香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

きよしまつり

さあて。

香港もいよいよクリスマスシーズンに突入した。

ビルというビルの壁面に、サンタと来年の干支をモチーフにした電飾が施され、

朝の気温が20度を下回った途端、みんな毛糸の帽子やコートを着て出勤し始めた。

それなのに、ビルや乗り物の中はクーラーがガンガンに効いていて、

寒いったらありゃしない。

ほんま、わけが分からん。


やっと3日間の佛山での仕事が終わり、今日の夜香港に戻ってきた。

今回の仕事は財務部の立ち上げだった。

会計員と出納係の女の子も揃い、来週からふぁちゃんも来る。


しかし、生産現場では、明日出荷の製品に不良が発見され、全品検査し直しということで、

製造の人たちや総経理がてんやわんやしていた。

この分だと、彼らはまた今夜も夜中まで帰れないだろう。


しかし、この光景を見たとき、僕にはどうしても彼らが自ら望んで

不良を作りだしているようにしか思えなかった。


彼らは自ら作った製品に不良を出し、

てんやわんやしながら何とか出荷に間に合わせて、

ああよかったよかった、と言い合いながら、

不良を出した罪悪感を、自らの身体を酷使することによって相殺し、

その長時間労働の疲労感を以って贖罪を達成した、と安堵のエクスタシーに酔う、

という〝ごっこ〟を楽しんでいるのだ。


もちろん彼らはそんなこと考えてもいない。

不良なんて出したいとは思っていないだろう。

もうこんな生活はイヤだあー、と本気で思っているに違いない。

だが、これも隠された罪悪感が映し出しているのだ、ということに気づいていない。


そこまで見えた時、兄貴を思い出す。聖霊の見かたで見る。

彼らの、あると思っている罪悪感は、僕自身のものでもあるのだ。

なぜなら、彼らを目の前にして、見て、感じているのは僕だから…。


彼らはいない→故に罪なんて存在しない→正しい見方に修正してください→神の愛だけを感じる


何度も何度もやる。

きのう書いた、ちょっと憂鬱なひゅんびゅんはだいぶなくなってきた。

どうやら峠は過ぎたようだ。

今自分が置かれている職場、人間関係、行動、

全てが故郷へ帰る一大プロジェクトなんだと思う。


話は変わって、

12月に東京へ行こうと計画中!

恒例、香港演歌同好会で〝氷川きよし祭り〟を観に行くのだ。

二年前にも行ったが、もうすごかった。

渋谷公会堂がおばちゃん、おばちゃん、おばちゃんで埋め尽くされ、

男子トイレもおばちゃん一色。

うわあ、たのしみー!

なわけないやろ!