香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

平安について



今朝の香港の気温は17度。いよいよ秋本番である。

出社してみると、シッピングのユイが、

明日から彼氏と沖縄旅行へ行くという。

「沖縄だったらまだ泳げるわね。」

と張り切っている。おいおい、

ずっと南に位置する香港でもこんなに寒いのに…。

でも、多くの香港人が、沖縄は香港より暑い、

と思いこんでいるふしがある。

でも、まあ、今の時期なら、まだ泳げる、か…。

ハレ師匠なら、12月でもバリバリ泳ぎそうだし…。


今日は、

30代の弁護士さんとSKYPEでやり取りしながら、

中国国内のグループ子会社間の資金を、

どう運用していくか、ということを話し合った。

中国は、外貨管理局によって、

外貨の移動が非常に厳しく管理されているため、

人民元で資金繰りが回ればそれに越したことはない。

そこで、ここを増資して、その資金をあそこへ回し、

その資金の返済日までにあそこの投注差を使って、

と、いろいろやるわけだが、やっているうちに、

何が何だかわからなくなってきた。

30代弁護士先生の白い目…。


これをちゃんと把握できて、理解できている人が、

いわゆる、優れている人、できる人、となるのだろう。

僕も以前は、こういう難解な処理ができる自分に

酔ったりしていた。

でも、もう無理。齢なのである。


僕は実年齢よりも若く見られる。

最近は小食になって痩せたので、余計に若く見える。

老け顔の多い中国だと、15歳くらい若く見られる。

30代弁護士先生も、僕を同世代だと思ってるよう…。

しかし、いくら外見は若く見えても、

電車で空きの座席があれば座らずにはいられない、

中身はもうスカスカの〝おじちゃん〟なのだ。

若者よ、もうすこし、いたわってほしい。


と、

こういう、しょうもない愚痴をいっていられるほど、

今日も平穏に1日が過ぎていった。

外的に様々なことは起こっているのだが、

決断の主体を意識して明け渡してゆくうち、

外で起こることが自分とは関係のない、

夢のように感じられ、関係性の意味が消えて行く。


そこで〝平安〟ということについて考えてみた。


僕はよく、面倒なメールの数が減ったりして平安である、

などとよく書いたりする。

決断の主体の位置に立っていたら、

メールの数がどうの、なんて関係ないのでは、

という読者の方もいるだろう。


例えば、

どんな試練や苦難の設定が来たとしても、

それには影響されず、常に歓びでいられる、

物理的によくなってもいいし、そうでなくてもよい。


その通りだと思う。

決断の主体がいる位置に立ってみれば、

外で起こっていることは、

本当は外では起こっていないということがわかる。

現にイエスは磔になりながらも、歓びしかなかった。


ただ僕は、物理的に満たされ、対人関係もよくなり、

厄介事も消えて、平安そのものでいたっていいじゃん、

と思っている。


それに、Jは設定通りにただ磔になったのではなく、

何らかの意図を持ち、自ら選択して磔になった、

と僕は見ている。


なぜなら、僕たちが兄貴だけを選択し、

あると思い込んでいる罪悪感を明け渡してゆくと、

本来この幻想の世界で起こるはずであった

さまざまな葛藤や出来事も削除されてゆく。

今ここで起こっていることを赦すことで、

同時に、全次元で起きている、

同一バージョンの出来事も取り消されてゆくのだ。

文字通り、取り消されるので、投影は起きず、

結果、面倒なことが消え、嫌な人がいなくなり、

現実の生活自体が平和で平安になるのは、

至極当然のことだと言える。


↑ 母が送ってくる門戸厄神のお札、何とかせねば。

当時のJも投影しない方をいくらでも選択できた。

しかし、彼はそうしなかった。


だから、

〝Jだって磔という試練があったんだし…〟

みたいに考えることはない。

そういう試練はすでにJが終わらせてくれている。

Jが磔を選択した意味はそこにある、と思うのだ。


なので、

「わたしの毎日は今こんなに平安です。」

と堂々と宣言していればいいと思うのだ。


それイコール、決断の主体の場所にいない、

ということにはならない。



しかし、平安が赦しのバロメーターになると、

これもまた、パラドックスに陥ってしまう。

結局、どういう形であれ、自分でやんないのが一番、

その人自身の兄貴に任せるしかないのだろう。

(↑ おい!それがオチかい!)