香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

起こってない、という砂糖を舐める


↑果たして自分は本当にチーズケーキを食べたのか 

このブログの過去ログ見ていて、

ここに書かれている数々の出来事は、

はたして、本当に起こったことなのだろうか、

と、不思議な感覚にとらわれた。


本当は何ひとつ起こってなかったのではないか。

また、ほんとうに幻想や夢としてさえも起こってない。

そんな感覚に襲われたのだ。

もちろん、ブログには写真も掲載されていれば、

実際に文章を書いた記憶もある。

でも、これ、今はもう〝ない〟ことだ。

うまく言えないけど…。


だって、過去に起こった工場閉鎖のことも、

マチュピチュへ行ったことも、

奈良ホテルでお籠りしたことも、

経験したという記憶はあるが、ただそれだけ。

泡ぶくのように消えて、今はもうない。

いま、この文章を書いてはいるが、

それも、明日には記憶に変わる。

言葉やイメージでしか表せない、単なる記憶になる。

思い出したくもないあの経験も、

楽しかったあの一日も、泡ぶくのように、

湧いては消えて無くなる事象として、

ただ、記憶されるだけだ。


記憶があるからそれは起こった、と思っているが、

忘れてしまえば、それはなかったことになる。

または、記憶を歪めてしまえば、

起こったと思っている出来事は、別の記憶に変わる。

昨日、Aさんがこんなこと言った、

と、いくら自分がみんなに訴えても、

Aさん含む他の全員が〝言ってない〟と主張すれば、

昨日Aさんが言ったことはなかったことになる。


どれが真実か、という以前に、これ全部、嘘じゃん!

嘘ということは、ないということ、

起こってなかったということになる。

起こってないのだから〝びゅんびゅん〟もうそだ。


〝これは起こってない〟と言うことを、

まずエゴの自分に100%納得させること。


これは本当に起こったことだ、

という記憶をどこかで信じながら、

〝これは起こってない〟と否定をしても、

やはり設定は解除されにくいと思うのだ。


出来事の正体は 「あれは確かに起こった。」

という記憶を信じる〝個人の信念〟にすぎない。