香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

目醒めた意識のその先へ…



今日は日曜日。

ずっと書斎にお籠りをして過ごしている。

コーヒー、小鳥の鳴き声、観葉植物、明るい日差し…。

こういう休日が、いちばん幸せ。

普段は、外側に向いている認識のフォーカスを、

意識的に内側へ戻す必要もなく、

自然と自分に向けられるから、楽なのだ。


自分のほうへ意識の矢印が向き始めると、

外側の世界が、0と1の波に戻ってゆくのを感じる。

自我の思考システムでこの映像を造っていたんだ、

と実感できる。


そして、もう投影はやめる、と強く決意すると、

確固たる映像だったものが、虚像だと思えてくる。


やっぱり、ひとりで過ごす静かな時間って大切だね。

特に、父が待つ故郷へ永遠に戻って行こう、

と決意した魂となると、なおさら必要かも。

本も読まず、ネットもせず、スピ映像も見ず、

30分、いや、10分でいいから、なんにもしないで

ぼっけーっ、とただ呆けている時間って必要だと思う。

それが委ねている状態にもっとも近いと言える。


でも、ひとり呆けていると、いろんなことを考える。

今日の僕だと、


〝ああ、水曜までに提出するあの書類、

 どうやって仕上げよう、残業、いやだなあ。〟

〝この会社、もういたくないなあ。〟

〝みんなの前で不備を責められたらどうしよう。〟


などという思考が湧きあがってくる。

みぞおちの辺りでびゅんびゅんの塊りが疼き出す。

そのびゅんびゅんと一体化した自分を、

本当の自分だと信じている。


分離は生じてないのだから、この世界はない。

罪もなければ、このびゅんびゅんも自分ではない。

全部の意味づけを引き取って、明け渡してゆく。


もう自分では何もしない。

びゅんびゅんの塊りすらも、ぼーっ、と放っておく。

そうして、ただ自分を消して兄貴に委ねていると、

なあんだ。他者ってみんな自分なんじゃないか、

という感覚が芽生えてきた。

人がやっていることも、

自分がやっていることのように思えてくる。

まあ、分離は生じていないんだから当然なんだけど、

であれば、自分が変われば、人も変わるのは当たり前、

という確信を持が持てるようになった。


そして、こうやって、いろいろと、

気づきを体験している自分ではあるが、

その、気づき終えた自分(意識)こそが、

消えるべきものなのだ、

ということも最近わかってきた。


夢を完全に削除し、目醒めた意識が消えたその先に、

真に、そして永遠に、帰る場所がある。