香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

砂糖なめなめ



今日からお仕事である。

朝、出社した僕を見た総経理が開口一番

「太ったねぇー!」と言った。

やっぱり自分は太ったのだ、とこのとき自覚した。

その後、気弱になった僕に追い打ちをかけるように、

スラックスのボタンがちぎれそうに…。


きゃーっ!

いくら肉体はない、とはいえ、

同じ幻想ならシュッとしてる方がよい。

ということで、今日からダイエットなのだっ!

米、パン、麺類抜きダイエットでいくぞ!


ぜぇーったいに痩せる!

痩せるまでふぁちゃんには会わない。

そんな、強固なる決意のもと、夜ごはんはサラダと、

たまご焼きと、サーモンのお刺身数切れのみ。

昼休みもジムで走った。

目指せ!ナイスバディ(ふるっ!)


といことで、今日は大きな砂糖を舐めた。

自分の眼前に現れる全ての兄弟は神だった、

という砂糖だ。


そんなこと、何回も聞いているし、

スピ本にもたくさん書いてある。

ああ知ってる知ってる。

でも、真に体験してなかった。


要はこういうことだ。

僕達の周囲にはたくさんの兄弟がいるように見える。


あるときは兄弟から攻撃されて恐怖したり、

無視をされ、どうせ自分なんて、といじけてみたり、

誰も分かってくれない、と怒りに燃えたり、

誰かが言った一言でイラついたり、傷ついたり、

理解してもらえない自分を情けなく思ったり…。


もしも神から離れたら、

と想像した瞬間に感じた恐怖や罪悪感を、

無限のシナリオで兄弟の上に投影し、感じている。


であれば、僕達が兄弟に対して行なっている

攻撃や、無視や、崇拝や、差別、意味づけなどは、

全て神に対して行っている行為と同じもの

ということになる。


また、兄弟を見て感じているあらゆる思い、

例えば、怒り、恐怖、罪悪感、無価値感、悲しみ、

などは、今の自分が神に対して抱いている想いと

同じものだ、と言える。


すっごく怖い上司から威圧的な態度を取られ、、

びくびくしているのは、

結局、神に対してびくびくしているだ。


また、パートナーのや一言でムカッ、とくるのは、

神に対してむかついているのである。


もちろん、見えている兄弟は幻想で、神ではない。

しかし、自分が神に対してどう思っているかを

見せてくれる大切な存在である、と言える。

故に、兄弟は神と同じように神聖であり、

信を置くに値する存在なのだ。

なぜなら、兄弟がいなければ、今の自分が

神のことをどう思っているかがわからないからだ。


自分が入れようと思っていた駐車スペースに、

後方から来た車にさっと入られたら、

反射的に車を降りて兄弟に文句を言いに行くが、

その運転手が神だったら、きっとどうぞどうぞ、

と言って笑顔で譲りながら逃げて行くはずである。

兄弟だったら怒り、神なら笑顔でゆずる。

本当は怒っているのに、笑顔でゆずる。


それって、実はハートと神とのかかわりを

無限のパターンで見ているだけなのだと思う。

相手を通して、

神をどう感じていていたのかを思い出す、

ということなのだ。


相手が自分を攻撃してくるなら、

神が自分を攻撃してくると信じている。

自分が他者に怒りを感じていれば、

自分も神に怒っている。

自分が神を恐れてると、

誰かを恐れるような現実を創りだす。

兄弟との関係は常に神との関係を象徴しているのだ。

従って、怒りや攻撃が神への知覚になっているのなら、

それを修正するのは兄貴だけだ。

兄貴はハートから来ているので、

兄貴を通して兄弟を見ることで、

間違った神への知覚が修正されてゆく。


そのことが、朝の電車の中でストンと入り、

今日1日、あらゆる人に対する想いが

神の想いであったことと気づき、

修正依頼をしながら過ごした。


兄弟に対して感謝と喜びになることが、

神に対して感謝と喜びだけになっているのと

同じことということだ。


兄弟には怒り、神には感謝、なんてありえない。

そう思うと、兄弟は神だ。

兄弟には100%罪がないというハートの眼で、

兄弟を見たいと願いながら、

今日1日全ての人と接してみた。


本当にありがたいありがたい存在だ、

としみじみ思う。


文章ではこれが限界だ。


ここ最近、 

〝ああ、それ、知ってる知ってる。

 あの本に書いてあった。誰々も言ってた。〟

というようなことが、

深い体感として腑に落ちるようになってきた。


明日が楽しみだ。