香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

九月でGO!


↑うちの寝室の窓に巣を張ってはや1か月。ちょっとグロな僕の友達。

九月ももうすぐ終わり。

先週の火曜日に日帰り弾丸広州へ行ったのが、もう何週間も前の事みたい。

とうとう今週末は日本へ一時帰国だ。日本の細やかな周波数の中でまったり過ごそう。

数年前の今頃だったかな。

「光の磁場の上にいてください。そして、手放してください。」と言うあやこさんに、

「日本の磁場は特別でいいですよね。香港ではこうはいかない!」

と、ちょっとキレ気味に訴えていた。あれから3年。

まあ、よくここまで導かれたもんだ。謝謝(シェーシェー)!兄貴!


日本に帰ったらまず、おいしい果物をたくさん食べよう。

ぶどう、なし、桃、柿…、日本の果物はまさに食べる宝石だ。

それからコンビニのスイーツ。日本のコンビニスイーツはもう芸術の域に達していると思う。

ミニストップのマンゴソフト、大好き。

こんなにおいしいものがコンビニで手に入るなんて…。

香港ではこうはいかない。(笑)


それから、新しいスーツを買い、歯の漂白に行き、あとは家でボーっとする。

ああ、そう言えば、ここ10年位、スーツを新調してなかった。ネクタイもよれよれのばかり。

いつもなら、どうせ仕事ですぐに擦り切れるのだからと、2着で3万8千円のを買っていたが、

今回は阪急百貨店あたりでちゃんとしたブランドのを買おう。


なんだか、この時期に日本へ帰るのも、兄貴に導かれているような感じがしてならない。

まあ、24時間導かれっぱなしではあるけれど…。


いま、会社では新工場の内装、設備移管の真っ最中で、新総経理はじめ、みんな

カリカリと、非常に忙しい日々を送っている。そんな中、僕は日本へ2週間帰る。

普通なら、自分も仕事が忙しいし、自分にしかわからない業務もあると、

休暇など取ろうとも思わないのだが、どうも今回は帰った方がいいと直感する。

だから、帰る。


「おんどりゃあ、なに自分だけ休暇取ってケツ噛んどんじゃい!」

と、同僚たちに思われているのではないかという、後ろめたさからくる恐怖に対し、

自分の反応に一切反応しない、と決めた。

「みんな無だし、考えているこの自分さえも無である。」と看て赦す。


日本では、てっちゃんや乙女ののりちゃんに会えるのも楽しみだ。

今回で終わらせることをはっきりと、寸分のブレもなく選んでいる人と一緒にいることは、

すっごい励みになるし、楽しい。

でも、あんまり兄弟てっちゃんの赦しが進んじゃうのもなあ…。

もっと、親方とバトルをしてもらって、たくさん〝きいぃーっ!〟な話を聞きたい気もする。


「なんかさあ。最近、総経理も、掃除のおばさんも、トラックの運転手さんも、

みんな中身は全く同じ、ひとつの光に見えるよ。ただ、へんな着ぐるみを着て、

手を変え品を変え、へんてこりんなパフォーマンスを、見せてるだけ、みたいなさ。」

今日の昼休み、何気なくふぁちゃんにこんな話をした。するとふぁちゃんが一言、

「うん。知ってる。」

だって。きいぃーっ!


たとえば、今日の赦しを見てみる。


朝、地下鉄で、おばさんに横入りされて、席を取られたときに、それを無として赦した。


緊急の用事で顧問会計士に電話したが、何度電話しても出なくて、

やっと出てきたと思ったら「なんか知らないけど、この電話、鳴らないのよねえ。」

と、トボけられたとき、これはエゴの設定だ、ウソなのだ、と叫んで赦した。


他の同僚から孤立している(ように見える)設備移管担当の新入り部長さんから

相談を受けた時、ほかの同僚とこの人の間に違いは全くない完全な兄弟だ、と赦した。


8月の財務レポートをやっとこさ書き終え、本社へ送った矢先に「間違ってましたあー。」

と、秘書のケリーが、財務諸表を再度リバイスしてきたとき、

財務レポートなど無い、設定どおりに着ぐるみを着てパフォーマンスしている、

中身は自分と同じ完全なひとつである彼女を赦した。


市政府から30分以内に、これと、それと、あれの資料を出せ、と言われたとき、

エゴの設定が仕掛けてくる事柄に対する意味付けを放棄して、赦した。

しかし、1と0で設定された台本は決まっているので、ただそれを淡々とこなした。


小説本の出版が少し遅れるかも、というメールを受け取ったとき、

夢の世界をいじらない、と、ただ兄貴に渡した。


一つ一つの設定の出来事に、意味をつけてひゅんひゅんするのをやめた。

この人はいないし、ただの着ぐるみで、中身はみーんなおんなじだ。

だって、自分が実相の国の住人であり、大いなる存在である父と同じであるなら、

目の前でいろいろな設定を演じているあの人もこの人も、自分と同じ、

実相の国の住人であり、大いなる存在である父と同じであるはずだ。


自分と彼らの間に違いがあるなら、分離しているということになる。

分離なんか起こってない、という大前提で赦しまくっていると、

空間がとても薄く見えてくる。

実相の世界の光の方がまさってくる。自分はずっとここにいた、と実感し始める。

そんな秋分の日、だった。