉をただ羅列してゆく。

すると、なんだかわからないけれど、深いなにかに繋がり、

ストーリーの糸口みたいなものが見えてくる。


バルセロナの旅から戻ると、出版社から出版契約書が届いていた。


あのときは、お任せモードの訓練をしていたのだな、と今になれば分かる。

なにも期待せず、なにも欲さず、その時々にどうしたいかで行動する。

すると、自分が本当に欲していた状況にたどりつく。

もう、自分の望みを叶えるためにお任せすることはないが、

いま、兄貴に任せることがすんなりできているのは、

ひょっとして、このときの訓練の成果なのかも、と今にして思う。

仕事をしている時などは特にそうなのだが、何かの拍子に、

こっちに行った方がいいのでは、とか、あれがなんか気になる、とか、

あの人に連絡した方がいい気がする、今日は何だかラーメンを食べたい気分、

というふうな、小さな直感が閃いたりするときがある。

しかし、大概が、こっちへ行くと遠回りだ、とか、

いつも選択しているこっちの方が無難だろう、とか、

こんな時間にあの人がいるわけがない、とか、

ラーメンよりセットメニューの方が断然お得だ、という数々の概念を使い、

直観をかき消すことがほとんどだ。

何より、こんな選択をしたら人からどう見られるだろう、という軽い恐怖が先に立つ。

あくまでも軽い選択なので、そんなに深刻になることもない。

いま、新作を書こうとしている。

旬のうちに次の作品を出しておきたい出版社が、出版計画を知らせてくる。

ありがたいことだが、これがなかなかきつい。

前作と同じか、前作以上でなければ、担当も読者も納得しないのだ。


参考書を開けようとすれば、ついつい他のことが気になって、ケータイをいじったり、

ネットを見てしまう受験生よろしく、ソワソワと、どうしても創作に集中できなくなるのだ。


お任せでストーリーが下りてくるのか?

父が待つ故郷へ戻っていくことにしか興味がない兄貴をあてにはできない。

(してもいいのかもしれないが…)


そんなとき、3年前にバルセロナでやっていたことを思い出した。

まずは、ただただ明け渡し、徒然と書いていくことにしよう。