香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄弟から逃げない



近頃ジムで、マシンに腰掛けたまま、

長時間スマホをやっている人をよく見かける。

今まではそんなに気にならなかったのだが、

ここのところ、急激に人数が増えてきたように思う。

LINEはおろか、映画を見ている人までいる。

マシンに座ってずっとスマホをやられると、

他の人がそのマシンを使えなくなり、

僕のように昼休みの短時間しかトレできない人は、

非常に困るのだ。

それにみんな顔を落として画面に集中しているので、

周囲にマシンの空きを待っている人がいることにも

まったく気づかない。

スタッフに苦情を言うにしても、人数が多すぎる。

これは偏見かもしれないが、

そういう〝ながらスマホトレ〟をやっている輩は、

決まって、体型がゆるい。(人のことは言えないが…)


以前の僕なら「ちょっと、待ってるんだけど…。」

と、即刻本人にクレームしているところなのだが、

いまはさすがにそんなことはしない。

まず、この怒りを自分の方へ引き取り、

ちゃんとこの怒りを自分のものとして確認したのち、

これは起きていない、と兄貴に明け渡す。

そして、ちゃんと自分が感じている

〝元ネタ〟を先に処理してから、

「あとどのくらいの時間このマシンを使いますか。」

と相手に訊く。


普段、僕らは、聖霊にお願いすると、

自分は何もせずとも、勝手に相手が変わったり、

相手はそのままの状態でも、

自分の見方が変わり、愛にしか見えなくなった、

みたいな、

ちょっと〝都合のいい〟展開を望みがちだ。



もちろん、そういうことも起こるだろう。

しかし、赦してもまだスッキリしない場合、

相手にちゃんと話せばいい。

ただし、先にきちっと明け渡したあとに…。


ちゃんと言えないのは、相手に対して、

何らかの恐怖感や罪悪感を持っているからだ。

だって、分離は生じていないと分かっていれば、

聖霊と共にいて、兄弟を怖がるなんて、

あり得ないことだ。


もう聖霊に任せたから、と、

その怒りの対象となる人と向き合うことを避けるのは

ほんとうに聖霊に任せたことにはならない、

と最近気づいた。


「赦してるんですけど、それでも気になって…」


なら、その相手とちゃんと話せばいい。

で、今日はちゃんと相手に告げた。

「このマシン、ちょっと使わせてもらえませんか。」

相手は恐縮したように〝ああごめんなさい〟と言って、

僕にマシンを譲ってくれた。


ここで散々な反応が返って来たとしても、

ただ分離は生じていない、と明け渡すだけだ。


僕の経験では、

相手にちゃんと言う、ということを

だいたい1,2回やると、

同じことはもう起こらなくなる。

あっ、そうそう。

ちゃんと話す、と言えば…。

昨日の記事に貼り付けたロゴの名前に誤りがあった。

shusaku(しゅうさく)が shunsaku(しゅんさく)

になっていた。

それに最初のスペルが大文字になっていなかった。

読者の方に教えていただくまで、

僕もぜんぜん気づかなかった。

間違いのまま世に出ては大変と、

わざわざ知らせて下さった。

ご指摘、ほんとうにありがとうございました。

すぐに電話をして、てっちゃん大師に伝えました。


そのとき、寝起きだった大師は言いました。


「どうでもいいよ。そんなの。」


ああ、赦します。

アーメン。