このブログの過去ログ見ていて、
ここに書かれている数々の出来事は、
はたして、本当に起こったことなのだろうか、
と、不思議な感覚にとらわれた。
本当は何ひとつ起こってなかったのではないか。
また、ほんとうに幻想や夢としてさえも起こってない。
そんな感覚に襲われたのだ。
もちろん、ブログには写真も掲載されていれば、
実際に文章を書いた記憶もある。
でも、これ、今はもう〝ない〟ことだ。
うまく言えないけど…。
だって、過去に起こった工場閉鎖のことも、
マチュピチュへ行ったことも、
奈良ホテルでお籠りしたことも、
経験したという記憶はあるが、ただそれだけ。
泡ぶくのように消えて、今はもうない。
いま、この文章を書いてはいるが、
それも、明日には記憶に変わる。
言葉やイメージでしか表せない、単なる記憶になる。
思い出したくもないあの経験も、
楽しかったあの一日も、泡ぶくのように、
湧いては消えて無くなる事象として、
ただ、記憶されるだけだ。
記憶があるからそれは起こった、と思っているが、
忘れてしまえば、それはなかったことになる。
または、記憶を歪めてしまえば、
起こったと思っている出来事は、別の記憶に変わる。
昨日、Aさんがこんなこと言った、
と、いくら自分がみんなに訴えても、
Aさん含む他の全員が〝言ってない〟と主張すれば、
昨日Aさんが言ったことはなかったことになる。
どれが真実か、という以前に、これ全部、嘘じゃん!
嘘ということは、ないということ、
起こってなかったということになる。
起こってないのだから〝びゅんびゅん〟もうそだ。
〝これは起こってない〟と言うことを、
まずエゴの自分に100%納得させること。
これは本当に起こったことだ、
という記憶をどこかで信じながら、
〝これは起こってない〟と否定をしても、
やはり設定は解除されにくいと思うのだ。
出来事の正体は 「あれは確かに起こった。」
という記憶を信じる〝個人の信念〟にすぎない。