新大阪リトリが終わりました。
今回は7人前後のクラス。場所も静かで広く、ゆったりと落ち着いて講義に集中できた。
いつものように、ハレ師匠が講義中でも、みんな座布団を枕にごろごろ、お菓子パクパクで、
それでも、入れるところは入れるという、ちゃんとツボを心得た我ら弟子たちであった。
途中、おみえさん登場。
なぜか彼女は、畳にうつぶせになっていたともちゃんのお尻の上へまたがり、
自分のお尻でともちゃんのお尻をぼんぼんやりながら「ぷるぷるやな!」と呟やき、
隣で同じようにうつぶせになっていたじゅんこさんのお尻をつかんで、
「コリコリや!」と叫んだかと思うと、
突然、俺に向かって「どうや。うらやましいやろ!」と言ってきた。
一体、どう羨ましがればよいのか、さっぱりわからない。
それに、ぷるぷる と こりこりって…。
そして、彼女はしばらく講義を聞いた後「ほな。さいなら。」と帰って行った。
兄貴! これも赦すんっすか?
↑ 故郷帰還組 女子部。
今回は、2日目に少し時間をいただいて、僕の「大いなる赦しの日」の前後の体験を
シェアさせてもらった。(※8月17日の記事参照願います)
公表を禁じられていたので、ブログでは書けなかった部分を語った。
大いなる赦しの日に部屋に監禁されたこと。
30人ほどの社員に縄やカッターでおどされたこと。
その時、兄弟一人一人を赦して神の子としてみようとしたが、
人数が多すぎてうまくいかなかったこと。
途中、あまりのネガティブなびゅんびゅんが一気に襲ってきて、それでも赦し続けたこと。
そして、びゅんびゅんが限界を超えたその瞬間、得体の知れない巨大な大いなる存在に触れ、
全てはこの大いなる愛一つしかない、この大いなる愛一つからきている
ということを感じた途端に知ってしまったこと。
最後に、今までは何かあるたびに一人一人を赦し、一人一人をハートと見ていたのだが、
みんながハートだ、という見方ではなく、
全体でひとつ、みんなこの一つの存在から来ている、という見え方にシフトしたこと、
などを話した。
聞いてもらおうというのではなく、自分で話しながら、再度自分に入れていった。
この大いなる一つの愛しかなかったと、本当に悟ったとき、
ひとりひとりに違いを見ることはなくなり、全ての人の差が消失した。
この人あの人は幻想では存在しているが、もうこの人あの人がないことを完全に識っている
実相に息づく、ひとつの愛だけでしかない(神しかいない)と分かったのだ。
自分の外に見えている〝あると思い込んでいる罪悪感〟を赦していく作業から、
罪悪感さえもない、設定さえも幻だ、とまるっとまるごとの赦しに移行した感じがする。
現実が夢で、このハート(実相)から幻想の世界を見ている。