香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神さまは後ろにいる

今日の聖霊兄貴への丸投げレッスンは、

毎度おなじみ、いつものフィリピン工場長!!

フィリピン出張稟議を提出したのだが、

僕が書いた稟議書を、KKB(コンババ管理部長)が、

フィリピンの工場長を通さずに直接社長へ上げ、

先に社長承認をもらってしまったのだ。

ウェブ上の稟議システムで承認を上げてゆくのだが、

今朝、僕が直接社長承認になっていたのを見て、

そのことを東京本社勤務のKKBに伝えたところ、

アイコンを押し間違えたとかで、これから工場長に

メールをし、事後承認をもらってくれという。


「順序的にはKKBがメールすべきじゃないのか。」

「僕がミスったように思われるじゃないか。」

「工場長がまた、やいやい言ってきたら面倒だな。」

反射的にさまざまな〝思い〟がわわわ、と出てくる。

しょうもないことで反応してるな、と自分でも思う。


丁度、東京のKKBから電話が来たので話した。

(KKBは東京本社勤務である。)

すると、もともと僕が出張先にちゃんとフィリピンを

選択していなかったことが原因だったと判明した。

結局、KKBが工場長にメールをしてくれて終了。


それにしても、

僕と工場長、絶対、過去世でなんかあったと思う。

意地悪されるわけでも、何か言われるわけでもない。

なのに、原因不明の恐れがでて来て、逃げたくなる。

だって、こんなミスや行き違いは、

仕事をしてれば毎日のように起こるし、普段なら、

いちいち気にも留めないような、些細な出来事だ。

それが彼だとこうなってしまう。


ああ、やってる、やってる。

誤った決断と、誤った知覚。

神への恐れを工場長に見ているのだと自覚する。


全ては〝自己の決断の場所〟で起こっている。

現実では何も起きていない。

だが肉体の自分にはその〝決断の場所〟が見えない。

だから、それ肉づかせてくれる工場長は、

チャンスであり、光なのだ。

彼がいないと、無意識の自分が何をやっているのか、

気づくことができないからだ。


昼休み、

「彼との間に過去世で何かあって云々…。」

と、自分のものとして取り込もうとしていた想いを、

消えてゆく姿として、聖霊兄貴に全托する。

自我を信じない。この想いを信じない。

この想いを〝決断の場所〟まで運び、

そこから聖霊へ削除依頼をする。

そして、自分にやれるのはここまで…。

あとは、聖霊兄貴の仕事だ。


思い切り椅子の背もたれを倒し、

両手を伸ばして身体をのけ反らせながら、

みぞおちの奥の奥にある〝全てを決めている場場所〟

へ意識を集中し、背後の神へ想いを返す。


やっぱり、神様って背後にいると思う。

眼前に広がる薄皮一枚のベールの向こう側にある

神とハートの世界は、ドーナツの輪みたいに、

背後と繋がっているのだ。

数年前、和歌山でハレ師匠と初めて会い、男二人、

温泉に浸かりながら講義してもらっていたとき、

質問しまくる僕に放った彼の言葉が思い出される。


「最後は自分が神だったことを思い出すんですよ。」


その時は、聖霊だ、神だ、ハートだ、と、

なんか、ややこしいなあ、と思いながら聞いていた。

今なら、彼の言った言葉の意味がよく解る。

この調子で、自分の想いを神に渡し続けたら、

最後には神に還らざるを得えないではないか。


エゴの自分が神に帰るのではない、と今なら分かる。

エゴの自分、幻想の自己を取り消すことによって、

真のアイデンティティを取り戻し、正気に戻るのだ。