〝赦した後は関わらない〟。
赦した相手と普通に話してはいるのだが、
精神的には関わっていかない。
その人がすでに存在していないものとして扱う。
たとえば、Aさんという、
攻撃的で、意地悪で、自分に何かと絡んでくる、
とても苦手な人がいるとしよう。
自分はこの人のことを嫌い、恐れてもいる。
そこで、赦しをする。
出てきているみぞおちのびゅんびゅんを引き取り、
分離は起きておらず、罪はなかった、と聖霊に渡す。
そして沈黙。
だが、即座に相手が変わるわけではない。
ネットやメール上の相手、または個人的な友人とかだと、
とりあえずの応急処置として、
その人との連絡を絶てば済むのだろうが、
仕事上の相手だと、早々沈黙してばかりもいられない。
そこで、心の中での沈黙を選ぶ。
聖霊に明け渡した後は、
映し出されているその人の波動と一切関わらない。
相手と話をしていても、もういない人として接する。
「ああ、そうですねえ。わかりましたあ。」
と言いながらも、相手の波動に一切干渉していかない。
「赦したけど、どうだろう」と入っていかない。
すでに存在していない、消えた人のように話すのだ。
どう言えばいいか、とても難しいのだが、
すでに終わっている相手を、
終わっている相手として接するのだ。
これは決して無視する、とか、嫌だから切り捨てる、
という事ではない。消えてしまうまでの間、
もともと幻想だったものを、幻想として扱う。
今は、ちょっときつい時期に差し掛かっている。
今週末に控えているフィリピン出張も憂鬱である。
世界があると信じていた頃なら
ようし、頑張ってやってやるぞ、となるのだが、
世界を信じなくなってからは、
逆に、ある種のストレスを抱えるようになった。
今日昼寝をしている最中、心底聖霊に願った。
なんかもう、こんな幻想の世界、うんざり。
この幻想の世界に何の未練もない。さっさと帰りたい。
聖霊兄貴!
この転換期をどう進めばよいのか、教えて下さい。