香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

僕達はスマホの中にいる


↑全て信じないでいると、雨もバーチャルに見える。

最近、ベトナム語のノートを見ながら通勤している。

みんながスマホのちっちゃな画面ばかり

覗きこんでいる中、ひとりノート片手にお勉強、

というのもなかなかクールだぜい、

と勝手に悦に入っている。


最近は電車でスマホを見ないようにしている。

人と会っているときも、メールやラインは見ない。

相手に失礼だし、その人との意識の交流が

途切れてしまうように感じるからだ。


いろいろ意見は分かれると思うが、どう見ても、

この〝スマホを覗かずにはいられない症候群〟

からは、エゴの匂いがぷんぷんしてくるのだ。

(あくまで感覚的なものだけれど…。)


2013年以降、エゴは厳戒態勢に入っている。

電車の中で、ひとり静かに自己の内部を見つめ、

「自分っていったい何なんだろう?」

「自分はなんでここにいるんだろう?」

「あれえ?この世界、なんかおかしいぞぉ。」

などと考えはじめるとスマホに気をそらせる。


「世界って本当にあるのかな?

 この世界って、ひょっとして嘘じゃないの?」

と僕たちが気づきはじめたのを見てとったエゴが、

さっと新たな、バーチャル空間を差し出し、

気づきから僕達の気をそらそうとするのだ。


しかも、この新しいバーチャル空間は、

〝今日からあなたが主人公!

 あなたも神と同じようになれる!〟

というキャッチコピー付きだ。

もちろん、よい子の僕たちは、

わくわくとそれに飛び付いた。

で、下の写真みたくなっちゃった。


あれ?これって、ひょっとして…。

僕達が神から分離したと思った瞬間(第4の分裂)

と同じなんじゃないか?

昨日の朝、この車両の中の人たちの90%が

ちっちゃな画面を覗いているのを目にしたとき、

あるイメージが去来した。


電車の中でスマホを覗きこみ、操作している人が、

〝分離した心(意識)→ A〟とする。


で、アメーバ・ピグのように、

スマホの中のバーチャルキャラで、

操作人 A の指示通りに考え、行動しているのが、

いまここにいる肉体の自分→ B。


そして、スマホを操作しながら、

「そろそろゲーム止めなきゃ。めしの時間だし。」

「スマホばっかやってると、父親に叱られるな。」

「もう寝る時間だぞ。でもあと1ゲーム!」

と頭の片隅で、わずかに考えている

かすかに正気な部分を〝兄貴→ C〟とする。


僕達が今やっている赦しとは、

「こういうふうに考えて、こういうふうに動け!」

と、Aから送られてくる信号(0と1の設定)を、

そっくりそのまま、〝正気な心(聖霊)〟

に返す作業なのではないかと思うのだ。


この世界がすでにスマホの中なのに、

そのスマホの中にあるスマホの中に、

さらに入り込もうとしているのだ。


これが虚無でなくてなんなのだろう!


とはいっても、便利なこともたくさんあるので、

スマホやネットを全て遮断する必要はないが、

〝本当の自分はどこにいるのか〟ということを

常に意識して過ごす必要はあると思うのだ。


スマホなんかない。

スマホの中の世界に何の意味もない。

こんなの信じないし、使わない。

と完全に分かって使っている状態。

(この状態で楽しいかな、とは思うけど…)


ただし、赦しの場面で重要なのは、

明け渡しは A に気づかれてはならない、

ということだ。

自分でやってる感満載で

「見て見て!こんなことやってますー。」

とアピールしない方が身のためだ、と経験上言える。

即座に気づかれ、「おっるらー、こっるらー。」

(上西議員の秘書、いつまで登場すんねん!)

と、ものすごい設定で落とされるか、

恐怖のあまり、再起動をかけられるのがオチだ。


やってくる全ての信号を、信じず、使わず、

ひたすら、そっと、兄貴に返し続ける。

「コイツ。なんか、最近反応悪いんだよなあ。
 
「なんかつまんねーなあ。」

と、Aが首をかしげている間に、

兄貴がBから返されてきた設定を全て解体し、

Aの正気を回復させてくれる。


とまあ、こんな空想にふけりながら、

ワインでほろ酔い気分の、

土曜の雨の昼下がりは過ぎて行ったのであった。