本来なら今日はコースの読書会の日なのだが、
今日は冬至なので本日の読書会はお休みになりました、
と主催者からメッセージが来た。ちょっとホッとする。
夜10時まで勉強会はつらいなあ、と内心思っていた。
香港人はなぜか冬至の日をとても重要視する。
会社も午後4時くらいには終わり、夜は家族全員で
夕食を共にするのが習わしとなっている。
今日は、0と1の設定で割り振られている役割を
ただ、淡々とこなした。
昼からは、保険会社の人と銀行の人が
続けて年末の挨拶に来られ、
コーヒーを飲みながらいろいろと話す。
海外傷害保険の更新について。
佛山工場のオールリスク保険の見積もりについて。
6か月の為替予約にするとレートがどれだけよくなるか。
外債口座開設の手順について…などなど。
設定の役は一応演じつつ、微妙に出てくるものを兄貴に渡す。
これは全部嘘だ→何も起こってない→
故に何の罪もない→わたしは神の子です
しばらく静寂。やがてエックハルトの〝チィ〜ン!〟
最近は兄貴の反応が本当に速くなった。
仕事中、ずっと兄貴、兄貴、と
こんなことばっかりやっているので、
起こっていることがどうであれ、
渡すと状況が急変し、最後には平穏が訪れる。
それを何度か連続で経験するうち、
兄貴の存在が確信へと変わってゆく。
赦しが進むと、会う人がみんな〝愛〟に見え、
「ありがとうーっ!」と感涙する人がいるが、
僕の場合は、反対に目の前の人が、
HMDの仮想空間を漂う、ただの動くバーチャルキャラ
のように見えてしまう。
ただ、実相の世界の方が
圧倒的にリアルになってきているので、
仮想空間が意味を失くしたからと言って
虚無に陥ることはない。
むしろ、仮想空間の中に自分が存在していないことに
悦びを感じる。
こんな感じで銀行の人と対峙しながら、
目を閉じていると、光の海が瞼の裏に拡がり、
相手の体が光っているのが見えた。
これが見えたのは、アンフィニの時以来、久しぶりだ。
銀行の人が帰った後、本社人事部長から電話があった。
あのX-DAYの日に設備移管を担当した
日本人駐在員のC氏を12月一杯で解雇するので、
必要な手続きをしてくださいという依頼だった。
彼は〝大いなる赦しの日〟に向けて結成された
〝チーム匠〟の一員だった。(※7月30日の記事参照)
この報を聞いても、なんの赦しも起きなかった。
解雇理由も、聞くのを忘れるほどだった。
ただ、設定が流れていくだけ。
多分、この設定はX-DAYの〝大いなる赦しの日〟で
削除されたのだな、と直感する。
もう、本当に世界を信じなくなっている。
ちょっとヤバい、と思う。
帰りの電車の中、昨日のブログで熱く語った
〝隠れた赦し〟について、自分を赦した。
そんなことをやっている人など存在しないし、
故に、そんなことをやっていても、なんの罪もない。
愛でしか兄弟を見たくありません、と兄貴に渡す。
しばし沈黙。
そして、エックハルトの〝ちぃーん!〟。
終わった!