香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛だよ!



兄弟てっちゃんが瞑想から戻ってきた。


「感じる、なんてもんじゃないよ!

 愛だよ!もう、愛そのものだよ!」


と、兄弟てっちゃんは興奮気味に語った。


僕が書くと、

彼の真意を歪めて伝えてしまうと思うので、

詳しい内容は割愛するが、これまでどちらかと言うと、

神の愛を感じることが苦手で、

僕やさおちゃんがハートの愛について話していても、

すぐに話を逸らせていた彼が、

いまこうして、愛を叫んでいるのはすごいと思う。


ただ、本人には水を差すようで申し訳ないが、

経験上、このハートに触れた至福感や、

〝蜂蜜なめたあ!〟というバコンと来た感じは、

すぐに体験の記憶へと姿を変えてしまうので、

あとは地道に実践してゆくしかないのだが、

それでも、その体験があるのとないのとでは、

以前と同じ設定のシナリオが来ても、

全く違う見え方をするようになると思うのだ。


〝ここ〟では何も起きていないことを真に自覚し、

常に、聖霊兄貴の愛を延長させて見ることができる。


おめでとう!(← from Ayako)

午後、銀行へ出かけた帰り、

パシフィックコーヒーでボーっとしていた。


勉強している人、スマホで映画観てる人、

おしゃべりに興じるおばちゃん集団、

パソコンを打つ営業マンのお兄さん、など、

考えをすべて排除し、ただ夢うつつな感じで、

この風景を〝決断の主体〟の位置から眺めていた。


てっちゃんから教えてもらった方法も試してみる。


静かに目を閉じ、

鼻の穴を空気が流れる感覚や、風が眼球に触れる感覚、

足の裏が痒くなる感覚や、服が皮膚に擦れる感覚など、

肉体のあらゆる感覚をスキャンするように感じていく。


そのときのコツは、考えを入れないこと。

痒い→ 嫌な感じ → 掻きたい → 掻く

というような自動反応の流れに乗らず、

冷徹なまでのクールさで、ただ感じてみる。


「ああ、これが〝今にいる〟という感じなのだな。」

と、ピンとくる。

「この感じを見ているのは?ああ、決断の主体だ!」

と、ビビビとくる。

最後にそれらの感覚ごと、決断の主体の位置から、

兄貴へと、放出してゆくに任せる。


やっぱり〝ここ〟では起きてない。

〝ここ〟で何かやっても無駄だ。

決断の主体が投影しようとピコピコやりだす前に

聖霊を選んでいる感覚。


しばらくしてから、目を開けてみた。

空間に、ものすごい数の粒子が蠢いている。

飛んでいる、というより、

空間が粒子に分解されていっている、という感じだ。


肉体に受ける感覚は、

決断の主体とリンクしていると確信する。

いままで外にばかり意識を向けていて、

肉体の感覚には、大きな痛みとかでない限り、

ほとんどスル―状態だった。

頭かゆいっ → 自動的に右手で頭ごりごり→終わり

という感じ。


肉体は無い、肉体は幻想だ、でやってきたが、

ここへきて、

エゴを明け渡し、聖霊に解体依頼をしてゆく上で、

肉体に於ける感覚はすごく重要なのではないか、

と直感した。