今日は久々に夜8時まで残業をした。
午後4時ごろにフィリピンの総経理からメールがあり、
全体会議の資料を作ってほしいと依頼された。
それから、有無を言わさず、ポンポンポンポン、
と、大量の元資料がメールされてくる。
それも、見たこともない資料ばかりだ。
以前はフィリピンにも財務部長がいたのだが、
その人が辞めてからは経理担当者のみとなっていた。
そのため、経理資料に不慣れな総経理が、
こちらへ仕事を振ってきたのだ。
自分は、明日は広州へ出張だ。
しかし、会議は来週の月曜日で、
金曜には資料をパワーポイントにまとめ、
本社へ提出せねばならないという。
いまからやって間に合うのか、という不安。
これは自分がやる仕事ではない、という怒り。
断る理由を探している自分に対する罪悪感。
仕事ができない奴、と思われるのではないか
という恐怖。
さまざまな0と1の設定が自動的に湧きあがってくる。
だが、そこはもう、やり慣れた赦しである。
いつものように、出てくる前から、兄貴に大放出する。
〝わたしは見てない。何も見てないわ!〟
と、シカトを決め込むケリーの横で、
ウツボカズラ大放電を行なう。
ぐっと両手をあげ、0と1の数字を大放出した時、
ワイシャツがめくれ、おへそが見えてしまった。
やばい!セクハラで部下に訴えられるかも…。
だが、それも0と1の数字にして兄貴に明け渡す。
その瞬間、ばーんっ!、
と誰かに頭をはたかれた様な衝撃が走った。
目の前がカチカチとショートする。
〝キリストがどうして汝を傷つけたりするだろうか。〟
その声ではない声が降ってきた途端、
わかったーっ、という深い感慨に打たれた。
そうだ。みんなキリストだった。
キリストである兄弟が、
自分に危害を加えるわけがないではないか。
キリストに攻撃されるなんて、絶対にあり得ない。
目の前の兄弟がどんなに何かしているように見えても、
やっぱり、何もしていない。
雷のように腑に落ちた途端、
周囲の全ての兄弟に対する感謝と愛が生じた。
はっと我に返り、ゆっくりとデスクへ戻る。
誰も自分を傷つけない。なぜならキリストだから。
という100%の自信のもと、
フィリピンの総経理に電話をした。
内容を確認し、作業に取り掛かる。
やりはじめると、辞めた前任者がめちゃくちゃな表を
作っていたことがわかった。
しかし、それも幻想だ。
愛しい兄弟である前任者が、
自分に何かをさせるはずがないではないか。
最後、資料をメールし、帰途についた。
全身、至高のエクスタシーに覆われ、
喜悦に身体をヒクヒクさせながら、
神の愛に酔うことだけが啓示ではなかった。
理屈抜きにストンと分からせる、
そんな啓示もあることを知った一日だった。
そして、そんな、聖なる瞬間は、
何の変哲もない、日常のひとコマに
隠されている。