今日は佛山弾丸出張。
工場に着くと、掃除のおばさんと中年女工さんが
バトルを展開していた。
掃除のおばさんがエレベーターに乗ろうとしたとき、
うしろから女工さんに突き飛ばされ (本人いわく)、
扉の角で顎を打ったというのだ。
「ごめんなさいの一言くらい言えないの?」
「なんで私が謝らなければならないのよ!」
やがて、ぎゃんぎゃんと言い合いになり、
最後は大魔神副総経理の一喝でお開きに…。
僕はと言えば、この光景を、
「ああ、起こることが起こっているんだなあ。」
と、覚者の眼差しで見ていた、なあんてことはなく、
〝行け行け!もっとやれ!〟と、
心の中はすっかり上沼恵美子状態なのであった。
業務を終え、順徳港から船で香港へ戻ろうとしたら、
イミグレで麻薬犬に吠えられてしまった。
荷物を調べられたが、当然、何も出てくる筈はなく、
難なく船に乗ることができた。
しかし、船に乗ったあと、
最近、知らない間に麻薬の運び屋にされている、
という事件が中国で多発していることを思い出し、
一瞬、背筋の凍る思いがした。
頼まれ物は絶対に受けない。
人からもらったお土産や、ちょっとしたお菓子も、
絶対に持ち帰らない。
海外出張の鉄則を、改めて肝に銘じたのであった。
それにしても、
覚醒剤って、どうして覚醒剤というのだろう。
〝覚醒するくすり〟。
幻覚剤でもなく、狂乱剤でもなく、覚醒剤。
大和田菜穂さんの本の中に、LSDをやることで、
菜穂さんと同じ、解放された状態が得られた
というブラジル人の男性の話があったが、
ひょっとして、本当に〝覚醒〟する〝剤〟なのか、
と思ったりする。
それから、
2年前に台湾で出版した小説の読者の方から、
次回作はいつ出ますか、期待しています、頑張って、
という内容のメールをいただいた。
それも、香港と台湾、全く違う場所に住む
2人の読者の方から…。
近頃は、書いたり書かなかったり、
小説に対する情熱をすっかり失いつつあったので、
こんなメールを受け取って本当にびっくりした。
書くぞ、という意欲がわいてきた。
エロスと目醒めの、官能スピリチュアル小説!
この空間そのものが〝ここ〟だったと、
バコーンと来てからは、
自己や他者の関係性が薄まりつつある。
全ての物体が、そのままで、完璧に、美しく見える。
ただ、気をつけているのは、
肉体としての自分が投影していることに対しては、
丁寧に赦していこう、という姿勢である。
この自分が何をしようと、何をしゃべろうと、
神の愛の中にいる自分とは一切関係なく、
見えているものにも一切意味はない。
しかし、日常生活の中で展開される投影を見て、
それを、ただ起きていることが起きているだけ、
として終わらせるのではなく、
そこから立ち上ってくる〝びゅんびゅんの元〟を
ちゃんと認識し、兄貴に丸投げしてゆくことは、
故郷へ帰るためには、必須だと捉えている。
だって、見えているという事は、
投影している元、でっち上げの罪悪感が潜んでいる、
ということだもん。
それを終わらせなければ投影は終わらない。
ただ、
これは二元で、誰々さんは非二元、
あの人はまだちょっと二元が入っているから半非二元、
などは関係ないと思う。
コミュニケーションをとるときに、どうしても、
カテゴリーを作らなければ話しにくいので、
僕もついついそういう言い方をしてしまうのだが、
どちらがより真実か、とか、違いを云々するのは、
ナンセンスな気がするのだ。
最後はやはり、自分が何を選択していくか、
それだけでいいと思うのである。